外国人政策をめぐる議論では、『制度を作らず外国人を受け入れた』という批判をよく目にします。その問題意識には、私も理解できる部分があります。しかし、平成初期の出入国管理行政の現場を知る一人として、どうしても補っておきたい歴史があります。本稿は、過去を弁護するためではなく、これからの制度設計を考えるために、その歴史を振り返る試みです。
はじめに――「制度を作れ」という声に、私も基本的には賛成です
最近、SNSで外国人政策に関する議論を見ていると、次のような意見を目にすることが少なくありません。
「受け入れるなら、在留資格、労働、生活ルール、違反時の対応、地域との調整まで、最初から制度を整えておくべきだった。」
私は、この問題意識そのものには基本的に賛成です。
現実に、制度整備が十分とは言えないまま外国人の受け入れが拡大し、自治体や地域住民が対応に苦慮している事例は数多くあります。外国人の側から見ても、「日本が来てよいと言ったから来たのに、後からルールを変えられた」と感じる場面があるでしょう。
制度は、受け入れる前に整えておくべきだった。
この指摘自体は、決して間違っていません。
しかし、その一方で、私は長年、出入国管理行政に携わった者として、どうしても付け加えておきたいことがあります。
それは、現在広く語られている「制度を作らずに外国人を受け入れた」という説明だけでは、日本が歩んできた歴史を十分には説明できないということです。
もし、その背景を知らないまま「政治が悪かった」「行政が悪かった」と結論づけてしまえば、同じ失敗を繰り返す可能性があります。
だからこそ今回は、当時を知る立場から、「なぜ日本はそのような選択をしたのか」という歴史的経緯を、できるだけ分かりやすく振り返ってみたいと思います。
第一章 「制度を作らなかった」のではなく、「制度が必要ない」と考えられていた時代
現在、50代前半以下の世代、とりわけ20代、30代の方々の多くは、バブル経済を社会人として体験していません。幼少期や学生時代に記憶があったとしても、その時代の空気や政策判断を実感として知る世代ではありません。大学卒業後に社会へ出た頃には、日本は「失われた30年」と呼ばれる長い停滞の時代に入っていました。
その世代にとっては、「外国人が日本で生活し続けること」は、ごく当たり前の光景です。
だからこそ、
「なぜ最初から制度を整えなかったのか。」
という疑問を抱くのは、ごく自然なことです。
しかし、1980年代から1990年代初頭にかけての日本は、現在とはまったく違う国でした。
当時の日本は世界有数の経済大国であり、アジア諸国との所得格差も現在とは比較にならないほど大きかったのです。
日本で数年間働いて得られる収入は、多くの国では帰国後の人生を大きく変えるほどの価値を持っていました。
そのため、外国人労働者は「日本に定住する人」ではなく、「一定期間働き、母国へ帰る人」というイメージが社会全体に広く共有されていました。
もちろん、例外はありました。
しかし、政策を考える上では、「基本的には出稼ぎ労働者である」という前提が、ごく自然なものとして受け止められていたのです。
その前提に立てば、本格的な社会統合政策を急ぐ必要はない――。
今から振り返れば甘い見通しだったと言えるかもしれません。
しかし、それは当時の政治家だけがそう考えていたのではありません。
経済界も、多くの国民も、そして行政の多くの部門も、程度の差こそあれ、その認識を共有していました。
つまり、「制度を作らなかった」のではなく、「そこまでの制度はまだ必要ない」と考えられていた時代だったのです。
この違いは、現在の外国人政策を考える上で、とても重要な意味を持っています。
第二章 なぜ社会統合政策は採用されなかったのか――当時の「常識」を振り返る
現在の視点から振り返ると、「外国人を受け入れるなら、なぜ最初から社会統合政策を整えなかったのか」という疑問は、ごくもっともに思えます。
しかし、この問いに答えるためには、当時の「常識」を理解する必要があります。
まず押さえておきたいのは、昭和の終わりから平成初期にかけての日本では、「日本は移民国家ではない」という認識が、政治・行政・経済界、そして世論に至るまで、広く共有されていたということです。
もちろん、外国人を一切受け入れないという意味ではありません。
実際には、日系人の受け入れや、専門的・技術的分野の外国人材の受け入れなど、さまざまな制度が整備されていきました。
しかし、それらはあくまでも「移民政策」とは別のものだという理解が一般的でした。
外国人労働者についても、「一定期間、日本で働き、やがて母国へ帰る人」という見方が強く、将来、日本社会に定着していくことを政策の前提として考える発想は、少なくとも社会全体では主流ではありませんでした。
では、そのような認識は、単なる楽観論だったのでしょうか。
私は、そう単純には考えていません。
もちろん、ここから先は、当時を振り返っての私自身の考察になります。
当時の日本は、世界有数の経済大国でした。周辺諸国との所得格差も現在とは比べものにならず、日本で数年間働いて得た収入は、母国では住宅の建設や事業の開始につながるほど大きな価値を持っていました。
また、日本語は外国人にとって習得が容易な言語ではありません。歴史的にも、日本は西ヨーロッパ諸国とは異なる社会的・文化的背景を持っていました。
さらに、日本人の多くは外国人そのものに強い拒否感を持っていたわけではない一方で、「日本へ移民として定着すること」については、慎重な見方が根強く存在していました。
こうした事情を総合すれば、「西ヨーロッパで起きたような外国人労働者の定着化は、日本では同じようには進まないだろう」と考える人が少なくなかったとしても、不思議ではありません。
重要なのは、当時の政策担当者や研究者が、西ヨーロッパの経験をまったく知らなかったわけではないということです。
少なくとも、その分野の専門家であれば、西ドイツやフランスなどで、出稼ぎ外国人労働者が次第に定着し、家族を呼び寄せ、移民社会へと変化していった経緯は広く知られていました。
それでもなお、日本では「同じ歴史は繰り返されないだろう」という見方が、社会全体としては優勢だったのです。
結果として、その見通しは現実と異なる部分がありました。
しかし、ここで大切なのは、「当時の人々は何も知らなかった」と考えることではありません。
海外の先行事例を知ったうえで、日本は条件が違う、日本では同じことは起こりにくい――そうした時代の前提の上に、外国人政策は組み立てられていったのです。
この「前提」を理解しないままでは、「なぜ社会統合政策が整備されなかったのか」という問いにも、正確な答えは見えてきません。
第三章 実は、社会統合という発想は当時すでに存在していた
ここまで読まれた方の中には、
「では、当時は誰も社会統合政策の必要性を考えていなかったのか。」
そう思われた方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、それもまた事実とは少し異なります。
私は今でも、一冊の本を大切に保管しています。
平成元年に刊行された『外国人労働者と経済社会の進路』という調査報告書です。
これは、昭和63年度に経済企画庁(当時)が三井情報開発株式会社総合研究所へ委託した調査研究を取りまとめたものです。
この報告書は、外国人労働者の受け入れ方を、
「現状放置型」
「閉鎖型」
「出稼ぎ・コントロール型」
「インテグレーション型(社会統合型)」
の四つに整理した上で、それぞれの経済的・社会的影響を比較・検討しています。
そして、その結論は、現在読んでも驚くほど示唆に富んだものでした。
報告書は、長期的な基本戦略としては「インテグレーション(社会統合)を伴う質の高い受け入れ」が望ましいとした上で、西ドイツの経験などを参考にしながら、「どのような受け入れ方を行うにせよ、初期段階からインテグレーションに取り組むことが重要である」と提言しています。
さらに、「外国人労働者は、単なる労働サービスの提供者ではなく、日本の社会で生活し、活動する人間である」と述べ、外国人を「労働力」としてだけではなく、一人の生活者として捉える視点の重要性を指摘しています。
また、当面は「出稼ぎ・コントロール型」を採る場合であっても、それと並行して、社会統合のための人材育成や制度、ノウハウを整備し、その蓄積に応じて、留学生や高度人材などから段階的に受け入れを広げていくという、現実的かつ段階的な構想まで示していました。
私は、この報告書を何度も読み返しました。
そこに書かれていた考え方は、私自身が当時抱いていた問題意識と重なる部分が少なくなかったからです。
もちろん、この報告書が唯一の正解だったと言うつもりはありません。
また、「この提言を採用していれば、今日の問題は起きなかった」と単純に言うこともできないでしょう。
政策とは、その時代の政治、経済、国際情勢、国民意識など、さまざまな条件の中で選択されるものだからです。
しかし、私がお伝えしたいのは、別のところにあります。
昭和から平成へ移るあの時代、日本は何も考えずに外国人政策を進めていたわけではありません。
多くの議論がありました。
さまざまな選択肢が検討されました。
そして、その中から、日本は一つの道を選びました。
私たちが今日振り返るべきなのは、「誰が悪かったか」ではありません。
なぜ、その道が当時の日本にとって最も現実的だと考えられたのか。
その歴史を理解して初めて、これからの外国人政策を、感情論ではなく、事実に基づいて冷静に議論できるのではないでしょうか。
第四章 私が見た平成元年前後――「社会統合」を語りにくかった時代
ここで、少しだけ私自身の経験を書かせていただきます。
私は、平成元年の入管法改正そのものに携わったわけではありません。
平成2年4月、改正入管法の施行準備のため、上陸審査基準を定める法務省令の作成作業に携わることになりました。
その後、施行日の同年6月1日までに在留資格「研修」の審査基準の整備が完全には間に合わなかったことから、中小企業協同組合などが研修事業の主体となるための法務省告示の作成を担当しました。
こうした施行準備に携わる中で、私は上司や先輩方から、平成元年改正をめぐるさまざまな経緯や舞台裏を聞く機会がありました。
もちろん、それらは私自身が政策決定の場に同席して見聞きしたものではありません。
しかし、改正法を実際に運用する立場として、多くの話を聞き、私自身も深く考えるようになりました。
その頃、私は、平成元年に刊行された経済企画庁の調査報告書『外国人労働者と経済社会の進路』を購入し、何度も読み返していました。
そこには、西ドイツなどの経験を踏まえれば、当面は「出稼ぎ・コントロール型」の受け入れを行うとしても、並行して社会統合のための制度や人材、ノウハウを整備していくことが重要であるという考え方が示されていました。
私は、その考え方に強い関心を持ちました。
それは、「外国人をもっと受け入れるべきだ」と考えたからではありません。
むしろ逆です。
当時の私は、日本が「移民国家ではない」という基本方針を前提とするのであれば、なおさら将来起こり得る現実も見据えて制度を考える必要があるのではないか、と考えていました。
西ドイツやフランスでは、出稼ぎ労働者として受け入れられた人々の一部が定着し、家族を呼び寄せ、社会統合という新たな課題が生じていました。
その経験からすれば、日本でも同じような現実が将来生じる可能性は、決して否定できないのではないか。
それが、当時の私の問題意識でした。
しかし、そのような考え方は、当時の組織の中では決して多数派ではありませんでした。
「社会統合」という言葉そのものが、「移民国家になることを前提にした議論ではないか」と受け止められかねない空気があったのです。
実際、私がそうした問題意識を口にすると、「君は開国派なのか」という趣旨の反応を受けたこともありました。
今の感覚では、少し意外に思われるかもしれません。
しかし、それほどまでに、「日本は移民国家ではない」という前提は強固でした。
だからこそ、誤解のないように申し上げたいことがあります。
私は、社会統合政策そのものを推進したかったのではありません。
社会統合政策が必要になるような現実が将来生じる可能性を考え、その場合に備えた準備も視野に入れるべきではないか、と考えていただけなのです。
振り返れば、その考え方は当時の主流ではありませんでした。
しかし、だからといって、当時の人々を「先が見えていなかった」と批判するつもりもありません。
当時は当時なりの合理性がありました。
多くの人が、日本は西ヨーロッパとは条件が違うと考えていました。
その前提の上で政策は組み立てられ、行政もまた、その政策を誠実に執行していたのです。
だから私は、平成元年前後を振り返るたびに思います。
歴史とは、「誰が正しかったか」を競うために振り返るものではありません。
その時代の人々が、なぜその判断を合理的だと考えたのかを理解するために振り返るものです。
外国人政策もまた、その例外ではないのです。
終章 歴史を知ることは、未来の制度を考えること
この記事を書こうと思ったきっかけは、SNSで見かけた一つの投稿でした。
そこには、
「制度を作らず外国人を受け入れた。」
という趣旨のことが書かれていました。
私は、その問題意識そのものを否定するつもりはありません。
むしろ、現在の外国人政策を考える上では、制度整備が極めて重要であるという点について、私も基本的には同じ考えです。
しかし、その一方で、私はどうしても伝えておきたいことがありました。
それは、日本が何も考えず、漫然と外国人政策を進めてきたわけではないということです。
昭和から平成へ移るあの時代には、さまざまな議論がありました。
外国人労働者の受け入れ方についても、複数の選択肢が検討されていました。
社会統合という考え方も、決して存在しなかったわけではありません。
その上で、日本は一つの道を選んだのです。
その選択が正しかったのか、誤っていたのか。
それは、今日に至ってなお議論が続いています。
しかし、少なくとも言えるのは、その選択は当時の時代背景、経済状況、国際環境、そして「日本は移民国家ではない」という社会全体の前提の中で、「最も現実的だ」と考えられた結果だったということです。
だから私は、「制度を作らなかった」という結果だけを見て、過去の政治や行政を単純に批判することには慎重でありたいと思っています。
同時に、「だから当時の判断は正しかった」と言いたいわけでもありません。
歴史は、過去を正当化するために学ぶものではありません。
過去を断罪するためだけに振り返るものでもありません。
その時代の人々が、なぜその判断を合理的だと考えたのかを理解し、その経験から未来の制度設計に生かすために学ぶものです。
現在、日本では外国人との共生が現実の課題となっています。
それを「移民政策ではない」という言葉だけで説明することは、もはや難しくなっています。
だからこそ、これから必要なのは、感情的な賛成・反対ではありません。
外国人をどのような分野で、どの程度受け入れるのか。
定住をどこまで想定するのか。
地域社会への支援はどうあるべきか。
日本語教育、子どもの教育、労働環境、社会保障、そしてルール違反への対応を、どのような制度として構築していくのか。
そうした課題を、一つひとつ現実に即して議論していくことです。
外国人政策とは、外国人だけの問題ではありません。
日本という社会を、これからどのような国にしていくのかという、日本人自身の選択でもあります。
そして、その選択を誤らないためには、過去の歴史を正確に知ることが欠かせません。
私たちが今日振り返るべきなのは、「誰が悪かったのか」ではありません。
なぜ、その時代の人々は、その選択が最も現実的だと考えたのか。
その問いに向き合うことが、これからの外国人政策を、感情論ではなく事実に基づいて議論するための第一歩になると、私は考えています。
最後に、私がこの文章を通して最もお伝えしたかったことを、一文でまとめます。
歴史を知ることは、過去を弁護することではありません。未来に同じ問いを残さないためです。

