はじめに
日本では長年、
「日本は移民政策を採っていない」
という説明が繰り返されてきました。
しかし現実には、
・技能実習制度
・特定技能制度
・留学生のアルバイトとしての就労
・家族帯同
・永住許可制度
などを通じ、外国人定住社会への変化は、静かに進行しています。
もちろん、外国人の受け入れそのものを単純に否定することはできません。
少子高齢化や深刻な人手不足に加え、日本企業が海外市場や外国人労働力とも関わりながら経済活動を行っている現実を考えれば、一定の外国人受け入れは、現実問題として避けがたい側面もあります。
問題は、
「受け入れるか否か」
だけではありません。
本当に問われるべきなのは、
「どのような国家設計のもとで進めるのか」
という点です。
本シリーズ『日本の外国人政策を問い直す』では、第1部から第6部までを通じ、
在留資格制度の構造的問題
多文化共生政策と社会統合の課題
安全保障と外国人政策の関係
国家観・共同体意識の変化
自治体現場に集中する行政負担
国民的合意形成の不足
など、多角的観点から論じてきました。
本稿はその“番外編”として、
これまでの議論を踏まえながら、
「日本型移民政策の何が問題なのか」
を、改めて整理してみたいと思います。
「移民政策ではない」という建前が、議論全体を曖昧にしている
日本政府は一貫して、
「日本は移民政策を採っていない」
という立場を維持しています。
しかし実際には、
・外国人労働者受け入れ枠の拡大
・長期滞在・定住化の進行
・家族帯同による地域定着
・永住許可の取得者(=在留資格「永住者」)の増加
・外国人コミュニティの形成
は着実に進行しています。
つまり日本では、
「移民ではない」と説明しながら、実態としては定住型社会が形成されつつある
という、独特の構造が存在しているのです。
その結果、本来必要なはずの、
・将来人口構成をどう設計するのか
・社会統合政策をどう構築するのか
・外国人児童教育をどう支えるのか
・治安維持と、外国人住民を含む個人の自由や人権保障をどう両立するのか
・地域摩擦の軽減・解消策をどう整備するのか
・生活習慣や価値観の違いをどう調整するのか
などについての包括的議論が、
常に“部分論”として処理されやすくなっています。
これは、日本型外国人政策の最大の特徴でもあり、最大の曖昧さでもあります。
国家戦略ではなく、「人手不足対策」として進んでいる
現在の外国人受け入れ政策は、
・建設業界の慢性的な人手不足対策
・介護分野における労働力不足対応
・農業分野における担い手不足の補完
・外食・宿泊業界の人材確保
・物流・配送分野の労働力維持
など、人手不足産業への労働供給として拡大してきました。
もちろん、現場の人手不足は現実です。
しかし本来、国家規模の人口政策とは、
・どの規模まで外国人を受け入れるのか
・どの地域への定着を政策誘導するのか
・外国人住民との社会統合をどう進めるのか
・日本語教育体制をどう整備するのか
・日本社会の文化的連続性をどう維持するのか
・将来の人口減少社会をどう支えるのか
という長期設計と一体で議論されるべきものです。
ところが現状では、
「今の人手不足をどう埋めるか」
が先行し、
・生活習慣や地域ルールの違いによって生じる地域トラブルへの対応策
・教育・医療・行政コストへの対応
・外国人児童支援の制度整備
・治安・安全保障上の検討
・国民負担に関する説明
が後追いになりやすい構造があります。
これは、“国家戦略”というより、
目の前の人手不足への対応を積み重ねた“経済合理性の積み上げ”に近い状態です。
負担と責任が、地方自治体へ事実上“移転”されている
外国人受け入れ政策を決定するのは中央政府です。
しかし実際に現場対応を行うのは地方自治体です。
例えば、
・日本語教育支援や通訳体制の整備
・外国人児童・生徒への教育支援
・医療機関における多言語対応
・ゴミ出し・生活ルールの周知
・災害時の外国人向け防災情報提供
・地域トラブルや生活相談への対応
・多文化共生関連事業の運営
などは、自治体現場が担っています。
しかも自治体によって、
・財政力の差
・専門人材確保の難易度
・外国人支援ノウハウの蓄積
・住民側の受け入れ意識
・外国人住民比率の違い
は大きく異なります。
つまり現在の日本は、
「国家が方向を決め、地方が実務負担を背負う」
構造になっているのです。
その一方で、
「どこまでを国が担い、どこからを自治体が担うのか」
という責任整理は、必ずしも十分ではありません。
「利益」は語られるが、「コストと摩擦」は議論されにくい
外国人受け入れについては、
・人手不足解消による産業維持
・地域経済を支える労働力確保
・社会保障制度の支え手確保への期待
・グローバル経済への対応力強化
などの“利益”は比較的語られやすい傾向があります。
しかし一方で、
・外国人児童教育に必要な追加コスト
・行政窓口の多言語対応負担
・医療通訳や生活支援にかかる費用
・地域コミュニティ内での摩擦や不安
・治安悪化への懸念や不信感
・生活ルールや価値観の違いによる対立
などの“負担”については、
議論自体が感情論化しやすい側面があります。
その結果、
・排外主義的言説
・理想論だけの共生論
・相互のレッテル貼り
へ流れやすく、
冷静な制度論が成立しにくくなります。
本来必要なのは、
「賛成か反対か」
ではなく、
「どの程度の利益と負担を社会として共有するのか」
という現実的議論です。
「共生」が理念先行になり、制度設計が追いついていない
現在の日本では、「多文化共生」という言葉が広く使われています。
しかし実際には、
・日本語能力習得支援の不足
・日本の法制度や行政手続き理解への支援不足
・地域生活ルールを共有する難しさ
・学校教育現場での対応負担の増加
・社会統合政策の整備が後追いになっていること
・相互適応のための制度不足
など、制度設計は十分に整備されているとは言い難い状況です。
その結果、
・現場職員の努力への依存
・自治体ごとの対応力格差
・地域住民の善意への依存
の運用になりやすく、
制度よりも“空気”で調整される部分が増えています。
共生とは、本来、
「違いを認め合いましょう」
という理念だけでは成立しません。
共通ルール、
共通言語、
共通理解をどう形成するかという、
極めて現実的な制度設計が必要なのです。
外国人政策が「安全保障」「社会統合」と切り離されてきた
現在の外国人政策は主に、
・労働力確保政策
・人権保護政策
・多様性尊重の理念
・海外市場や外国企業とも結びついた日本経済の現実
の文脈で語られがちです。
もちろん、それらは重要です。
しかし国家としては同時に、
・不法滞在や偽装滞在への対策
・外国勢力による情報工作リスク
・犯罪組織や地下経済への警戒
・社会分断を防ぐ社会統合政策
・国境管理体制の維持
・治安維持と、外国人住民を含む個人の権利や自由の保障との両立
なども考慮する必要があります。
ここで重要なのは、
「外国人=危険」
という短絡ではありません。
逆に、
「安全保障視点を語ること自体がタブー化する」
状態もまた、健全ではないということです。
成熟国家であるなら、
・人権保護
・表現の自由や信仰の自由
・国家安全保障
・社会統合政策
を同時に議論する必要があります。
なお、近年では政府・与党内においても、外国人政策を単なる労働力政策としてではなく、安全保障や社会統合の観点を含めて議論すべきだという動きは強まりつつあります。
特に現在の高市内閣は、外国人政策と安全保障・治安政策との関連性を明確に意識する方向へ舵を切り始めており、従来よりも包括的な国家戦略として捉えようとする姿勢も見られます。
ただし、その具体的制度設計や、外国人住民を含む個人の権利・自由とのバランスをどう取るかについては、今後も慎重かつ継続的な議論が必要でしょう。
国民が“全体像”を把握しにくい構造になっている
日本の外国人制度は、
・在留資格制度が複雑化している
・制度名称が細分化されている
・所管省庁が分散している
・制度改正が頻繁に行われている
など、一般国民が全体像を把握しにくい構造です。
さらに、
「移民政策ではない」
という説明も加わることで、
実態とのズレが生まれやすくなっています。
その結果、
・国民側の不信感
・制度への誤解
・陰謀論的理解
・感情論的対立
も起きやすくなります。
本来必要なのは、
「知らないまま進む社会」
ではなく、
「国民的理解と合意のもとで進む社会」
です。
おわりに:本当に必要なのは、「賛成」か「反対」かではなく、“国家設計”である
日本の外国人政策を巡る議論は、しばしば、
・「排外主義か」
・「多様性推進か」
という単純な対立へ流れやすくなります。
しかし、本来問われるべきなのはそこではありません。
重要なのは、
・どの規模で外国人を受け入れるのか
・どの条件で受け入れるのか
・どのような社会統合政策を行うのか
・どの負担を国民全体で共有するのか
・日本社会の安定と連続性をどう維持するのか
という“国家設計”です。
つまり必要なのは、
・無制限受け入れでもなく、
・感情的排斥でもなく、
制度・責任・統合・自由・安全保障を含めた、
成熟した国民的議論なのです。
そしてそれこそが、
本シリーズ『日本の外国人政策を問い直す』全体を通じて、一貫して問いたかったテーマでもあります。
