「不法滞在は犯罪ではない」は本当か?―自然犯と行政犯の違いから読み解く“危うい論理”

新常識
「出入国管理及び難民認定法」の「第9章 罰則」 (抜粋)

「外国人の不法滞在は犯罪ではない」「“非正規滞在”と呼ぶべきだ」――。
こうした主張を見聞きする機会が増えています。
一見すると、人道的で穏やかな表現に思えるかもしれません。
しかし、その背後にある論理を丁寧に分解してみると、法秩序の根幹を揺るがしかねない重大な問題が浮かび上がります。
本記事では、「犯罪とは何か」という基本から出発し、「自然犯」と「行政犯」の違いを整理したうえで、この議論のどこに問題があるのかを、分かりやすく解説します。

そもそも「犯罪」とは何か

犯罪とは、一般に「法律によって禁止され、刑罰が科される行為」を指します。
重要なのは、「道徳的に悪いかどうか」ではなく、「法律で禁止されているかどうか」が判断基準であるという点です。
たとえ本人に悪意がなかったとしても、法律に違反すれば、それは犯罪となります。
逆に、どれほど道徳的に問題があるように見えても、法律で禁止されていなければ犯罪にはなりません。
この「法による判断」という原則こそが、近代国家における法治主義の基本です。

自然犯と行政犯の違い

犯罪は大きく分けて、「自然犯」と「行政犯」に分類されます。
■ 自然犯とは
殺人、強盗、窃盗など、法律を知らなくても「悪いことだ」と直感的に理解される行為です。
社会的・道徳的な非難と、法的な違法性が一致しています。
■ 行政犯とは
一方、行政犯は、社会を円滑に運営するために定められたルールに違反する行為です。
それ自体が直ちに「絶対悪」と感じられるものではない場合も多いのが特徴です。
ここで重要なのは、
行政犯もまた、れっきとした「犯罪」であるという点です。
例えば、外国人の以下のような行為はすべて行政犯です。
・不法入国(「出入国管理及び難民認定法」違反)
・不法残留(「出入国管理及び難民認定法」違反)
・資格外活動違反(「出入国管理及び難民認定法」違反)
これらは自然犯ではありませんが、法律に違反する以上、明確に犯罪と位置付けられています。

行政犯はなぜ処罰されるのか

行政犯は、「それ自体が悪だから」ではなく、
「ルールを守らなければ社会が成り立たなくなるから」処罰されます。
ここでは、身近な例を3つのカテゴリーに分けて見ていきます。
① 公共の安全を守るルール(道路交通法)
最も身近な行政犯です。
赤信号で道路を渡ること自体は、殺人や窃盗のような絶対的悪ではありません。
しかし、誰もが自由に行動すれば、交通事故は確実に増加します。
・駐停車禁止違反
・速度超過(スピード違反)
これらは、「少しぐらいなら」と考えがちな行為ですが、結果として重大事故を引き起こす可能性があるため、厳しく規制されています。
② 公平な社会システムを維持するルール(税法・業法)
社会の公平性を守るためのルールです。
・脱税(所得税法違反など)
・無免許営業(旅館業法・宅建業法など)
税金を払わないこと自体は暴力的行為ではありませんが、放置すれば国家運営が成り立たなくなります。
また、無資格での営業は、利用者に重大な不利益を与える危険があります。
③ 健康や環境を守るルール(公害・衛生)
個人の自由を一定程度制限してでも、社会全体の利益を守る必要がある分野です。
・不法投棄(廃棄物処理法違反)
・食品衛生法違反
これらを放置すれば、環境汚染や感染症の拡大といった深刻な問題につながります。
■ まとめ
これらの例から分かるように、行政犯は
「道徳的に悪いかどうか」ではなく、
「社会を維持するために不可欠かどうか」という観点で規制されています。

「不法滞在は犯罪ではない」という主張の問題点

近年、不法滞在外国人について、「不法滞在」という言葉を避け、「非正規滞在」と表現すべきだという主張や、
「犯罪ではない」とする意見が見られます。
しかし、この主張の本質は次のように整理できます。
「行政犯は自然犯ではない
 → 道徳的には悪ではない
 → だから犯罪として扱うべきではない」
これは一見もっともらしく見えますが、論理としては成立していません。
なぜなら、
・行政犯も法律に基づく「犯罪」である
・社会秩序維持のために不可欠な規制である
からです。
この論理を認めてしまえば、
・交通違反も処罰不要
・脱税も問題なし
・不法投棄も自由
という結論に行き着きます。
それは、法治国家の否定に等しいものです。
したがって、「行政犯は犯罪ではない」とする主張は、
法の概念を意図的に歪めた詭弁であると言わざるを得ません。

おわりに

言葉の言い換えは、ときに現実の認識そのものを変えてしまいます。
「不法滞在」を「非正規滞在」と呼び替えることが、単なる表現の問題にとどまらず、法秩序の軽視へとつながるのであれば、その影響は決して小さくありません。
ここで改めて確認しておきたいのは、行政犯が私たちの生活の中でどれほど重要な役割を果たしているかという点です。
例えば、
・信号無視や速度超過といった交通違反
・脱税
・不法投棄
に加えて、
・飲酒運転(道路交通法違反)
・無免許運転(道路交通法違反)
・違法建築(建築基準法違反)
といった行為も、すべて行政犯に該当します。
これらは一つ一つを見れば、「それ自体が絶対的な悪」とまでは感じないかもしれません。
しかし、もしこれらが取り締まられなくなればどうなるでしょうか。
交通事故は激増し、街の安全は崩れ、税の公平性は失われ、私たちの暮らしを支える前提そのものが瓦解します。
それでもなお、「行政犯は犯罪ではない」と言えるのでしょうか。
法の定義を都合よくすり替え、違反行為を“問題ではないもの”として扱う発想は、寛容ではありません。
それは、社会のルールを静かに空洞化させる危険な思考です。

ルールは、誰かを縛るためにあるのではありません。
守られることで、初めて社会全体の自由と安全が成立します。
その前提を崩す言葉の誘惑に、私たちはどこまで無自覚でいられるのか。
いま問われているのは、「やさしい言葉」ではなく、「社会を支える責任ある認識」です。

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