SNSで、若い世代と思われる人物が投稿したあるポストが話題になっていました。
そこでは、特定の政党名を挙げながら、
・叫ぶ
・煽る
・敵の名前を連呼する
一方で、
・制度設計はぼんやり
・財源は曖昧
・実行ルートが見えない
そうした政治に対して、
「生活が苦しい人が本当に欲しいのは拍手ではなく “結果” だ」
という、かなり辛辣な評価が述べられていました。
このポストに共感するかどうかは、人によって分かれるでしょう。
しかし私は、内容の是非以前に、そこに表れている若い世代特有の政治の見方に強い印象を受けました。
それは、政治を
「理念を叫ぶ場」ではなく
「結果を出す仕事」
として見る感覚です。
では、この感覚はどこから生まれてきたのでしょうか。
成果でしか評価されない社会で育った世代
若い世代の多くは、幼い頃から一貫して
成果主義的な評価環境の中で育ってきました。
学校でも、職場でも、
・どれだけ努力したか
・どれほど思いを込めたか
よりも、
・何ができたのか
・数字として何を残したのか
が問われる場面が圧倒的に多い。
評価されるためには、
「正しいことを言っている」だけでは足りず、
「それがどう実行され、どんな結果につながったのか」を示す必要があります。
この感覚が身についた世代が政治を見るとき、
感情的な訴えや強い言葉は、
どうしても「業務としての中身」を伴っているかどうかで判断されてしまいます。
叫びやパフォーマンスは、
結果につながらなければ「コスト」に見える。
それは冷淡さではなく、生き残るために身につけた合理性だと言えるでしょう。
「声を上げれば変わる」という成功体験がない
もう一つ大きいのは、
若い世代が政治参加の成功体験をほとんど持っていないという事実です。
上の世代には、
・デモや市民運動が制度を動かした記憶
・世論喚起が政治を変えた経験
が少なからずあります。
一方、若い世代が目にしてきたのは、
・声を上げても炎上で終わる
・トレンドは一瞬で消える
・抗議や署名があっても結論は変わらない
そうした光景です。
そのため、
「声を上げること自体に意味がある」
という説明は、どうしても説得力を持ちにくい。
代わりに彼らが求めるのは、
・どの制度を
・どう変えて
・誰が実行し
・いつ成果が出るのか
という、最短距離のルートです。
「パフォーマンスはいらないので結果を出してほしい」という言葉は、
政治への拒否ではなく、
遠回りに耐えられなくなった世代の切実な要請なのです。
「弱者の代弁」という言葉への警戒
もう一つ見逃せないのが、
「弱者のため」という言葉に対する若年層の距離感です。
多くの若い人は、
・不安定な雇用
・将来への不透明感
・生活の苦しさ
を当たり前のように抱えながら生きています。
しかしその中で、
自分が「弱者」として明確に救済された経験は、あまりありません。
だからこそ、
・弱者のためと言いながら成果が見えない政治
・正義を語りながら現実が変わらない運動
に対して、強い疑念を持つようになります。
これは共感の欠如ではなく、
名目と現実のズレに対する敏感さです。
「誰のためなのか」「本当に改善したのか」
その一点で、非常に厳しく見ているのです。
冷笑ではなく、「ちゃんと機能してほしい」という願い
若い世代のこの感覚は、
しばしば「冷たい」「現実主義すぎる」と受け取られがちです。
しかし実際には、
政治から距離を取っているわけでも、
無関心になっているわけでもありません。
むしろ、
・無駄なことはしてほしくない
・ちゃんと動いてほしい
・仕事として責任を果たしてほしい
という、非常に真っ当な要求です。
政治を信じていないから厳しいのではなく、
機能する可能性があると思っているからこそ厳しい。
「パフォーマンスより結果」を求める声は、
政治への絶望ではなく、
政治に対するアップデート要求だと私は感じています。
続編の予告
次回は、この感覚に対して
政治はどう応答すべきなのか、
逆に、やってはいけない対応は何か
を整理していきたいと思います。
ここを誤ると、
世代間の溝はさらに深まります。
しかし、正しく応答できれば、
対話の糸口はまだ十分に残されています。

