その「共生社会」、本当に合意されていますか?― 外国人政策を問い直す(第1回)

移民 出入国管理

本記事は、日本の外国人政策と「共生社会」のあり方を問い直す連載の第1回です。

はじめに

「外国人との共生社会の実現が必要だ」
――この言葉に、違和感を覚えたことはないでしょうか。
おそらく多くの人は、こう思うはずです。
「それは当然だ」「現実に外国人が増えているのだから仕方ない」と。
確かにその通りです。
すでに日本社会には多くの外国人が暮らしており、秩序ある共生を目指すこと自体は否定しようのない現実です。
しかし、ここで一つだけ、立ち止まって考えてみてください。
その“前提”は、いつ、どのように決まったのでしょうか。

「気づいたら前提になっていた」という違和感

かつて日本では、政府は一貫してこう説明してきました。
 「日本は移民政策を採らない」
それにもかかわらず、現実にはどうでしょうか。
外国人労働者は増え、在留資格は拡充され、長期滞在や定住も珍しいものではなくなりました。
結果として、私たちは「共生社会」を当然の前提として受け入れつつあります。
しかし――
それは本当に、
国民全体で選び取った社会のかたちだったのでしょうか。

政策は存在する。しかし「全体像」は存在しない

誤解のないように言えば、外国人に関する政策は存在します。
・在留資格の制度もある。
・受け入れ分野の調整も行われている。
・不法滞在対策も進められている。
つまり、個別の政策は確かにあるのです。

けれども同時に、こうも言えます。
 「日本はどのような社会を目指し、そのためにどの程度の外国人を受け入れるのか」
という全体像としての設計は、明確に語られてきませんでした。
個別の制度は積み上がっている。
しかし、その結果として社会がどう変わるのかについては、正面から問われていない。
この「部分はあるが全体がない」という状態こそが、今の日本の特徴です。

「共生」は結果なのか、それとも選択なのか

ここで重要な問いがあります。
 共生社会とは、“結果として受け入れるもの”なのか
 それとも、“選択として決めるもの”なのか
もし前者であれば、議論は不要です。
現実に合わせて対応すればいい。
しかし後者であるならば、話はまったく違ってきます。
・どの程度の多様性を受け入れるのか
・社会のルールはどこまで共有されるべきか
・統合はどのレベルまで求めるのか

これらは本来、社会全体で決めるべき重大な問題です。

「違和感」の正体

多くの人がうまく言語化できないまま感じている違和感は、ここにあります。
それは、
 「何かが変わっているのに、それを選んだ記憶がない」
という感覚です。
誰かが明確に「移民を受け入れる社会にします」と宣言したわけではない。
選挙で大きな争点になったわけでもない。
それでも現実は、確実に変化している。
このズレこそが、「不安」や「不公平感」として表れているのではないでしょうか。

問題は賛成か反対かではない

ここで誤解してほしくないのは、この議論は
・外国人受け入れに賛成か反対か
・共生社会を肯定するか否定するか
といった単純な二択の話ではないということです。
本質的な問題は、もっと別のところにあります。
 社会のあり方を変える可能性のある政策が、どのように決められているのか
という点です。

問いをあなたに

ここまで読んで、どう感じたでしょうか。
もしあなたが
・「それでも現実的には仕方ない」と思うなら、それも一つの立場です。
・「いや、もっと明確に議論すべきだ」と思うなら、それもまた一つの立場です。
ただし、少なくとも一つだけ、避けて通れない問いがあります。
 私たちは、どのような社会を望んでいるのか。
そしてもう一つ。
 その選択は、どのように決められるべきなのか。

次回は、この問題をもう一歩進めて考えます。
日本は本当に「移民政策を採っていない国」なのか。
それとも、すでに別の現実に足を踏み入れているのか。
制度と現実のズレを整理しながら、冷静に見ていきます。

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