はじめに
第一部では、日弁連が公表した「国旗損壊罪法案に反対する会長声明」をできる限り正確に読み解き、その主張の内容を確認しました。
第二部では、その声明で示された「内心の自由(憲法第19条)」と「表現の自由(憲法第21条)」という二つの憲法論について、日本国憲法や刑法の基本原則、そして判例の考え方を踏まえながら検討しました。
その結果、本法案は内心そのものを処罰対象とする構造にはなっておらず、議論の中心は「表現の自由に対する制約をどのように考えるか」という点にあることを確認しました。
もっとも、この問題は日本だけで議論されている特殊なテーマではありません。
自由民主主義を採用する諸外国でも、国家の象徴である国旗をどのように保護し、表現の自由とどのように調和させるかについて、それぞれ異なる制度が採られています。
そこで第三部では、比較法や国際人権法の視点も交えながら、日本における国旗損壊罪法案をより広い視野から考察していきます。
第1章 諸外国は国旗をどのように保護しているのか
国旗は、単なる布ではありません。
多くの国では、国家の歴史や主権、国民共同体を象徴する存在として位置付けられています。
もっとも、その象徴をどの程度まで刑法によって保護するかについては、国によって考え方が大きく異なります。
代表的なのがアメリカ合衆国です。
アメリカでは、連邦最高裁判所が、国旗焼却行為も政治的意思表示である以上、原則として表現の自由によって保護されるとの判断を示しています。
国家に対する強い批判や抗議であっても、それが政治的表現である以上、政府が処罰すべきではないという考え方が採られているのです。
一方、ヨーロッパ諸国を見ると、状況はかなり異なります。
ドイツ連邦共和国では、国家やその象徴に対する一定の侮辱行為について刑法による保護が設けられています。
これは、第二次世界大戦後の歴史や憲法秩序の形成過程を背景として、民主的な国家秩序そのものを保護するという考え方が反映されていると理解されています。
また、フランス共和国でも、一定の場合には国旗に対する侮辱的行為が処罰の対象となる制度があります。
もちろん、これらの国々でも表現の自由は重要な基本的人権として保障されています。
しかし、その保障は絶対無制限ではなく、国家の象徴や公共の利益との調整が図られています。
このように比較してみると、
・表現の自由を極めて広く保障する立場
・国家象徴の保護をより重視する立場
という二つの方向性が存在し、その中で各国が歴史や憲法秩序に応じた制度設計を行っていることが分かります。
したがって、「自由民主主義国家であれば必ず国旗損壊を自由としている」というわけでも、「必ず処罰している」というわけでもありません。
各国は、それぞれの歴史的・社会的背景を踏まえながら、表現の自由と国家象徴の保護との調和を図っていると整理することができます。
第2章 国際人権法はこの問題をどのように考えているのか
それでは、国際人権法はどのような立場を採っているのでしょうか。
国際人権法においても、表現の自由は民主主義社会を支える基本的人権として広く保障されています。
しかし、それは絶対無制限の権利ではありません。
例えば、自由権規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)第19条は、表現の自由を保障する一方で、
・他人の権利や信用(名誉や社会的評価)の尊重
・国の安全
・公の秩序
・公衆の健康
・公衆道徳
などのために、法律による一定の制約を認めています。
ここで重要なのは、国際人権法もまた、
「表現の自由か、規制か」という二者択一で考えているわけではない
という点です。
重要なのは、
その規制が法律に基づき、正当な目的のために設けられ、必要かつ合理的な範囲にとどまっているか
ということです。
この考え方は、「必要性」や「比例性」といった概念として整理され、日本の憲法学や判例理論とも共通する部分があります。
つまり、国際人権法の立場から見ても、
国家の象徴を保護するための法律が存在することだけをもって、直ちに表現の自由に反し、違憲又は国際人権法違反となるわけではありません。
問題となるのは、その規制が目的との関係で合理的かつ必要最小限のものとなっているかどうかです。
したがって、今回の国旗損壊罪法案についても、
「国旗を保護する法律だから違憲」
あるいは
「国家の象徴を守るのだから当然に合憲」
という単純な議論ではなく、
具体的な条文の内容や保護法益、規制の必要性・比例性を踏まえて検討することが求められると考えられます。
【後半の予告】
【第三部・後半】では、比較法と国際人権法による整理を踏まえ、日本法の位置付けを改めて検討します。
さらに、日本の刑法に既に存在する外国国章損壊罪(刑法第92条)との比較を通じて、日弁連声明の憲法論が論理的に整合しているのかを検討します。
そして最後に、本シリーズ全体の結論として、「法の支配」とは何か、法曹団体に求められる社会的役割とは何かについて、改めて考えてみたいと思います。