外国人への生活保護をめぐる誤解――一つの事例から考える、「法律による行政」が支える制度の決め方【後編】

新常識
厚生労働省社会・援護局

第四章 本当に議論されるべきだったこと

ここまで見てきたように、最高裁判所は、外国人は生活保護法上の権利者ではないと判断しました。
一方で、現実には昭和29年(1954年)の厚生省社会局長通知に基づき、一定の在留外国人に対して生活保護に準じた保護が行われています。
ここで私が問題にしたいのは、「外国人に生活保護を認めるべきか」という政策論ではありません。
仮に認めるべきだという考え方に立つとしても、なお考えなければならない問題があります。
それは、
このような重要な制度は、本来どのような手続で決められるべきなのか。
ということです。

昭和29年当時、日本は戦後復興の途上にあり、現在とは社会状況も行政を取り巻く環境も大きく異なっていました。
行政に対する社会の信頼も現在とは比べものにならないほど高く、行政手続法や情報公開制度なども、まだ整備されていませんでした。
したがって、当時の行政通知を、現在の価値観だけで単純に評価することは適切ではないでしょう。
しかし、その後、日本社会は大きく変化しました。
高度経済成長を経て国際化が進み、平成元年の入管法改正以降は、日本で働き、生活し、長期間在留する外国人が年々増加してきました。
今日では、日本社会において外国人政策そのものが重要な政策課題の一つとなっています。
そのような社会の変化があったにもかかわらず、外国人への生活保護の扱いについては、法律による明確な整理が行われることなく、行政通知による運用が現在まで続いてきました。
もちろん、その運用を維持することが適切だったと考える人もいるでしょう。
逆に、法律によって改めて制度を整理すべきだったと考える人もいるでしょう。
意見は分かれて当然です。

しかし、どちらの立場であったとしても、一つだけ共通して言えることがあります。
それは、外国人への生活保護のように、国民の関心が高く、社会的な影響も大きい制度については、そのあり方を国会で議論し、法律という形で国民に示す機会があってもよかったのではないか、ということです。
法律を改正するのであれば、その理由を政府は説明しなければなりません。
国会では賛成・反対の双方から議論が行われます。
報道機関も論点を伝えます。
そして主権者である国民も、その内容を知り、自分なりに考えることができます。
それが議会制民主主義であり、法治国家における政策決定の基本的な姿ではないでしょうか。
私がこの記事で問いかけたいのは、「外国人への生活保護に賛成か、反対か」ではありません。
社会が大きく変化した現在、外国人への生活保護という制度について、法律による行政という原則に照らして、国会で改めて議論し、法律として整理する必要はないのか。
そのことを、一人でも多くの人に考えていただきたいのです。

平成元年の入管法改正以降、日本で働き、生活する外国人は大きく増加しました。
その後も、技能実習制度、特定技能制度、育成就労制度(令和9年4月1日施行)など、日本は外国人材を受け入れるための制度を段階的に整備し、外国人と共に暮らす社会へと歩みを進めてきました。
こうした変化は、一時的なものではありません。
日本社会の姿そのものが、平成初期とは比べものにならないほど大きく変わったと言えるでしょう。
だからこそ、外国人への生活保護という制度についても、「昭和29年から続いている運用だから」という理由だけで済ませるのではなく、現在の社会状況に照らして、法律としてどう位置付けるべきなのかを改めて議論する時期に来ているのではないでしょうか。
その議論の結論が、制度を法律で明確に位置付けることであっても、あるいは制度を見直すことであっても構いません。
大切なのは、社会が大きく変化した現在にふさわしい形で、国会が国民に説明しながら議論を尽くし、その結果を法律として示すことです。

おわりに:法治国家では、「何を決めたか」だけでなく、「どう決めたか」も問われる

この記事では、「外国人への生活保護は認めるべきか、認めるべきではないか」という結論を示すことを目的にはしませんでした。
なぜなら、この問題にはさまざまな価値観があり、社会保障のあり方についても、多様な考え方があるからです。
しかし、どのような立場であっても、共通して考えることのできる問いがあります。
それは、
「このような重要な制度は、誰が、どのような手続で決めるべきなのか。」
という問いです。

日本には、「結果が良ければすべて良し」という考え方を表すことわざがあります。
しかし、法治国家は、そのような考え方だけでは成り立ちません。
もちろん、制度の結論は重要です。
国民生活に大きな影響を及ぼす以上、その結論が法律や憲法に照らして適切であり、社会にとって妥当なものでなければなりません。
一方で、その結論へ至るまでの手続も同じように重要です。
法治国家では、結論も、そこへ至る手続も、どちらも大切にされます。
法律に基づいた適正な手続を経て、公正で妥当な結論を導くこと。
その両方が求められるのです。
だからこそ、社会に大きな影響を及ぼす制度については、「何を決めたか」だけでなく、「どのような手続で決めたか」も問われます。
もし外国人への生活保護を認めることが日本社会にとって必要だと考えるのであれば、その理由を政府が国民に説明し、国会で十分な議論を尽くし、法律という形で制度を整える。
逆に、制度を見直すべきだと考えるのであれば、それもまた、国会で議論し、法律を改正するという手続を経るべきでしょう。
結論は人によって異なっても、制度を決める過程は、誰に対しても開かれ、民主的で、透明であることが求められます。
私は、それが法治国家であり、議会制民主主義のあるべき姿だと考えています。

この記事が、外国人への生活保護に対する賛否を競い合うためではなく、
法治国家では、制度はどのような手続を経て決められるべきなのか。
その原点について、一人でも多くの方と考えるきっかけになれば幸いです。
問うべきは、外国人か日本人かではない。
法治国家では、「何を決めるか」と同じくらい、「どう決めるか」が重要である。

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