日弁連の「国旗損壊罪反対声明」を読む――その憲法論は本当に成り立つのか【第二部】内心の自由・表現の自由・法の支配

新常識
国旗の損壊等の処罰に関する法律案

はじめに

本シリーズ第二部では、日本国憲法における「内心の自由」と「表現の自由」の関係、そして刑法の基本原則である「行為主義」、さらに最高裁判例の基本的枠組みを手がかりに、日弁連の国旗損壊罪反対声明の憲法論を検討します。
議論の出発点となるのは、次の問いです。
国旗の損壊等の処罰に関する法律案は、本当に「思想
内心の自由」を処罰する法律なのでしょうか。
また、それは「表現の自由」を不当に制約するものなのでしょうか。
この問いに答えるためには、まず憲法の基本構造そのものを丁寧に確認する必要があります。

内心の自由とは何か

憲法第19条が保障する「思想及び良心の自由」は、一般に「内心の自由」と呼ばれています。
ここで重要なのは、この自由が意味するものが、
 何を考えてもよいという道徳的な許可
ではなく、
 国家がその思想や信条を理由に処罰や不利益取扱いをしてはならないという法的原則
であるという点です。
たとえば、
・政府に批判的な考えを持つこと
・国の象徴に否定的な感情を持つこと
・特定の制度に反対すること
といった内心そのものは、いかに強いものであっても、それだけで法の対象にはなりません。
この意味で、内心の自由は「思想の内容の自由」というよりも、
 思想の“不可侵性”を保障するルール
であると理解できます。

内心と行為の境界

では、どこからが法律の問題になるのでしょうか。
その境界は「外に出た行為」であると整理されます。
たとえば次のように考えることができます。
・不満を持つこと → 自由です
・抗議したいと思うこと → 自由です
・実際に行動に移すこと → 法律の対象となり得ます
この区別は、刑法の基本原則である「行為主義」に基づいています。
刑法は、人の内心そのものではなく、
 外部に現れた具体的な行為
を対象として評価する仕組みになっています。
したがって、国旗損壊罪法案についても、その対象は思想ではなく行為であると理解されます。
行為主義の意味(補足)
この構造を日常感覚に置き換えると、次のようになります。
・「税金を払いたくない」と思うこと → 内心の自由です
・実際に申告・納税を行わないこと → 行為として法の問題になります
このように、憲法と刑法は「考える領域」と「行動する領域」を明確に分けているといえます。

国旗損壊罪は内心を処罰する法律なのか

問題となっている法案の条文は、おおむね次のような構造になっています。
人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法により、公然と国旗を損壊し、除去し、又は汚損する行為を処罰する
ここで明確なのは、処罰対象が
・思想
・信条
・内心の感情
ではなく、
・外部に現れた具体的な行為
であるという点です。
したがって、
・国旗をどのように感じるか
・国旗に対してどのような思想を持つか
といった内心は処罰対象にはなりません。
この意味で、刑法理論の基本構造からすれば、本法案を直ちに「内心の自由そのものを処罰する立法」と評価することは困難であると考えられます。

表現の自由とその限界

もっとも、問題はここで終わりません。
国旗損壊行為は、場合によっては政治的メッセージを含むため、
 表現行為としての性質
を持つ可能性があります。
この点で、憲法21条との関係が問題となります。
表現の自由の基本構造
表現の自由は極めて重要な権利ですが、最高裁判所は一貫して次の立場を示しています。
・表現の自由は民主主義の基盤である
・しかし絶対無制限ではない
・他の権利や公共の利益との調整が必要である
判例の示す枠組み
〇北方ジャーナル事件
 表現の自由が民主主義にとって重要な権利であることを明確にした判例です。
〇博多駅テレビフィルム提出命令事件
 報道・取材の自由を認めつつも、それが無制限ではないことを示した判例です。
本質的なポイント
ここで重要なのは、
 表現であるかどうかは、違憲・合憲の決定的基準ではない
という点です。
問題となるのは常に、
・目的の正当性
・手段の必要性
・制約の合理性
といった総合的な評価です。

日弁連声明の憲法論の検討

日弁連の主張は、大きく次の二点に整理できます。
 ①内心の自由を侵害するおそれがあるという点
 ②表現の自由を萎縮させるおそれがあるという点
① 内心侵害論について
これまでの整理から明らかなように、本法案は内心そのものを処罰対象としていません。
処罰の対象となっているのは、あくまで
・公然と行われる外部的行為
・一定の態様を伴う国旗の損壊等行為
であり、思想や信条、内心の感情そのものではありません。
この意味で、刑法理論の基本構造からすれば、本法案を直ちに「内心の自由そのものを処罰する立法」と評価することは困難であると考えられます。
そのうえで重要なのは、次の点です。
日弁連の声明が問題としているのは、必ずしも「内心そのものの直接的処罰」だけではなく、
 外部行為に対する規制が、結果として思想や表現の自由に萎縮的効果を及ぼす可能性
という、いわゆる「間接的影響」の問題でもあります。
したがって、この論点をどう評価するかは、
・「内心そのものを処罰しているかどうか」という第一段階の問題と
・「規制が自由にどの程度の萎縮効果を与えるか」という第二段階の問題
を分けて検討する必要があります。
② 表現の自由論について
一方で、国旗損壊行為が表現としての性質を持つ場合があることも否定できません。
その意味で、萎縮効果への懸念には一定の理解可能性があります。
しかし、判例が示すように、
 表現の自由は重要であると同時に、調整を前提とする自由である
という点を踏まえる必要があります。

法の支配とは何か

憲法論とは、単に
 どちらが正しいか
を決める作業ではありません。
それはむしろ、
 どのような根拠でその結論に至るのかを積み重ねる作業
であると考えられます。
法の支配の意味
法の支配とは、
・感情ではなく法的根拠で判断すること
・権威ではなく理由で説明すること
・結論ではなくプロセスを重視すること
を意味します。
憲法論の役割
憲法論は、
 社会の対立を「感情の対立」から「理由の対立」に変える装置
であるといえます。
本稿の位置づけ
本稿では、
・条文
・判例
・刑法理論
を手がかりに問題を構造的に整理してきました。
これはまさに、法の支配の実践であるといえます。

第三部への接続

第二部では日本国内の憲法構造を検討しましたが、この問題は国内法にとどまりません。
第三部では視点をさらに広げ、
・アメリカ・ドイツ・フランスにおける国旗規制
・国際人権法との関係
・国家象徴と自由のバランス
を検討いたします。
その上で最終的に、
 自由民主主義社会において国旗はどのように扱われるべきか
を考察します。
そして本シリーズ全体の結論として、日本弁護士連合会(日弁連)という法曹団体に対し、
 批判ではなく「在野の法曹への期待」
という観点から総括を行う予定です。
【一口メモ】「法曹」とは?
「法曹」とは、法律の専門家として司法を担う人々の総称です。日本では一般に、裁判官・検察官・弁護士の三者をまとめて「法曹三者」と呼びます。それぞれ立場や役割は異なりますが、いずれも法の支配を支える重要な存在です。

総括

憲法論は、最終的には裁判所によって違憲・合憲という形で結論が示されることがあります。
その意味で、実務的には「判断の帰結」が重要であることは間違いありません。
しかし、その結論に至る過程に注目すると、憲法論の本質は単なる勝敗決定ではなく、別の側面を持っています。
それは、
 どのような根拠によって、その結論に到達するのかを積み重ねる作業
であるという点です。
■法の支配の意味
法の支配とは、
・感情ではなく法的根拠で判断すること
・権威ではなく理由で説明すること
・結論だけでなく、その導き方を重視すること
を意味します。
■社会的意義
憲法論は、社会に存在する複数の価値の対立を、
 「どちらが正しいか」という単純な対立から
 「どのような理由で調整されるべきか」という構造的議論へ
変換する役割を持っています。
そしてその理由の積み重ね方こそが、「法の支配」の実質を形作っているのです。

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