はじめに――「男女平等」を論じる前に問うべきこと
「日本政府は皇室の継承における男女平等を保障するよう法改正すべきだ。」
国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)がこのような勧告を行ったことは、日本国内でも大きな議論を呼びました。
勧告に賛成する立場からは、「男女平等の時代に、女性が皇位を継承できない制度は見直されるべきだ」という意見が示される一方、反対する立場からは、「皇室の伝統を尊重すべきだ」といった主張が聞かれます。
しかし、この議論を見ていて、私は一つの大きな違和感を覚えます。
それは、賛否双方の議論が「皇室典範を改正すべきかどうか」という結論ばかりに目を向け、その前提となる問題を十分に検討していないように見えることです。
法律や条約を適用する際には、法学上、ごく基本的な手順があります。
まず確認しなければならないのは、「その法律や条約は、そもそもその問題に適用されるのか」という点です。
交通事故に関する法律を相続問題へ適用しないように、会社法を刑事事件へそのまま適用しないように、法律にはそれぞれ適用範囲があります。
これは国内法だけではありません。国際条約についても同様です。
女性差別撤廃条約に基づく勧告である以上、まず問われるべきは、「皇位継承制度は、この条約が対象とする事項なのか」という先決問題ではないでしょうか。
実際、日本政府は、国連女性差別撤廃委員会に対し、「皇位継承資格は基本的人権に含まれず、女性差別撤廃条約が対象とする事項ではない」と反論しています。
つまり、日本政府は「男女平等」という理念そのものを否定しているのではなく、そもそも女性差別撤廃条約を皇位継承制度へ適用すること自体に疑義を呈しているのです。
ところが、この重要な論点は、報道やインターネット上の議論では十分に取り上げられているとは言えません。
さらに、国連の勧告では、欧州王室における男女平等の流れが比較対象として示されることがあります。しかし、前回の記事でも考察したように、日本の皇室は、欧州の「王朝」とは異なる「皇統」という歴史構造の上に成り立っています。そのため、欧州王室の制度改革をそのまま日本へ当てはめることが適切なのかという問題も、あわせて検討する必要があります。
本記事では、「男女平等」への賛否を論じることを目的とはしません。
そうではなく、法解釈の基本に立ち返り、「女性差別撤廃条約は皇位継承制度に適用されるのか」という先決問題を整理した上で、日本政府と国連女性差別撤廃委員会の見解がどこで分かれているのかを確認したいと思います。
結論を急ぐ前に、まず前提を確認する。
それこそが、法の支配の下で冷静な議論を行うための第一歩ではないでしょうか。
第一章 CEDAWは何を勧告し、日本政府は何を反論したのか
国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)は、日本が締結している女性差別撤廃条約の実施状況を定期的に審査し、その結果を「最終見解(Concluding Observations)」として公表しています。
この最終見解には法的拘束力はありません。しかし、条約の履行状況について委員会としての見解や勧告を示すものであり、締約国はその内容を踏まえて対応を検討することが期待されています。
近年、日本の皇位継承制度についても、CEDAWは繰り返し言及してきました。
委員会は、皇室典範が皇位継承資格を男系男子に限定していることについて、「女性を排除している制度」であり、女性差別撤廃条約の理念と整合しないとの立場から、皇室典範を改正し、男女平等を保障するよう日本政府へ勧告しています。
また、その際には、欧州諸国において男女を区別しない王位継承制度へ改正が進んでいることにも触れ、日本も同様の方向性を検討すべきであるとの趣旨が示されています。
このような勧告に対し、日本政府は一貫して異なる立場を取っています。
日本政府は、「皇位につく資格は、基本的人権に含まれているものではないので、皇室典範において皇位継承資格が男系男子の皇族に限定されていても、女子の基本的人権が侵害されることにはならず、したがって女性差別撤廃条約が撤廃の対象としている「女子に対する差別」に該当しない」と説明しています。
さらに、皇位継承制度は国家の基本に関わる制度であり、その在り方は日本国民と国会が主体的に議論すべき事項であるとして、CEDAWがこの問題を取り上げること自体に疑義を示しています。
つまり、日本政府の反論は、「男女平等という理念」を否定するものではありません。
むしろ、「皇位継承制度は、女性差別撤廃条約が適用される事項ではない」という点を出発点としています。
ここで重要なのは、双方の主張が必ずしも正面からかみ合っているわけではないということです。
CEDAWは、「皇位継承制度にも女性差別撤廃条約が適用される」という前提に立ち、その上で男女平等の観点から制度改正を勧告しています。
一方、日本政府は、「皇位継承制度はそもそも女性差別撤廃条約の適用対象ではない」という前提から議論を始めています。
つまり、両者は「皇室典範を改正すべきか」という結論以前に、「女性差別撤廃条約は皇位継承制度に適用されるのか」という、より根本的な問題について見解が一致していないのです。
しかし、この「前提の違い」は、一般の報道やインターネット上の議論では十分に意識されているとは言えません。
「男女平等だから改正すべきだ」「伝統だから改正すべきではない」といった結論ばかりが注目され、その前提となる法的な論点は、しばしば置き去りにされています。
では、法学の観点から見た場合、このような議論はどのような順序で進められるべきなのでしょうか。
次章では、法律や条約を適用する際に最初に確認しなければならない「法の適用範囲(射程)」という基本原則から、この問題を考えてみたいと思います。
第二章 法解釈の基本──まず「その法律は適用されるのか」を判断する
法律や条約について議論するとき、多くの人は「その制度は適法か、違法か」「その制度は正しいか、間違っているか」という結論に目を向けがちです。
しかし、法学では、それよりも前に確認しなければならない基本的な手順があります。
それは、「その法律や条約は、そもそもその問題に適用されるのか」という点です。
言い換えれば、「法の適用範囲(射程)」を確認することです。
これは、法律を学んだことのない人にとっても、ごく身近な考え方です。
例えば、道路交通法は交通秩序を維持するための法律ですから、相続問題を解決するために道路交通法を適用することはありません。
逆に、民法の相続規定を交通違反の取締りに適用することもありません。
会社法は会社の組織や運営を定める法律であり、刑法は犯罪と刑罰を定める法律です。
それぞれ目的も対象も異なる以上、「まず適用される法律は何か」を確認することは、法解釈の出発点となります。
国際条約についても事情は同じです。
ある条約に基づいて勧告や判断を行うのであれば、その前提として、「その条約が対象としている事項なのか」を検討しなければなりません。
この手順を飛ばして、「条約の理念に反する」「条約違反だ」と結論だけを論じることは、本来の法解釈の順序とは言えません。
今回の問題に当てはめると、最初に問われるべきなのは、「皇位継承制度は女性差別撤廃条約の適用対象なのか」という点です。
日本政府が繰り返し主張しているのも、まさにこの点です。
政府は、「皇位継承資格は基本的人権には含まれず、女性差別撤廃条約が予定する権利ではない」と説明しています。
つまり、「男女平等」という理念そのものを否定しているのではなく、「女性差別撤廃条約を皇位継承制度へ適用すること自体に法的根拠があるのか」という問題を提起しているのです。
一方、CEDAWは、皇位継承制度にも女性差別撤廃条約が適用されることを前提として議論を進めています。
つまり、双方は結論だけでなく、その前提となる「条約の適用範囲」について異なる立場を取っているのです。
この点は、報道では十分に伝えられているとは言えません。
「国連が男女平等を勧告した。」
「日本政府は伝統を理由に反対した。」
こうした構図で紹介されることが少なくありません。
しかし、日本政府が問題にしているのは、単に「伝統を守りたい」という政策判断だけではありません。
「女性差別撤廃条約は、この問題に適用されるのか。」
この法的な先決問題を提起しているのです。
もし、この先決問題について十分な検討を行わないまま、「男女平等だから制度を改めるべきだ」と議論を進めるのであれば、それは法学の基本的な手順を一つ飛ばしていることになります。
もちろん、最終的に「適用される」と結論づける見解もあり得るでしょう。
しかし、その場合であっても、まずは「なぜ適用されるのか」という法的根拠を丁寧に示し、日本政府が提示している「適用対象ではない」という主張に正面から答える必要があります。
法の支配とは、結論だけでなく、その結論に至る論理の積み重ねを重視する考え方です。
だからこそ、この問題についても、「男女平等」という結論を論じる前に、「女性差別撤廃条約は皇位継承制度に適用されるのか」という前提を十分に検討することが不可欠なのです。
この「適用範囲」という視点に立つと、次に浮かび上がる疑問があります。
日本政府は、なぜ「皇位継承資格は基本的人権ではない」と主張しているのでしょうか。
そして、その主張には、どのような法的な意味があるのでしょうか。
次章では、この点について、憲法や皇室制度の性格も踏まえながら考えていきます。
第三章 皇位継承資格は「基本的人権」なのか――日本政府の反論を法的に考える
第二章では、法律や条約を適用する際には、まず「その法は、この問題に適用されるのか」という「法の適用範囲(射程)」を確認しなければならないことを見てきました。
では、日本政府が繰り返し主張している「皇位継承資格は基本的人権ではない」とは、どのような意味なのでしょうか。
この点は、「男女平等に反対している」という話ではありません。
むしろ、「基本的人権とは何か」という法学上の基本概念をどのように理解するかという問題です。
一般に、基本的人権とは、人が人であることによって当然に有すると考えられる権利を指します。
例えば、思想及び良心の自由、表現の自由、居住・移転の自由、職業選択の自由、婚姻の自由などは、その代表例です。
また、政治に参加する権利や法の下の平等も、民主主義社会を支える基本的人権として位置付けられています。
これらの権利に共通しているのは、「すべての人」が主体となり得るという点です。
もちろん、年齢など一定の条件はありますが、その権利は本質的に「人」であることに基づいて保障されるものです。
これに対し、皇位継承資格はまったく性格が異なります。
皇位継承資格は、日本国民全体に与えられている権利ではありません。
日本国民であっても取得できる資格ではなく、皇族であれば当然に認められる資格でもありません。
さらに言えば、本人が希望したから取得できるものでも、試験や選挙によって得られる資格でもありません。
それは、日本国の象徴制度を維持するため、皇室典範という特別な法制度の下で、ごく限られた者に認められている特殊な法的資格です。
ここに、日本政府が指摘する法的論点があります。
女性差別撤廃条約が保障しようとしているのは、「誰もが人間として有する権利」における男女平等です。
他方、皇位継承資格とは、「誰もが有する権利」ではなく、国家の象徴制度を維持するために特定の者に認められる特殊な資格です。
この二つを同列に扱うことができるのか――そこに、日本政府が提起している法的論点があります。
もちろん、この問題については、「皇位継承資格も国家制度の一部である以上、女性差別撤廃条約の理念は及ぶ」と考える立場もあります。
しかし、その見解を採るのであれば、「皇位継承資格は、なぜ女性差別撤廃条約の対象となるのか」という点を、法的に丁寧に説明する必要があります。
日本政府は、「適用対象ではない」と主張しています。
したがって、その反論を乗り越えるためには、「適用される」という結論だけでは足りません。
その法的根拠を示し、日本政府の主張に正面から答えることが求められます。
ところが、この点については、報道やインターネット上の議論では十分に掘り下げられてるとは言い難いのが現状です。
「男女平等だから改正すべきだ。」
あるいは、
「伝統だから改正すべきではない。」
そのような結論だけが先行し、「女性差別撤廃条約は皇位継承制度に適用されるのか」という法的な先決問題は、しばしば議論の外へ置かれています。
しかし、法の支配とは、結論だけを競い合うことではありません。
どの法律や条約が適用されるのか、その適用を支える法的根拠は何か、そして反対説に対してどのように答えるのか――そうした論理を積み重ねることこそ、法的議論の本質です。
この視点に立つと、もう一つ重要な疑問が浮かび上がります。
仮に女性差別撤廃条約の適用範囲をめぐる議論を措くとしても、国連女性差別撤廃委員会が比較対象として示している欧州王室と、日本の皇室は、本当に同じ歴史構造の上に成り立っているのでしょうか。
次章では、この比較そのものが適切なのかという点について、「王朝」と「皇統」の違いという視点から改めて考えてみたいと思います。
【後編】へ続く
