赤根智子ICC所長への米国制裁――ICCの管轄権と「法の支配」をどう考えるべきか(前編)

時事ネタ

「国家の同意」を超える国際刑事司法は、果たして「法の支配」なのか

2026年8月18日、トランプ米政権は、オランダ・ハーグに本部を置く国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長を制裁対象に指定しました。
赤根氏は、日本人として初めてICC所長を務めている人物です。
米国政府は、ICCが米国やイスラエルなど、ローマ規程に参加していない国の政府関係者に対して捜査・逮捕・訴追を行っていることを問題視し、今回の制裁を行いました。米国務長官は、赤根氏らが「政府がICCの管轄権に同意していない国の政府関係者」をICCが捜査・逮捕・拘禁・訴追する取り組みに直接関与したことを制裁理由として挙げています。
これに対してICCは、今回の措置を「裁判所の独立性に対する攻撃」と強く批判しました。
日本政府も8月19日、赤根氏への米国の制裁について「大変遺憾」と表明し、日本がICCを一貫して支持してきた立場を改めて示しました。
日本人である赤根所長が米国から制裁された――。
それだけを見れば、日本人として強い関心を持つのは当然でしょう。
しかし、今回の問題を、
「法の支配を守るICC」対「法の支配を否定する米国・イスラエル」
という単純な構図で捉えてしまってよいのでしょうか。
私は、そう簡単な問題ではないと思います。
むしろ今回、本当に考えるべきなのは、
そもそも国際社会における『法の支配』とは何を意味するのか
という、もっと根本的な問題なのではないでしょうか。
そして、その問いを考えるためには、まず、
「国家の同意」を超える国際刑事司法は、果たして「法の支配」なのか
という問題を避けて通ることはできません。
ローマ規程とは
ローマ規程(Rome Statute)とは、国際刑事裁判所(ICC)を設立し、その組織や権限、裁判の手続などを定めた国際条約です。1998年にローマで採択され、2002年に発効しました。
ICCは、このローマ規程に基づいて、ジェノサイド(集団殺害)、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略犯罪という重大な国際犯罪について、個人の刑事責任を追及します。
日本も2007年にローマ規程を批准しており、現在、120か国を超える国が締約国となっています。
重要なのは、ICCの権限はローマ規程という条約によって与えられているということです。
したがって、今回の問題を考えるうえでは、
「ICCは国際犯罪を裁く重要な裁判所なのだから、その判断は当然に正しい」
と考えるのではなく、
「ローマ規程はICCにどこまでの管轄権を与えているのか」
を確認することが重要になります。
今回のイスラエル問題も、まさにこの点が争われているのです。

1 まず確認したい――今回、何が起きたのか

今回の米国の措置は、単なる外交上の抗議ではありません。
米国は赤根氏らを制裁対象に指定し、米国内にある資産や米国人の管理下に入る資産を凍結するなどの措置を取りました。今回の指定は、トランプ大統領が2025年2月に発出した大統領令に基づくものです。
その背景には、2025年から続いているトランプ政権によるICCへの圧力があります。
トランプ大統領は2025年2月の大統領令で、ICCが米国やイスラエルに対して管轄権を主張することを「正当な根拠のない行為」と位置づけ、ICC関係者への資産凍結や入国制限などの制裁を可能にしました。米国は、米国もイスラエルもローマ規程の締約国ではなく、ICCの管轄権に同意していないことをその根拠の一つとして挙げています。
そして、その背景にある最大の問題の一つが、2024年11月にICCがイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と、当時の国防相だったヨアヴ・ガラント氏に逮捕状を発付したことです。
ここで重要なのは、米国もイスラエルもローマ規程の締約国ではないということです。
したがって、今回の問題を理解するためには、
なぜICCは、ローマ規程に参加していないイスラエルの首相に対して管轄権を行使できると考えているのか
という問題を理解しなければなりません。

2 「ネタニヤフ氏が戦争犯罪を行ったのか」だけが争点ではない

報道を見ていると、
ネタニヤフ首相らに戦争犯罪の疑いがある

ICCが逮捕状を出した

トランプ政権がICCを攻撃している
という流れで説明されることが少なくありません。
しかし、これでは重要な論点が一つ抜け落ちています。
それは、
そもそもICCにはネタニヤフ氏らに対して管轄権を行使する権限があるのか
という問題です。
ここでは、少なくとも三つの問題を分けて考える必要があります。
第一段階
ネタニヤフ氏らの行為は、ローマ規程上の戦争犯罪や人道に対する罪に該当するのか。
第二段階
仮に犯罪が成立するとして、ネタニヤフ氏ら個人に刑事責任を帰属させることができるのか。
第三段階
そもそも、イスラエルがローマ規程の非締約国であるにもかかわらず、ICCはイスラエルの政府高官に対して刑事管轄権を行使できるのか。
この第三段階こそ、今回の問題を考えるうえで極めて重要です。
そして、ここで注意したいのは、第三段階の問題について「ICCに管轄権があるか、ないか」と単純な二択にしてしまわないことです。
実際には、
・パレスチナのローマ規程締約国としての地位
・パレスチナ領域についてのICCの領域的管轄権
・非締約国イスラエルの国民に対する管轄権
・イスラエルによる管轄権への異議
・国家元首等の免責
・締約国による逮捕・引渡し義務
など、複数の法的問題が重なっています。
したがって、より正確な問いは、
ICCが、非締約国イスラエルの政府高官に対して管轄権を行使することは、ローマ規程と国際法上どこまで正当化されるのか
ということになるでしょう。

3 ICC側の法的論理――「犯罪地」による管轄権

では、ICC側はどのような法的根拠を示しているのでしょうか。
ICC側の論理は、単純に、
「イスラエルがICCに加盟しているから」
というものではありません。
イスラエルは加盟していません。
ICCが根拠としているのは、主として犯罪が行われたとされる地域についての領域的管轄権です。
パレスチナは2015年にローマ規程の締約国となり、ICCは2021年、パレスチナの領域について管轄権を有すると判断しました。パレスチナは2015年4月1日にローマ規程の締約国となっており、2021年のICC予審裁判部は、その管轄権の地理的範囲をガザ地区、ヨルダン川西岸地区、東エルサレムに及ぶものとしました。
そのためICC側は、
犯罪を行った人物の国籍国がICC非締約国であっても、犯罪がICCの管轄権の及ぶ領域で行われたのであれば、一定の条件の下でICCは管轄権を行使できる
と考えています。
これは、ローマ規程12条などに基づく法的構成です。
したがって、ここは公平に評価しなければなりません。
ICC側にも、明確な法的根拠があります。
しかも、これはICCが勝手に作り出したルールではなく、ローマ規程そのものが、犯罪地を基礎とする管轄権を認めていることに由来するものです。
だからこそ、問題はさらに先へ進みます。
そのような領域的管轄権を、非締約国であるイスラエルの政府高官にどこまで及ぼすことができるのか。
ここが、本当の争点です。

4 しかし、ここで「問題は解決した」と考えてはいけない

ここが、日本の報道でも特に丁寧に説明されるべきところだと思います。
2024年11月21日、ICC予審裁判部は、イスラエルによる管轄権への異議を退ける判断を示し、ネタニヤフ氏とガラント氏に逮捕状を発付しました。
ただし、その判断によって管轄権問題が永久に決着したわけではありません。
2025年4月24日、ICC上訴裁判部は、イスラエルによる管轄権への異議を退けた予審裁判部の判断を取り消し、その問題を予審裁判部に差し戻しました。ICC自身も、この判断を「上訴裁判部が予審裁判部の判断を取り消し、イスラエルによる管轄権への異議を予審裁判部に差し戻した」と説明しています。
つまり、
「ICCがネタニヤフ氏らに管轄権を持つことは、国際法上完全に決着済みである」
という説明は正確ではありません。
もちろん、これは「ICCに管轄権がない」と決まったという意味でもありません。
重要なのは、
管轄権をめぐるイスラエル側の法的異議が、ICC自身の手続の中でも実質的な審理対象となっている
という事実です。
その後もこの問題について手続が続いていることは、ICCの記録からも確認できます。
したがって、
「ICCの管轄権に疑問を呈すること自体が国際法違反である」
と考えるのは適切ではありません。
管轄権そのものが法的な争点になっている以上、その問題を検証することは当然に認められるべきです。

5 「国家元首だから裁けない」という問題もある

さらに複雑なのが、ローマ規程27条です。
ローマ規程27条は、国家元首、政府の長、政府職員などの公的資格を理由として、ICCにおける刑事責任を免除することはできない、という原則を定めています。
つまり、
「私は首相として行動した」
というだけでは、ICCに対する免責理由にはならない。
これは国際刑事司法の重要な原則です。
国際犯罪について、国家の最高指導者であることを理由に責任追及を免れることを認めてしまえば、重大な国際犯罪が「国家政策」という名のベールの後ろに隠されてしまう危険があります。
ICCの存在意義の一つは、まさにそこにあります。
しかし、ここでも問題が生じます。
ローマ規程27条は、ローマ規程に参加していない国家の国家元首にも当然に適用されるのか
という問題です。
イスラエルは非締約国です。
したがって、
「条約に参加していないイスラエルの首相に対して、締約国間で合意された免責否定のルールをどこまで及ぼせるのか」
という問題が生じます。
これは単純に、
「27条があるから終わり」
と言える問題ではありません。

6 さらにローマ規程98条がある

実は、ローマ規程そのものが、この問題の複雑さを示しています。
ローマ規程98条1項は、ICCが、第三国の国家・外交上の免除に関する国際法上の義務と矛盾する形で、締約国に人物の引渡しや協力を求めることについて、一定の制限を設けています。
つまりローマ規程には、
27条――公的資格による免責を認めない
という規定がある一方、
98条――第三国の免責に関する国際法上の義務との関係を考慮する
という規定もあります。
もちろん、これをもって「27条と98条が単純に矛盾している」と理解すべきではありません。
問題は、
「この二つの規定を、国際法上どのように整合的に解釈するのか」
ということです。
そして、ICC自身の過去の判例でも、国家元首の免責とローマ規程27条・98条の関係は重要な論点として議論されてきました。
したがって、
「ICCは国家元首を裁けることになっている。だから問題はない」
という説明だけでは、法的議論として十分ではありません。
逆に、
「イスラエルは非締約国だから、ICCは絶対にネタニヤフ氏を裁けない」
と断定することも適切ではありません。
ここでも必要なのは、結論を急がず、具体的な条文と国際法上の原則を一つ一つ検証することです。

7 米国側の主張にも、検討すべき法的論点がある

では、米国側は何を主張しているのでしょうか。
もちろん、その背景にはトランプ政権によるイスラエル擁護や、ICCに対する強い政治的反発があります。
しかし、それだけで米国側の法的主張を片付けるのも適切ではありません。
米国政府は2025年の大統領令で、米国もイスラエルもローマ規程の締約国ではなく、ICCの管轄権に同意していない以上、ICCが両国の政府関係者を捜査・逮捕・訴追することは主権を侵害するものだ、という立場を明確に示しています。
2026年8月18日の米国務長官の声明でも、ICCが「政府が管轄権に同意していない国」の政府関係者を捜査・逮捕・拘禁・訴追することに対する反発が、赤根氏らへの制裁理由として明示されています。
ここで重要なのは、米国の主張を、
「戦争犯罪を裁くな」
という主張と同一視しないことです。
少なくとも米国が掲げている中心的な問題は、
「誰が、どの法的根拠によって、誰を裁く権限を持つのか」
という管轄権と国家主権の問題
です。
これは、国際法上、無視してよい論点ではありません。
ただし同時に、
「米国がICCの管轄権に異議を唱える法的論拠を持っていること」と、「米国の主張が最終的に正しいこと」は別問題です。
ここも区別する必要があります。

8 ここで「国家の同意」という国際法の基本原則が出てくる

国内法と国際法の大きな違いの一つが、ここにあります。
日本国内では、日本国憲法と法律によって国家機関の権限が定められています。
しかし国際社会には、国家の上に立つ「世界政府」はありません。
国際裁判所や国際機関の権限は、条約その他の国際法上の根拠によって与えられます。
ICCも例外ではありません。
ICCはローマ規程という国際条約によって設立された裁判所です。
そのため、
「国家が同意していない国際裁判所が、その国家の政府高官に対して刑事管轄権を行使することができるのか」
という問題は、国際法の根本にかかわります。
しかし、ここで忘れてはならないのは、国際刑事司法には、もう一つの重要な価値があるということです。
それは、国家の同意や主権を尊重するだけでは、重大な国際犯罪が国家権力の陰に隠され、不処罰のままになる危険があるという問題です。
だからこそ国際社会は、国家元首や政府高官であっても、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪などの重大な国際犯罪については、個人として責任を問う仕組みを発展させてきました。
ここに、今回の問題の難しさがあります。
「国家の同意」という国際法の基本原則と、重大な国際犯罪を不処罰のままにしないという国際社会の強い理念を、どのように調和させるのか。
これは、単に「国家主権を守るのか、国際人権を守るのか」という二者択一の問題ではありません。
むしろ、国家の同意を基礎とする国際法秩序の中で、重大な国際犯罪に対する個人責任をどこまで、どのような法的根拠によって追及することができるのかという問題なのです。
そして、この二つの価値をどのように調和させるのかという点にこそ、ICCの管轄権をめぐる議論の難しさがあります。

9 だからこそ、「法の支配」という言葉だけでは結論を出せない

ここで今回の問題の本当の核心に近づきます。
ICC側は、
「国際犯罪を犯した者が国家元首や政府高官だからという理由で免責されれば、重大な国際犯罪が処罰されない」
と考えます。
これは、法の支配の重要な考え方です。
権力者だから法の適用を免れる――。
それを認めないことは、近代法の基本原則でもあります。
一方、米国側からすれば、
「国家の同意を超えて国際裁判所が刑事管轄権を拡張すれば、それもまた国際法のルールを逸脱することにならないか」
という問題があります。
こちらもまた、法の支配の問題です。
つまり、
「法の支配を守るICC」対「法の支配を否定する米国」
という単純な構図には
できません
ここで重要なのは、「法の支配」という言葉を、単に「自分が正しいと思う目的を実現すること」と同じ意味にしてしまわないことです。
法の支配とは、正しい目的のためなら、法的な権限の限界を超えてもよいという考え方ではありません。

(後編)へ続く

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