「教育」を語らず、「戦争」を叫ぶ政治 ― 若い世代ほど冷静に見てほしい

時代の一歩先

本来問われるべきだったのは何か

れいわ新選組の奥田ふみよ参議院議員の国会質疑を見て、強い違和感を覚えました。
『同志社国際高等学校の研修旅行等について(これまでの把握事項と文部科学省の見解)』で明らかにされた、同高校に対する文部科学省の判断について、奥田議員は「教育基本法違反認定を撤回すべきだ」と迫りました。
これに対し、松本文部科学大臣は「撤回しない」と答弁しました。
ここまでは、教育行政をめぐる議論として成立しています。
しかし、その後に飛び出した、
「この問題の根本は、高市自民が国民を無視して戦争準備を推し進めてる事なんですよ!」
という趣旨の発言には、正直、驚かされました。
なぜなら、この問題で本来問われるべき論点と、あまりにもかけ離れているからです。
もちろん、
「在日米軍基地の辺野古移設に反対する」
「安全保障政策に反対する」
「防衛力強化に反対する」
――そうした政治的意見そのものは、民主主義社会では自由です。
それ自体を問題にしたいわけではありません。
問題なのは、“何でもそこへ結び付けてしまう政治姿勢”です。
今回、本来議論されるべきだったのは、
・教育基本法14条の法解釈
・学校教育における政治的中立性
・今回の平和教育の具体的内容
・学校側の運営責任
・辺野古沖転覆事故との関係
といった、極めて具体的な問題だったはずです。
しかも、この件では実際に事故が起き、人命も失われています。
だからこそ、本来必要なのは、
「誰が正義か」
というスローガンではなく、
「教育現場で何が行われていたのか」
「学校側はどこまで関与していたのか」
「政治的メッセージは含まれていたのか」
「事故との関係はどうだったのか」
という冷静な検証のはずです。

「強い言葉」で論点をすり替える危うさ

ところが、そこで突然、
「戦争準備」
という巨大な政治ワードが持ち込まれます。
こうなると、話の重心は、
「教育問題」
から、
「反戦か、
軍備拡張か」
というイデオロギー対立へ移ってしまいます。
しかし、それは本当に問題の解明につながるのでしょうか。
むしろ、
具体的な検証を曖昧にし、
感情的な印象だけを強く残す政治手法に見えてしまいます。
最近の政治やSNSでは、こうした現象が非常に増えています。
本来は別々に議論すべき問題なのに、
「差別」
「戦争」
「民主主義」
「平和」
「人権」
といった強い言葉へ、何でも接続してしまうのです。
すると、人は冷静な検証より先に、
「それは悪いことだ」
という感情で反応しやすくなります。
しかし、それは時に、
論点そのものを見えにくくしてしまいます。
特に若い世代ほど、そこは注意深く見た方がよいでしょう。
なぜなら、人生経験が浅いうちは、
「強い言葉を使う人」
が、
「正しい人」
に見えやすいからです。
ですが、本当に重要なのは、
刺激的な言葉を叫ぶことではありません。
論点を整理し、
事実を確認し、
感情ではなく筋道で語っているかどうかです。

スローガンではなく、事実を見る姿勢を

今回の件で問われるべきなのは、
「どちらの政治思想が正しいか」
ではありません。
教育現場で何が行われ、
どこまでが
学校教育で、
どこからが政治的誘導なのか。
そして、
事故をめぐる問題が、
政治的スローガンによって“別の話”へすり替えられていないか。
そこを冷静に見ることの方が、はるかに重要です。
「戦争準備」という大きな言葉に飲み込まれる前に、
まず足元の事実を見る。
それこそが、
SNS時代を生きる私たちに求められている姿勢なのではないでしょうか。

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