「日本は外国人への規制を強めるほどに、質の悪い外国人しか来なくなってしまう」
この主張は、東海大学教授で言語学者の金慶珠氏が、日本の移民・外国人労働者政策を論じる際に言及する見解として知られています。
私は、この命題を全否定するつもりはありません。
しかし、政策論として吟味するならば、
・一般理論としては極めて粗い
・実証的裏付けが乏しい
・そして何より、制度設計の具体論を回避するレトリックとして機能しやすい
という問題を抱えていると考えます。
本稿では、その核心を整理します。
「規制=質の低下」という単純化は成り立つのか
この主張の論理は、概ね次のような構造です。
・規制を強める
・優秀な外国人は嫌がって来なくなる
・結果として、他に選択肢の乏しい「質の低い」層だけが来る
いわば「逆選択」が起きるという説明です。
しかし、ここでまず問うべきは、「質」とは何かという点です。
もし「質=高技能」と定義するのであれば、その人材の移動は規制の強弱だけで決まるものではありません。
高技能人材は、より有利な条件を求めて国を選びます。
判断材料となるのは、例えば次のような総合条件です。
・賃金水準
・社会保障制度
・キャリア機会
・生活環境
・教育・医療の水準
つまり、人材の移動は多変数的な現象です。
それを「規制」という単一要因に還元するのは、因果を単純化しすぎています。
規制が強いから質が下がる、というのは、あまりに直線的な説明です。
実証的裏付けは示されているのか
この命題が政策判断に値するのであれば、
〇規制強化と人材の質の低下を示す統計的データ
規制を強化した国で人材の質が統計的に低下したのか
〇規制緩和と質向上の相関分析
規制を緩和した国で犯罪率や不法滞在率がどう変化したのか
言語要件や技能基準の厳格化が社会統合にどう影響したのか
〇他国との制度比較
が必要です。
しかし、「規制を強めると質が下がる」という断定は、しばしば具体的データを伴わずに語られます。
印象や推測の域を出ない議論は、制度設計の根拠にはなりません。
実証なき断定は、政策論としては説得力を持ちません。
むしろ逆の可能性もある
さらに重要なのは、論理的には逆の仮説も十分成り立つということです。
・ルールが明確である
・違反には厳格に対処する
・適法滞在者は尊重される
このような制度の下ではどうなるでしょうか。
法を守る意識の高い人材、長期的に安定した生活を望む人材にとっては、むしろ魅力的に映る可能性があります。
これは「制度への信頼」が人を呼ぶという考え方です。
社会の安定性や法秩序の信頼性は、特に高技能層や企業人材にとって重要な判断要素です。
不透明で恣意的な運用よりも、明確で一貫したルールのほうが、長期的キャリア形成には適しています。
そう考えれば、
規制の存在そのものが人材の質を下げる
という断定は、論理的必然でも実証的事実でもありません。
最大の問題は「議論停止型レトリック」であること
そして、私が最も問題だと感じるのはこの点です。
この主張は、しばしば次の形で使われます。
規制を強めれば逆効果になる。だから規制強化はやめるべきだ。
こうして、規制の具体的設計を検討する前に、議論そのものを封じる方向に働きます。
本来問うべきは、
・どの分野にどの程度の規制が必要か
・何が合理的で、何が過剰か
・選抜基準をどう設計するか
・社会統合政策とどう組み合わせるか
といった制度設計論です。
ところが、「規制すれば質が下がる」という命題が前提化されると、規制論そのものが “悪” のように扱われます。
これは精緻な政策比較ではなく、結論先取り型のレトリックに近い構造です。
問うべきは規制の強弱ではなく、制度の質です
移民政策は、
・排除か受け入れか
・規制か無規制か
という二項対立で語る問題ではありません。
本質は、制度の質です。
・透明性
・公平性
・一貫性
・実効性
これらをどう設計するかが核心です。
「規制を強めると質の悪い外国人しか来ない」という言説は、
その制度論を飛ばしてしまう危うさを持っています。
恐怖予測で議論を止めるのではなく、
具体的制度設計を巡って冷静に議論する。
今、求められているのは、その姿勢ではないでしょうか。
〔補論〕言葉の専門家だからこそ、概念の精度が問われます
ここで一点、付言しておきたいことがあります。
この「規制を強めると質の悪い外国人しか来ない」という命題は、強い印象を与える言い回しです。
しかし、「質」とは何を意味するのか、「規制」とはどの範囲を指すのかが曖昧なままでは、議論はどうしても粗くなります。
言葉を専門に扱う立場の研究者(言語学者)であればこそ、概念の定義や因果関係の厳密さには、より高い説明責任が求められるのではないでしょうか。
これは特定の人物や学問分野を否定する意図ではありません。むしろ逆です。
言葉の力が大きいからこそ、その用い方には慎重さが必要です。
政策論において重要なのは、印象の強さではなく、概念の精度と論理の透明性です。
そこが曖昧なままでは、精緻な制度設計の議論には進めません。
