【IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の「RCP8.5見直し論争」とは何だったのか?】―“気候危機”は誇張だったのか、それともSNSが単純化しすぎているのか―

時代の一歩先

いまSNSでは、
 「国連がついに気候変動の嘘を認めた」
 「RCP8.5はデタラメだった」
 「脱炭素は巨大な利権だった」
といった刺激的な言説が急速に拡散している。
確かに近年、気候研究の世界では、長年“最悪シナリオ”として使われてきた RCP8.5 の位置づけ見直しが進んでいる。
そして実際、一部の研究者たちは、
 「RCP8.5は“標準未来”のように扱われすぎた」
と批判している。
しかし一方で、
 「だから地球温暖化そのものが嘘だった」
という話になると、そこには飛躍もある。
問題は、SNSで飛び交う単純な二元論ではない。
むしろ今回の論争が浮かび上がらせたのは、
・科学
・メディア
・政治
・世論
・利権
・恐怖訴求
が複雑に絡み合う、現代社会そのものの構造である。
本稿では、「RCP8.5問題」を一般人にも分かる形で整理しながら、
 「何が本当に問題だったのか」
を冷静に考えてみたい。

そもそも「RCP8.5」とは何か?

まず最初に、多くの一般人には意味不明な専門用語である「RCP8.5」について説明しておきたい。
気候変動研究では、
 「将来、人類がどれくらいCO₂を排出するか」
によって未来予測が変わる。
当然、
・排出が少なければ温暖化は比較的小さい
・排出が増えれば温暖化は大きくなる
からである。
そのため研究者たちは、
 「もし将来こういう社会になったら?」
という複数の“未来シナリオ”
を作って研究している。

RCP8.5も、その一つ

「RCP8.5」は“かなり極端な未来想定”

RCP8.5は、
石炭大量消費
人口増加
技術停滞
脱炭素政策の失敗
などを前提にした、高排出シナリオ
だった。
本来の位置づけは、
 「かなり極端なケース
に近い。
つまり、
RCP8.5
は、「未来を断定する予言」ではなく、
 「もしこうなったら?」
を検討するための、複数ある研究用シナリオの一つだったのである。

なぜ今、「RCP8.5論争」が起きているのか

近年、気候研究者の間では、
 「RCP8.5は“最悪ケース”なのに、“普通に起こる未来”のように扱われすぎた
という批判が強まっている。
背景には、
・再生可能エネルギーの普及
・石炭依存の鈍化
・技術革新
・現実の排出推移
などがあり、
 「以前ほど極端な未来ではなくなった」
と考えられるようになったからだ。
つまり現在の主流的整理は、
A:温暖化問題そのものは依然重視される
B:しかしRCP8.5を“標準予測”のように扱うのは適切ではなかった
C:今後は、より現実的な中位シナリオを重視する
という方向に近い。
ここで重要なのは、
 「温暖化問題が否定された」
わけではない
、という点である。

SNSではなぜ「全部ウソだった」になるのか

ところがSNS空間では、話が一気に飛躍する。
例えば、
 「国連が嘘を認めた」
 「気候危機はプロパガンダだった」
 「脱炭素利権の崩壊だ」
といった断定的な言説が大量に拡散されている。
確かに、ここまで議論が反発を招いた背景には、メディアや政治側にも問題があった。
実際、
・「最悪ケース
 と
・「最も起こりそうな未来
の区別が曖昧なまま報道されたケースは少なくなかった。

また、
 「RCP8.5は極端シナリオでは?」
と指摘する論者まで、
“反科学”
“陰謀論”
“温暖化否定論”
のように扱われた場面もあった。
この点への反発が、現在の“逆流現象”につながっている面はある。

問題だったのは「科学」か、それとも「社会」か

ここで重要なのは、
 「科学そのもの」
 と、
 「社会での使われ方」
を分けて考えることである。
例えば、
① 地球の平均気温が上昇しているか
これは観測データ上、かなり広く確認されている。
ただし地球史を見れば、
・氷河期
・間氷期
・中世温暖期
など、過去にも気候変動は存在した。
ここでいう「氷河期」とは、巨大な氷床が広がる寒冷な時代のことで、一般にはマンモスなどのイメージで知られている。
なお、専門的には「氷期」という用語も使われるが、一般向けには「氷河期」のほうがなじみ深い表現だろう。
また「中世温暖期」とは、ヨーロッパなどで中世の一時期に比較的温暖だったとされる時代を指す。
例えば、
・北欧のバイキングがグリーンランドへ進出した
・イギリス北部でもブドウ栽培が比較的行われていた
などが、よく知られる例として挙げられる。
もちろん、現在の温暖化と単純比較できるわけではないが、
 「地球の気候は昔から変動してきた」
ということ自体は、気候科学でも否定されていない。
つまり争点は、
 「気候が変動するか」
ではなく、
 「現在の変化に人間活動がどれほど影響しているか
である。
② 将来どこまで深刻化するか
そしてここには、
・排出量
・人口
・技術革新
・経済成長
など、多数の仮定が入る。
つまり未来予測は、
 「観測事実」
ではなく、
 「条件付きシナリオ
なのである。
ところが社会では、この違いが十分共有されなかった。
結果として、
 可能性の一つ
だったもの
が、
 「科学が断定した未来」
のように受け止められていった。

「危機を煽った側」に問題はなかったのか

この点は、かなり重要である。
近年の議論では、
 「危機訴求が優先され、不確実性やシナリオ条件の説明が後景化した」
という批判が出ている。
実際、
メディアは危機的見出しを好む
NGOは警鐘を強めやすい
政治は危機動員を利用しやすい
研究はインパクト重視になりやすい
という構造がある。
その結果、
 「最悪ケース」
ばかりが社会で拡散されやすくなった。
さらに問題なのは、
 「RCP8.5は極端ケースだ」
と指摘しただけの論者まで、
・“反科学”
・“危険人物”
・“否定論者”
のように扱われる空気が、一部で生まれたことである。
これは健全な科学的議論として、決して望ましい状況ではなかった。

だからといって「全部デタラメ」ではない

しかし同時に、
 「だから気候変動は全部ウソだった」
という方向へ飛躍するのも危険である。
実際には、
・気温上昇観測
・CO₂増加
・温室効果の物理的性質
などは、RCP8.5とは別個の問題として存在している。
例えば「温室効果」とは、地球が太陽から受けた熱の一部を、大気中のCO₂や水蒸気などが吸収し、宇宙へ逃げにくくする現象のことである。
よく「ビニールハウス」に例えられるが、要するに、
 地球を冷えにくくする働き
だと考えれば分かりやすい。
もし温室効果ガスが全く存在しなければ、地球は現在よりかなり寒冷な星になると考えられている。
そして現在の主流科学は、
 CO₂濃度の増加が、この温室効果を強めている
と考えている。
今回見直されているのは主に、
 「将来予測の扱い方
である。
つまり現在起きているのは、
 「気候科学の全面崩壊」
ではなく、
 「危機コミュニケーションの修正
に近い。

おわりに―本当に必要なのは「冷静さ」を失わないこと―

SNS時代では、
 「全部ウソだった」
 か、
 「異論は全部反科学」
かのような極端な議論になりやすい。
しかし本来、科学とはもっと不完全で、もっと複雑なものだ。
だからこそ必要なのは、
・危機を煽ることでも、
・逆に全部を陰謀論化することでもなく、
 「何が確立していて、何に不確実性があるのか」
を丁寧に切り分ける姿勢
だろう。
そして今回のRCP8.5論争は、私たちにこう問いかけている。
 「あなたは、“強い物語”ではなく、“複雑な現実”を見る覚悟があるか」と。

\ 最新情報をチェック /

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました