SNSでは、「外国人への生活保護は違法だ」「最高裁判所も認めている」といった相反する情報が飛び交っています。
しかし、本当に問われるべきなのは、その賛否ではありません。
法治国家では、社会に大きな影響を及ぼす制度を、誰が、どのような手続で決めるべきなのか。
外国人への生活保護を題材に、「法律による行政」と議会制民主主義の原点から、この問題を考えてみます。
第一章 「違法だ」「最高裁判所も認めている」――SNSで広がる二つの誤解
物価の上昇が続き、生活に不安を感じる人が増えている今、生活保護制度への関心は以前にも増して高まっています。
そんな中、SNSでは外国人への生活保護をめぐって、次のような意見を目にすることがあります。
「外国人への生活保護は違法だ。」
一方で、これとは正反対に、
「最高裁判所も外国人への生活保護を認めている。」
という投稿も見かけます。
どちらが正しいのでしょうか。
実は、どちらも正確とは言えません。
前者は、現在行われている行政上の運用を十分に踏まえていません。
後者は、最高裁判所が実際に判断した内容を正確に伝えているとは言えません。
つまり、SNSでは「違法か、適法か」という二者択一の議論になりがちですが、本当に重要な論点は、実は別のところにあります。
この問題は「外国人に生活保護を認めるべきか」という賛否だけで語れるほど単純ではないということです。
本当に問われるべきなのは、
「このような重要な制度は、誰が、どのような手続で決めるべきなのか。」
という点ではないでしょうか。
日本は法治国家です。
国会が法律を制定し、行政はその法律に従って仕事をします。
これは民主主義国家の基本的なルールであり、私たちの自由や権利を守るための大切な仕組みでもあります。
ところが、外国人への生活保護をめぐる議論では、この最も重要な視点がほとんど語られていません。
そこでこの記事では、
最高裁判所は何を判断したのか。
なぜ外国人にも生活保護が支給されているのか。
そして、本当に議論すべき論点は何なのか。
これらを、できるだけ専門用語を使わず、高校生でも理解できるように整理してみたいと思います。
なお、この記事は「外国人に生活保護を認めるべきか、認めるべきでないか」という政策論を目的としたものではありません。
私がこの記事で考えたいのは、「外国人に生活保護を認めるべきか」という結論ではありません。
法治国家では、社会に大きな影響を及ぼす制度を、誰が、どのような手続で決めるべきなのか。
その原点に立ち返って、この問題を一緒に考えてみたいと思います。
第二章 最高裁判所は何を判断したのか
外国人への生活保護をめぐる議論では、
「最高裁判所も認めている。」
という説明を見かけることがあります。
しかし、これは最高裁判所の判決を正確に表現しているとは言えません。
最高裁判所がこの問題について判断を示したのは、平成26年(2014年)7月18日の判決です。
この判決で最高裁は、生活保護法に書かれている「国民」とは日本国民を意味し、外国人は生活保護法上の権利者には含まれないと判断しました。
言い換えれば、外国人には、生活保護法に基づいて生活保護を請求できる法律上の権利は認められていない、ということです。
ここは、この判決を理解するうえで最も重要なポイントです。
では、この判決によって外国人への生活保護は違法になったのでしょうか。
それも違います。
最高裁判所は、昭和29年(1954年)以来、厚生省(当時)の通知に基づいて、一定の在留外国人に対して生活保護に準じた保護が行われてきたという行政上の運用が存在することも認めています。
ただし、それは生活保護法に基づく権利として認められているものではなく、行政上の措置として行われているものだと整理しました。
つまり、最高裁判所は、
「外国人は生活保護法上の権利者ではない。」
ということと、
「行政上の措置として保護が行われている。」
という二つを区別して判断したのです。
そのため、SNSなどで見かける
「最高裁は外国人への生活保護を認めた。」
という説明も、
「外国人への生活保護は最高裁が違法と判断した。」
という説明も、
どちらも判決の内容を正確に伝えているとは言えません。
最高裁判所が判断したのは、「外国人は生活保護法上の権利者ではない」という点です。
そして、行政上の運用については、その存在を前提として判決を行っています。
ここまでは、判決から読み取ることのできる事実です。
しかし、ここで新たな疑問が生まれます。
生活保護法では外国人は権利者ではない。
それにもかかわらず、なぜ行政は通知に基づいて保護を行うことができるのでしょうか。
その疑問を考えるためには、日本の行政を支える、もう一つの基本原則を知る必要があります。
第三章 本当に問われるべきは「法律による行政」の原則
ここで、一つだけ行政法の基本的な考え方を紹介したいと思います。
難しい言葉では「法律による行政の原理」、あるいは「法律行政主義」と呼ばれています。
名前は少し難しく聞こえますが、考え方はとてもシンプルです。
国や役所は、法律に基づいて仕事をしなければならない。
そして、
法律に書かれていないことを、役所が独自の判断で決めてはならない。
これが法治国家の基本的なルールです。
言い換えれば、
「立法府である国会がルールを決め、行政はそのルールに従って仕事をする。」
という役割分担です。
私たちは普段あまり意識しませんが、この仕組みがあるからこそ、行政が担当者の考え一つで国民の権利や義務を左右することを防ぐことができます。
私は長年、出入国管理行政に携わってきました。
出入国管理行政では、この原則は日々の仕事そのものでした。
外国人には、日本国憲法上、「日本へ入国する権利」は保障されていません。
しかし、入管法(正式名称「出入国管理及び難民認定法」)は、一定の条件を満たした外国人について、
「上陸を許可しなければならない。」
と定めています。
つまり、外国人が日本へ入国できるのは、役所の好意でも特別扱いでもありません。
国会が制定した法律が、その条件を満たした外国人には上陸を許可するよう行政に命じているからです。
逆に言えば、法律に根拠がなければ、役所は「今回は特別だから」と自由に上陸を許可することも、「今回は気に入らないから」と恣意的に許可しないこともできません。
これが「法律による行政」の考え方です。
もちろん、この原則は出入国管理行政だけに当てはまるものではありません。
税金を徴収するときも、営業許可を出すときも、年金を支給するときも、行政は法律に基づいて仕事をしています。
だからこそ、多くの人は、役所の仕事は「法律どおりに行われるもの」だと考えているのです。
それでは、生活保護について考えてみましょう。
生活保護法には、保護の対象は「国民」と書かれています。
そして、最高裁判所は、この「国民」とは日本国民を意味し、外国人は生活保護法上の権利者には含まれないと判断しました。
それにもかかわらず、現在は昭和29年の厚生省通知に基づいて、一定の在留外国人に生活保護に準じた保護が行われています。
ここで私が考えたいのは、
「外国人に生活保護を認めるべきか。」
という政策論ではありません。
もし外国人にも生活保護を認めることが望ましいというのであれば、そのような重要な制度は、本来、国会で法律を改正し、国民に理由を説明したうえで決めるべきではなかったのでしょうか。
私は、この問いこそが、本当に議論されるべき論点だと考えています。
【後編】へ続く

