日本政府は、これまで一貫して「日本は移民政策を採っていない」と説明してきました。
しかし、ここで注意しなければならないのは、「移民」という言葉には複数の意味があり、政府も一定の定義を置いて使用しているということです。
政府の定義によれば、「移民政策を採っていない」という説明には、一定の制度的な意味があります。
では、その説明だけで、日本で実際に起きていることを十分に説明できるのでしょうか。
私は、そこに大きな疑問があります。
問題は、「移民」という言葉の定義をめぐって政府と国民のどちらが正しいか、ということではありません。
実際に日本社会で何が起きているのか。
その政策は、どこへ向かっているのか。
そして、その方向を誰が決めてきたのか。
私は、この三つの問題を、国民の目から曖昧にしてはならないと考えています。
第一に、「実態」です
日本には、就労などを目的として入国した外国人が、在留資格の変更・更新、家族帯同、長期在留などを経て、結果として定住・永住に至ることが可能な制度的経路が存在しています。
もちろん、これは「入国した外国人が全員定住・永住する」という意味ではありません。
重要なのは、最初から永住を前提として受け入れる制度でなくても、外国人が日本に長期間暮らし、家族と生活し、地域社会の一員となり、最終的に永住者となることも可能な制度体系が存在しているということです。
したがって、問題は、それを「移民」と呼ぶかどうかだけではありません。
実際に日本社会への長期的な定着が生じているという事実を、まず直視する必要があります。
第二に、「政策の累積」です
平成30年の入管法改正によって特定技能制度が創設されて以降、政府は「外国人材の適正・円滑な受入れ」と「外国人との共生社会の実現に向けた環境整備」を一体的に進めてきました。
2018年12月には「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」が策定され、その後、改訂が重ねられました。
さらに2022年には「外国人との共生社会の実現に向けたロードマップ」が策定され、その後も変更が加えられています。
そして現在に至るまで、外国人材の受入れと共生をめぐる政策は継続・発展しています。
これは、もはや単純な「人手不足を補うための一時的な労働力政策」だけでは捉えきれない段階に来ているのではないでしょうか。
外国人を受け入れることと、その外国人が日本社会で生活していくための環境を整えることが、一体の政策として継続的に進められているからです。
第三に、「社会の将来像」です
ここが、私が最も重要だと考えるところです。
外国人をどの程度受け入れるのか。
どのような在留資格を認めるのか。
どのような条件で長期在留や定住・永住への道を認めるのか。
家族帯同をどこまで認めるのか。
そして、日本人と外国人が、どのような社会を形成していくのか。
これらは、もはや単なる出入国在留管理や労働力確保の問題ではありません。
「日本社会をこれからどのような共同体として維持していくのか」
という、日本という国家の将来像に関わる問題です。
政府自身、「共生社会」の実現を掲げ、外国人をこれからの日本社会を共につくる一員として位置付けています。
そうであるならば、
「共生社会」とは具体的にどのような社会なのか、
日本社会をどのように変えていくのか
について、国民が考えるべき問題であることは明らかでしょう。
第四に、「国民的選択」です
だからこそ、私はここで一つの問いを投げかけたいのです。
その「共生社会」という日本社会の将来像を、主権者である国民は、本当に十分な説明を受けた上で選択したのでしょうか。
もちろん、個々の外国人政策について、国会で法律が制定され、予算が審議され、政府が政策を実施してきたことは事実です。
しかし、
個々の制度について法的な手続が踏まれていること
と、
それらの制度が長年にわたって積み重なった結果、日本社会がどのような方向へ変化していくのかについて、国民が十分に認識し、議論し、選択してきたこと
とは、必ずしも同じではありません。
ここに、民主主義・国民主権の観点から考えるべき問題があるのではないでしょうか。
行政が個々の制度を一つひとつ積み重ねていった結果として、いつの間にか日本社会の将来像まで事実上決まってしまうのであれば、そこには「誰がその方向を選択したのか」という問題が残ります。
「移民政策」という言葉の定義だけで終わらせてよいのか
政府は、「移民」という言葉を一定の意味で使用しています。
その定義に照らせば、「日本は移民政策を採っていない」という政府の説明には、一定の制度的な整合性があります。
しかし、それとは別に、現実に外国人の長期在留・定住・永住につながる制度が存在し、外国人材の受入れと共生社会の実現に向けた政策が継続的に展開されていることも事実です。
そうした現実を踏まえれば、国民の中から、
「政府は実質的に移民政策を推進しているのではないか」
という批判の声が出てくるのは、決して不思議なことではありません。
私は、その批判を「移民という言葉の定義を理解していない」として退けるべきではないと思います。
むしろ、そのような疑問が生じているのであれば、政府には、
「日本では現在、何が起きているのか」
「外国人の受入れを、これからどこまで進めるのか」
「その結果、日本社会をどのような共生社会にしていこうとしているのか」
を、国民に分かりやすく説明する責任があるのではないでしょうか。
おわりに――問われているのは「外国人を受け入れるか否か」だけではない
私は、外国人政策そのものを否定したいのではありません。
外国人を受け入れることにも、経済的・社会的な意義があります。一方で、受入れには社会的なコストや課題も伴います。
だからこそ必要なのは、
「受け入れるか、受け入れないか」という二者択一の議論ではなく、どのような外国人を、どの程度、どのようなルールの下で受け入れ、その結果として日本社会をどのような共同体にしていくのか
を、国民自身が考え、選択できる環境を整えることです。
外国人政策は、単なる労働力政策ではありません。
それは、
「日本社会をこれからどのような共同体として維持していくのか」
という、国家の将来像に関わる問題です。
だからこそ私は、外国人政策そのものを否定するのではなく、その政策を決める過程における民主主義と国民主権を問い直したいのです。
「移民政策か、そうでないか」という言葉の定義をめぐる議論だけではなく、
現実に何が起きているのか、
その先にどのような社会を目指すのか、
そしてその方向を誰が決めるのか。
その問いから、私たちはもう目をそらしてはいけないのではないでしょうか。

