「日本人ファースト」から「共通の土台」へ――人ではなく、法と基本的なルールを第一に

「日本人ファースト」という言葉を、私は以前から少し気にしていました。
もちろん、この言葉を使う人が、必ずしも「日本人が1番で、外国人は2番、3番だ」という意味で使っているわけではありません。
実際、参政党の神谷宗幣代表自身も、「日本人ファースト」について、そのような意味ではないと説明しています。
それでは、なぜ「日本人ファースト」という言葉を使うのでしょうか。
もし本当に訴えたいことが「日本人という属性を持つ人を優先する」ということではないのであれば、私は、もう少し違う言葉に置き換えた方が、その理念を正確に伝えられるのではないかと思います。
ここで私が問題にしたいのは、参政党の政策そのものではありません。
理念を表現する言葉として、「日本人ファースト」が最も適切なのか。
その点を考えてみたいのです。
私が提案したいのは、単なるキャッチフレーズの言い換えではありません。
これまで私がこのブログで繰り返し述べてきた、
「文化は多様でよい。しかし、法と基本的なルールは共通でなければならない」
という考え方を、改めて確認することです。

「日本人ファースト」は、何を意味するのか

「日本人ファースト」という言葉を文字どおり受け取れば、「日本人を第一にする」という意味になります。
そうすると、自然に一つの疑問が生まれます。
では、外国人は第二なのか、第三なのか。
もちろん、「日本人ファースト」を掲げる人が、実際にそのような順位づけを意図しているとは限りません。
少なくとも神谷宗幣氏は、この言葉について、「日本人が1番で、外国人が2番、3番」という意味ではないと説明しています。
であれば、なおさら考えてみたいことがあります。
本当にそういう意味ではないのであれば、誤解を生みやすい表現を使い続ける必要があるのでしょうか。
これは、参政党を批判するための話ではありません。
日本という社会を、どのような理念の下で運営していくのか。その理念を、より正確に伝える言葉は何なのか。私は、その問題として考えたいのです。

「人」を順位づけるのではなく、「土台」を共有する

私がこれまでのブログ記事で繰り返し述べてきた考えは、非常に単純明快です。
文化は違ってよい。しかし、法は共通でなければならない。
食文化、服装、宗教、家族観、生活習慣など、人々の文化にはさまざまな違いがあります。
日本人同士であっても、考え方や価値観は一様ではありません。
外国にルーツを持つ人が、それぞれの文化的背景を日本社会に持ち込むことも、当然あります。
そうした文化の違いは、互いに尊重されてよいものです。
しかし、法律や条例などの法規範は、それとは性質が異なります。
法律や条例は、一つの社会を成り立たせるための共通のルールです。
日本で暮らす以上、日本人も外国籍住民も、日本国憲法を頂点とする日本の法秩序の下で生活します。
だからこそ、重要なのは、
「誰を第一にするか」ではなく、「何を共通の土台とするか」
ではないでしょうか。

「共生」とは、それぞれのルールを持ち寄ることではない

「共生」という言葉から、ときに次のようなイメージを思い浮かべることがあります。
日本人には日本人の価値観があり、外国人には外国人の価値観がある。
それぞれが自分たちのルールを持ち寄り、互いに譲歩しながら、新しいルールをつくっていく。
しかし、私は、それが日本という国を舞台にした「共生」のあり方だとは考えていません。
日本という国を舞台にした場合の共生とは、日本の法令・法秩序と社会の基本的なルールを共通の土台とし、その共通のルールの下で、それぞれの文化の違いを尊重しながら、一つの社会を共に生きることではないでしょうか。
つまり、
文化は多様であってよい。
しかし、
法と基本的なルールは共通でなければならない。
ここは、分けて考える必要があります。

「日本人ファースト」から、二つの言葉を考えてみる

こうした考え方から、「日本人ファースト」に代わる表現を二つ考えてみます。

①「日本の法と秩序を第一に」
一つ目は、
「日本の法と秩序を第一に」
です。
これは、「日本人」という人の属性を第一にするのではなく、日本社会を成り立たせている法と秩序を第一にするという考え方です。
もちろん、ここでいう「日本の法と秩序」とは、行政や政治権力が恣意的に決めるものという意味ではありません。
日本国憲法を頂点とする日本の法秩序と、その下で社会を成り立たせる基本的なルールを意味します。
「日本人だから守る。外国人だから守る」という区別ではありません。
日本で暮らす以上、日本の法と秩序を共通の土台とする。
そういう意味です。
これは、私がこれまで述べてきた「日本版ルール主義」にも、かなり近い表現です。

②「日本社会ファースト」
もう一つは、
「日本社会ファースト」
です。
こちらは「日本人」という人の属性から、「日本社会」という社会そのものへと視点を移す表現です。
「ファースト」という言葉を残すことができるため、政治的なキャッチフレーズとしても比較的分かりやすいでしょう。
ただし、「日本社会とは誰の社会なのか」という問題は残ります。
日本で暮らす外国籍住民も、日本社会の一員として生活しているからです。
その意味では、私は「日本の法と秩序を第一に」の方が、何を第一にするのかが明確であり、より正確な表現だと考えます。
もっとも、ここで二つの言葉のどちらが優れているかを決めることが、この記事の本当の目的ではありません。

私が本当に言いたいのは、「人」から「土台」へということ

私が本当に言いたいのは、「日本人ファースト」より「日本の法と秩序を第一に」というキャッチフレーズの方が優れている、ということだけではありません。
もっと大切なのは、考える視点そのものを変えることです。
「日本人」という人を第一にするのか。
「外国人」という人をどう扱うのか。
そうやって人を順位づけするのではなく、
日本人も外国籍住民も、同じ社会の中で暮らすために、何を共通の土台とするのか。
そこに目を向けるのです。
つまり、
「人」から「土台」へ。
ということです。
日本人と外国籍住民は、人として順位づけされるべきものではありません。
人としての尊厳は等しく尊重されるべきです。
その一方で、人として平等であることと、日本の法秩序そのものを相対化することは同じではありません。
日本で暮らす以上、日本の法律を守る。
その共通の法秩序の下で、それぞれの文化的な違いを理解し、尊重する。

私は、そこに「共生」の基本的な姿があると考えます。

「法」と「文化」を同じものとして扱わない

ここでもう一つ、区別しておきたいことがあります。
「日本のルール」という言葉だけでは、法律、条例、生活習慣、マナー、地域の慣行などが一緒になってしまうことがあります。
しかし、これらは同じものではありません。
法律や条例などの法規範は、国家や地方公共団体が法的な手続に基づいて定める、社会の共通ルールです。
一方、生活習慣やマナー、地域の慣行などは、社会の中で形成されてきた社会規範です。
外国籍住民が日本語や日本の生活習慣を学ぶことは、日本社会で生活するうえで大切なことです。
しかし、
法律と文化・慣習を同じレベルのものとして扱ってはいけません。
法律は、単に「日本人の文化」の一つではありません。
日本という国家の法秩序です。
だからこそ、文化の違いについては柔軟に考えながらも、法については共通の基準を持つことができます。

「日本人ファースト」という言葉を、もう一度考えてみる

ここまで考えてくると、「日本人ファースト」という言葉を、もう一度考えてみることができます。
私は、この言葉そのものを否定しようとしているわけではありません。
日本人の生命や安全、生活、そして日本社会の利益を大切にすることは、当然のことです。
問題は、それを表現するときに、必ず「日本人」という人の属性を第一にする必要があるのか、ということです。
もし「日本人ファースト」が、「日本人が第一で、外国人は第二、第三」という意味ではないのであれば、何を第一にするのかを、もっと直接的に示した方が分かりやすいのではないでしょうか。
その意味で私は、
「日本の法と秩序を第一に」
という表現に魅力を感じます。
あるいは、
「日本社会ファースト」
という表現も考えられます。
ただし、これらはあくまで、理念を分かりやすく伝えるための「便法」です。
この記事で本当に提案したいのは、新しいキャッチフレーズそのものではありません。

「日本人のための日本」でありながら、「外国人にも選ばれる日本」

私はこれまで、
「日本人のための日本でありながら、外国人にも選ばれる日本」
という方向を一つの考え方として述べてきました。
これは、外国人を排除するという意味ではありません。
日本人の生命、安全、生活、社会の秩序を守る。
同時に、日本で暮らす外国籍住民の人権を保障し、必要な支援を整える。
そして、日本人も外国籍住民も、日本の法秩序と社会の基本的なルールを共通の土台として生活する。
この三つは、決して矛盾するものではありません。
むしろ、人を「日本人か外国人か」で順位づけするのではなく、どのような共通のルールの下で、一つの社会を運営していくのかを考える方が、建設的ではないでしょうか。

「人」ではなく「共通の土台」を第一に

「日本人ファースト」という言葉をめぐる議論は、これからも続くでしょう。
その際、「日本人ファースト」に賛成か反対か、という二者択一だけで考える必要はないと思います。
むしろ、一歩立ち止まって、
「そもそも、何を第一にするべきなのか」
と考えてみたいのです。
日本人という人でしょうか。
外国籍住民という人でしょうか。
それとも、日本人も外国籍住民も同じ社会で暮らしていくための、共通の土台でしょうか。
私は、最後のものを第一にしたいと思います。
文化は多様でよい。
しかし、法と基本的なルールは共通でなければならない。

その共通の土台があってこそ、日本人も外国籍住民も、それぞれの文化を持ちながら、一つの社会で暮らしていくことができます。
だから私は、「日本人ファースト」という「人」を起点とした言葉から、
「人」から「土台」へ。
視点を移して考えてみたいのです。
第一に置くべきなのは、特定の人ではなく、日本社会を成り立たせる共通の法と基本的なルールなのではないでしょうか。

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