はじめに
今から約3年前に、私は2023年6月15日付け投稿記事『日本のLGBT法案:偏見と保護の間で』を発表しました。
当時、国会ではLGBT理解増進法案をめぐる議論が大きな注目を集め、賛成か反対かという二項対立のような論調が少なくありませんでした。
しかし、私はそのとき、次のような考えを述べました。
一つは、一般の人々のLGBTに対する理解を深め、偏見と差別を解消すること。
もう一つは、性自認の悪用による性犯罪から女性や子どもを守ること。
この二つは互いに対立するものではなく、どちらも社会にとって重要な課題である。
私は今でも、この考えは間違っていなかったと思っています。
むしろ、法律が成立して3年が経過した現在だからこそ、その重要性は増しているように感じます。
2026年6月、政府はLGBT理解増進法(注1)に基づく初めての基本計画(注2)を閣議決定しました。
これは法律が実際にどのように運用されていくのかを示す、大きな節目です。
一方で、その内容をめぐっては、LGBT当事者団体だけでなく、女性団体や保護者など、さまざまな立場から意見や懸念が示されています。
私は今回の記事で、どちらか一方の立場に立って「勝ち負け」を論じたいわけではありません。
考えたいのは、もっと根本的なことです。
LGBTへの理解を深めるという理念と、女性や子どもの安全を守るという理念は、本当に対立するものなのでしょうか。
もし対立すると考えるなら、私たちはどちらか一方を諦めなければなりません。
しかし、本当に目指すべき社会とは、そのような二者択一なのでしょうか。
私はそうは思いません。
むしろ、両方を実現する制度をどう築いていくかこそが、今、私たちに問われている課題ではないでしょうか。
(注1)正式名称「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」。
(注2)正式名称「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する基本的な計画」。
第1章 議論は「法律」から「制度設計」へ移った
2023年当時の議論は、「LGBT理解増進法を制定すべきか否か」が中心でした。
しかし、法律が成立した現在、社会の関心は次の段階へ移っています。
それは、
この法律をどのように制度化し、どのように運用していくのか。
という問題です。
2026年6月16日に閣議決定された初めての基本計画では、SOGI(性的指向・性自認)に関する理解を深めるため、教職員や行政職員への研修、相談体制の充実、教育・啓発などが盛り込まれました。
LGBTへの理解を広げ、不当な偏見や差別をなくしていこうという方向性自体は、社会として大切にしていくべき理念だと私は考えています。
しかし、その一方で、女性専用スペースや学校現場の運用をめぐっては、女性団体や保護者、一部の地方議員などから懸念も示されています。
例えば、
「学校生活において、生物学的には男性であるトランスジェンダー生徒が女子トイレや女子更衣室、宿泊行事などを利用する場合、他の児童生徒や保護者への十分な説明や配慮が行われているのか。」
という問題提起があります。
もちろん、こうした懸念が直ちに正しいと結論付けることはできません。
一方で、「理解を深めよう」という理念も、それだけで現場のすべての課題が解決するわけではありません。
興味深いことに、政府の基本計画に対しては、女性団体だけでなく、LGBT当事者団体からも、「内容が抽象的で不十分」「実効性に欠ける」といった批判が出ています。
つまり現在は、
「理解増進法に賛成か反対か」
という段階ではなく、
「理解増進法の理念を、どのような制度設計と運用によって実現していくのか」
という段階へ、議論そのものが移っているのです。
私は、この変化は決して悪いことではないと思います。
LGBT理解増進法のような理念法は、成立したこと自体がゴールではありません。
むしろ、その理念を社会の中でどのような制度として具体化し、現場でどのように運用していくのか。その積み重ねによって初めて、この法律が掲げる理念が現実のものとなるかどうかが決まります。
だからこそ今、私たちに必要なのは、賛成か反対かという立場の応酬ではなく、「どうすれば、すべての人が安心して暮らせる制度になるのか」という視点ではないでしょうか。
第2章 理念が正しいことと、制度設計が正しいことは同じではない
私は、LGBTへの理解を深め、不当な偏見や差別をなくしていこうという理念そのものに異論はありません。
誰もが人格と尊厳を尊重され、安心して暮らせる社会を目指すことは、成熟した民主主義社会において大切な価値だからです。
しかし、ここで一つ、冷静に考えなければならないことがあります。
理念が正しいことと、その理念を実現するための制度設計や運用が常に適切であることは、決して同じではありません。
これはLGBT理解増進法に限った話ではありません。
社会には、立派な理念を掲げながらも、その制度設計や運用に課題が見つかり、見直しや改善を重ねてきた制度が数多くあります。
むしろ、民主主義社会とは、そのような試行錯誤を積み重ねながら、より良い制度へと育てていく営みではないでしょうか。
私は以前、『「女性を守る」はずの言葉が、女性を縛っていないか――本来のフェミニズムと、管理・統制型フェミニズムを見分けるために』(2025年12月23日付け投稿記事)という記事を書きました。
そこで訴えたのも、「女性を守る」という理念そのものを否定することではありませんでした。
理念が正しいからこそ、その理念を実現する制度や運用が、本当に本来の目的にかなっているのかを検証する必要がある、ということでした。
今回のLGBT理解増進法についても、私はまったく同じ視点が必要だと考えています。
例えば、女性専用スペースや学校現場の運用について、不安や疑問を抱く人がいます。
その声のすべてが正しいとは言えません。
しかし、だからといって、そのような懸念を示した人を直ちに偏見や差別と結び付けたり、「トランス・ヘイター」といったレッテルを貼ったりして議論を封じるような風潮があるとすれば、それは建設的な議論を遠ざけることになりかねません。
もちろん、性的少数者への誹謗中傷や人格否定は決して許されるものではありません。
一方で、制度のあり方について具体的な安全上の懸念を示し、その制度設計や運用について冷静に議論することまで萎縮してしまうようであれば、「理解」と「安全」をどのように両立させるかという、本来最も重要な議論そのものが難しくなってしまいます。
私は、LGBTへの理解を深めようという理念と、安全への配慮を求める声は、本来対立するものではないと考えています。
むしろ、安全への懸念を真摯に受け止め、それを制度設計や運用の改善につなげようとする姿勢があってこそ、多くの国民は安心して理解増進という理念を受け入れることができるのではないでしょうか。
逆に、理念を掲げるあまり、安全への懸念を軽視したり、「理解が足りないからだ」と片付けたり、あるいはレッテル貼りによって議論そのものを萎縮させたりすれば、どうなるでしょうか。
本来であればLGBTへの理解に共感していた人まで、「自分たちの不安や疑問は聞いてもらえない」と感じ、理念そのものへの不信感を抱いてしまうかもしれません。
それは、LGBT理解増進法第3条が謳う「相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資すること」から、かえって遠ざかる結果になりかねません。
私は、この法律の理念を大切にしたいからこそ、その制度設計や運用についても率直に議論し、必要があれば見直していく姿勢が欠かせないと考えています。
理念を守ることと、制度を検証することは矛盾しません。
むしろ、本当に理念を大切にするのであれば、制度や運用を不断に点検し、改善し続けることこそが、その理念への誠実な向き合い方ではないでしょうか。
([後編]へ続く)
