近年、日本の言論空間は大きな転換期を迎えていると言われています。
インターネット、とりわけSNSの普及によって、情報の流れは大きく変わりました。
かつてはテレビや新聞が中心だった情報環境は、いまや多様なメディアが並び立つ時代へと移行しています。
その一方で、SNSにおける誹謗中傷やデマの拡散をめぐり、規制の必要性を訴える議論も強まっています。言論空間の健全性をどう守るのかという問題は、今後ますます重要なテーマになっていくでしょう。
しかし、この問題を考えるとき、どうしても見落としてはならない視点があります。
それは、既存のテレビ言論そのもののあり方です。
テレビは、
放送法(昭和25年法律第132号)
のもとで運営され、公共の電波を使用するメディアとして大きな影響力を持ってきました。したがって本来は、公共的責任を伴う言論空間であるはずです。
ところが近年、そのテレビ言論の中でも、政治家を揶揄するようなコメントや、感情的な印象論に依存した発言が問題になる場面が少なくありません。たとえば
サンデーモーニング
での発言をめぐっても、政治評論のあり方そのものが議論になりました。
こうした状況を見ると、次のような疑問が浮かびます。
・テレビ言論の質は本当に保たれているのか
・公共の電波を使うメディアとしての責任は十分に果たされているのか
・そして、テレビの信頼が揺らいでいる中で、SNS規制の議論はどのように位置づけられるべきなのか
これらの問題は、本来なら個別の出来事として片付けるのではなく、日本の言論空間全体の問題として整理する必要があるテーマではないでしょうか。
そこで本ブログでは、これから数回にわたり、次の三つの視点から問題を整理してみたいと思います。
第一に、テレビ言論そのものの質の問題。
第二に、公共の電波と放送制度が求める責任の問題。
第三に、テレビの信頼低下とSNS規制論の間に見られる矛盾の問題。
特定の政治的立場を批判することが目的ではありません。
むしろ、日本の言論空間全体の健全性をどう確保するのかという視点から、冷静に論点を整理してみたいと思います。
テレビもSNSも、いまや社会に大きな影響力を持つメディアです。
だからこそ私たちは、特定のメディアだけを問題視するのではなく、言論空間全体のあり方を考える必要があるのではないでしょうか。
次回から、このテーマを三つの論点に分けて、順番に検討していきたいと思います。
