多様性を名乗りながら多様性を奪うのは誰か――旧姓法案、夫婦別姓、擬態的リベラルの構図

はじめに――「多様性」を掲げながら他人の多様性を奪う矛盾

近年、「多様性」や「個人の自由」を掲げて、夫婦別姓や旧姓法案を推進する論調が強まっています。しかし、その主張の一部には、他人の選択や社会制度の正当性を否定する傾向が見えます。
つまり、「私の多様性は尊重されるべきだが、あなたの選択や社会基盤は否定されてよい」という、きわめて倒錯したロジックです。

本記事では、あえてこの “擬態的リベラル” の構図を解きほぐしながら、
・夫婦の姓の統一と旧姓使用の法的根拠を整えるだけで十分であること
・夫婦別姓は憲法上の「個人の自由」であっても無制限に認められるべきではないこと
・戸籍制度は「時代遅れ」どころか、むしろ世界が羨むほどの優れた制度であること

を論じていきます。

現行制度の「選択の自由」は本当に足りないのか

まず確認しておくべき重要な事実があります。
民法750条「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」
日本の現行法制度では、夫婦が結婚後に「夫の姓」だけでなく「妻の姓」を選択することも可能です。婿養子になる必要などありません。
つまり、制度上はすでに「選択の自由」が存在しており、問題は世論や慣習によって「選ばれにくい」選択肢があるという点にあります。

これは法制度ではなく、社会の価値観の問題です。

また、今日では研究者、公務員、企業人において、旧姓使用を社会の中で広く認める運用が広がっているにもかかわらず、
「姓を変えるとキャリアが分断される」という主張が繰り返されます。

そこで必要なのは、戸籍の姓を変えずに旧姓を継続使用できる仕組みを法的に明確化することです。
逆に言えば、それ以上の制度改革――つまり、夫婦別姓の導入そのものが必須である理由は見当たりません。

憲法が保障する「個人の自由」は無制限ではない

夫婦別姓の推進派は「個人の自由」「多様性の尊重」を強調します。しかし、憲法が保障する個人の自由とは無制限・無制約の自由ではなく、他者の権利や公共の福祉との調和を前提とした自由です。
公共の福祉とは何か?
日本の家族法や戸籍制度は、国民の身分関係を明確にし、社会的トラブルを防ぎ、相続・親権・扶養などの法体系を安定的に運用するために存在します。
つまり、戸籍制度や夫婦同姓制度は 社会の秩序と透明性を担保する公共的基盤です。
したがって、
「夫婦別姓が個人の自由だから認めるべきだ」という単純な議論は、公共の福祉という観点を欠いている
と言わざるを得ません。

夫婦別姓は戸籍制度の骨格を揺るがす

日本の戸籍制度「家族単位で身分関係を管理する」仕組みであり、夫婦同姓はその基礎を構成しています。
もし夫婦別姓が一般化すれば、
・親子の姓がバラバラになる
・法的な身分関係が外から識別しにくくなる
・相続・親権・扶養などの記録管理が複雑化する

など、制度的混乱が避けられません。

制度の根幹を揺るがす変更に対しては、
「個人の自由だから」という理由だけで突き進むべきではない
のです。

「世界では夫婦同姓は少数派」「戸籍制度は時代遅れ」という主張の誤り

反対勢力が好んで用いる論法があります。それは——
「世界には日本のような戸籍制度を持つ国は少なく、夫婦同姓の国も少ない。日本は時代遅れだ」
というものです。しかし、この主張は以下の点で不正確です。

1)世界が「戸籍制度の正確さと透明性」を評価している事実
日本の戸籍制度は、
・身分関係の確定が極めて正確
・改ざんや成りすましが困難
・長期的な履歴が明確

という点で、国際的に高い信頼を得ています。

海外では、
・身分登録が自治体ごとに分散して統一的管理がなされない
・移民の大量流入で記録が不完全
・マイナンバー制度の乱立による重複・欠落
などの理由で、むしろ「日本のような一元的な身分登録制度があれば便利なのに」と羨む声すらあります。
戸籍制度が「時代遅れ」なのではなく、
むしろ世界の多くの国々が日本の制度の正確さを羨望しているのです。
2)夫婦同姓は「伝統」ではなく合理性のある制度
推進派は「旧来の家父長制の遺物」と批判しますが、夫婦同姓
・親子関係の明確化
・家族単位の法的管理
・社会的な認知の容易さ
などの合理性に基づく制度
です。
世界で同姓が少ないのは、ある意味で「制度の大雑把さ」ゆえでもあります。
日本が丁寧すぎるほど正確な制度を維持してきたことこそ、むしろ評価されるべきです。

求められるのは「制度の解体」ではなく「運用の整備」

本記事の結論は明確です。
旧姓使用の自由に法的根拠を与えるだけで十分である。
・夫婦別姓は、「個人の自由」であっても、無制限に認めるべきではない。
戸籍制度は時代遅れではなく、日本社会の安定を支える優れた制度である。

制度そのものを破壊する必要はありません。
必要なのは、旧姓使用の法的明文化など「運用を現代化するための調整」であり、夫婦別姓のような「制度の基盤を揺るがす改革」ではないのです。

おわりに――本当の「多様性」は粗雑な制度破壊から生まれない

真に多様性が尊重される社会とは、
他者の価値観や生き方を否定せず、互いの選択を尊重しながら制度の安定と社会全体の利益を両立させる社会
です。
「自分の自由のために、社会制度を壊してよい」という姿勢は多様性の尊重ではありません。
むしろ社会全体の多様性を奪うものです。

日本社会が必要としているのは、
新しい社会運動のための制度破壊ではなく、
国民の生活の安定と透明性を支える制度の賢明なアップデートです。

「夫婦別姓」について
日本の法律上正確には「夫婦別氏」というべきです。
民法を所管する法務省のホームページでは、「選択的夫婦別氏(べつうじ)制度(いわゆる選択的夫婦別姓制度)」と表現しています。

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