先日、川口市長選をめぐるあるX(旧Twitter)のポストが目に留まりました。
クルド人問題への関心の高まりを背景に、投票率が前回の約2倍となる40.98%に達した、という内容です。
確かに、投票率が倍増したという事実自体は注目に値します。
しかし、私が強く引っかかったのは別の点でした。
前回の2倍にまで上がったにもかかわらず、それでも約41%にとどまったという点です。
SNS上では、川口市のクルド人問題は連日大きな話題になっていました。
それほどの関心があるのなら、投票率はもっと高くなってもよさそうなものです。
それなのに、実際に投票所へ足を運んだ市民は、6割にも満たなかった。
このギャップは、何を意味しているのでしょうか。
SNSの熱量と、現地の行動は一致しない
まず冷静に押さえておくべきなのは、
SNSでの盛り上がりと、当該自治体住民の投票行動は、必ずしも一致しないという点です。
川口市の問題は、全国的に注目されています。
しかし、SNSで発信し、拡散し、議論している人の多くは、川口市民ではありません。
当然ながら、投票権も持っていません。
「タイムラインが騒がしい」ことと、
「地元有権者が大量に動員される」ことの間には、思っている以上に大きな隔たりがあります。
投票率41%は低すぎるのか
次に、投票率そのものをどう評価するかです。
40.98%という数字は、国政選挙と比べれば低く見えますが、
地方首長選として見ると、実は「かなり高い部類」に入ります。
多くの市町村長選挙では、投票率が20~30%台にとどまることも珍しくありません。
その意味では、今回の川口市長選は、「関心がなければ20%台で終わっていた可能性が高い選挙」だったとも言えます。
つまり、41%という数字は、盛り上がりの限界点を示している数字でもあるのです。
不満や不安は、必ずしも投票に結びつかない
「クルド人問題に困っている市民がいるのなら、なぜもっと投票に行かなかったのか」
そう感じる方も多いでしょう。
しかし現実には、
不安や不満があっても、それが投票行動に変換されないケースは非常に多いのです。
理由はいくつも考えられます。
・誰に投票すれば、何がどう変わるのか分からない
・市長選で解決できる問題なのか判断がつかない
・国の制度や入管行政の話と、市政の役割の違いが見えにくい
こうした状態では、有権者は「関心はあるが、判断できない」まま立ち止まってしまいます。
行動する人は、いつの時代も少数派
もう一つ、厳しい現実もあります。
SNSで意見を述べる人、怒りを表明する人は多くても、
実際に行動する人は、段階を追うごとに急激に減っていきます。
・話題にする人
・署名する人
・投票に行く人
・継続的に政治参加する人
このピラミッドの頂点に近づくほど、人数は少なくなります。
41%という投票率は、
「多くの人が関心を持ったが、投票所に足を運んだ人はその一部だった」
という、極めて構造的な結果とも言えるでしょう。
「一票で変わらない」のではなく、「参加しづらい」
では、有権者は本当に
「どうせ一票では社会は変わらない」と考えているのでしょうか。
私には、そう断言できるほど単純には見えません。
むしろ実態は、
・難しそう
・よく分からない
・誰も決定打を示していない
・正直、考える余裕がない
こうした「非参加の惰性」が積み重なった結果ではないでしょうか。
無関心というより、参加するためのハードルが高すぎる。
その現実が、41%という数字に表れているように思えます。
投票率の数字は、私たち自身への問いでもある
川口市長選の投票率41%は、
特定の候補や主張の是非を超えて、私たちにこう問いかけています。
「話題になる政治」と「参加される政治」の間にある溝を、どう埋めるのか。
この問いは、川口市だけの問題ではありません。
SNS時代の民主主義そのものが抱える、根深い課題でもあります。
数字を見て失望するのではなく、
その数字が示している構造を、冷静に読み解くこと。
そこからしか、次の一歩は見えてこないのだと思います。
後編予告
投票率41%という数字は、誰かを非難するための材料ではありません。
むしろそれは、「話題にはなるが、参加にはつながらない政治」という、現代社会が抱える構造的な課題を静かに映し出しています。
では、この溝を前にして、私たちは立ち尽くすしかないのでしょうか。
後編では、「話題になる政治」と「参加される政治」の間にある断絶を、どうすれば埋めていけるのか。
クルド人問題に限らず、外国人問題がいずれ多くの自治体で直面する課題であることを踏まえながら、少なくとも考えるべき方向性について整理してみたいと思います。

