赤根智子ICC所長への米国制裁――ICCの管轄権と「法の支配」をどう考えるべきか(後編)

時代の一歩先

10 「法の支配」とは、そもそも何なのか

法の支配とは、
誰が権力を持っているかにかかわらず、あらかじめ定められた法に従って権力が行使されること

が重要です。
そう考えるなら、ICCに対しても、
「国際犯罪を裁くという目的が正しいのだから、管轄権についての疑問を問題にしてはいけない」
とは言えません。
裁判所自身も、法によって拘束される存在だからです。
同時に米国に対しても、
「自国や同盟国の政府高官を守りたいという政治的動機があるから、その法的主張はすべて無効だ」
とも言えません。
米国の主張についても、その法的根拠を検証しなければならないのです。
つまり、
ICCにも法の支配を求める。
米国にも法の支配を求める。
その双方を同じ物差しで検証する。

それこそが、本当の意味での「法の支配」ではないでしょうか。

11 日本の報道で感じる「違和感」

今回、日本のマスメディアでは、
「日本人の赤根所長が米国から制裁された」
というニュース性に加え、
「司法の独立への攻撃」
「国際法・法の支配への脅威」
というICC側の主張が強く紹介されています。
もちろん、それ自体は報道すべき内容です。
実際、ICC自身も今回の制裁を司法の独立に対する攻撃と批判しています。
また、日本政府も今回の米国の制裁について「大変遺憾」とし、日本がICCを支持してきた立場を表明しています。
しかし、ここで気をつけなければならないのは、
ICCが「法の支配を守る」と主張していること
と、
ICCの具体的な管轄権行使が、国際法上当然に正当であること
は別問題
だということです。
裁判所が「法の支配」を掲げているからといって、その裁判所の管轄権や判断について検証してはいけないことにはなりません。
むしろ、法の支配を本当に尊重するなら、裁判所自身も法によって拘束される存在として、その権限の根拠を検証されなければならないはずです。
ここで私が日本のメディアに求めたいのは、単純な「ICC批判」ではありません。
むしろ、
ICCの主張と、それに対する米国・イスラエル側の法的反論を、読者が比較できるところまで提示すること
です。
「両論併記」という形式だけでは足りません。
重要なのは、何が法的争点なのかを読者に示すことです。

12 日本のメディアに求めたい「法的論点を提示する」報道

今回の問題については、少なくとも次のような整理が必要でしょう。
ICC側の主張
・パレスチナはローマ規程の締約国である
・ICCはパレスチナ領域について領域的管轄権を有する
・したがって、犯罪者が非締約国イスラエルの国民であっても、一定の場合には管轄権を行使できる
・国家元首・政府高官であることだけを理由としてICCにおける刑事責任を免れることはできない
・国際犯罪について個人責任を追及することは国際刑事司法の核心である
米国・イスラエル側から提起されている問題
・イスラエルはローマ規程の締約国ではない
・イスラエルはICCの管轄権に同意していない
・非締約国の政府高官に対するICCの管轄権行使には、国家主権・条約上の同意との関係で重大な問題がある
・非締約国の国家元首に対する27条の適用についても問題がある
・ICCの管轄権がローマ規程によって認められた範囲を超えていないか検討する必要がある
この二つを、同じテーブルに載せるべきなのです。
そのうえで、
どちらの法的主張がより説得力を持つのか
を検討する。
これが、本来の法的議論
でしょう。

13 しかも、これは「米国の言い分を支持する」という話ではない

ここは誤解してほしくありません。
米国のICCに対する法的批判と、今回の制裁措置そのものの妥当性は、別の問題です。
ICCの管轄権に疑問を呈することは、国際法上の議論として当然に認められるべきです。
しかし、
ICCの管轄権に問題があるとしても、それだけで米国によるICC裁判官個人への経済制裁が正当化されるわけではありません。
ここは明確に分けて考える必要があります。
米国がICCの判断に法的異議を唱えることと、
ICCの裁判官・検察官・職員個人を制裁対象にすること
は、同じ問題ではありません。
今回、米国は赤根所長とICC上級法廷弁護士のアブドゥライェ・セエ氏を新たに制裁対象にしました。ICCはこれを司法の独立に対する攻撃と批判しています。
したがって、
「ICCの管轄権に疑問を呈すること」
と、
「ICC裁判官・関係者に制裁を加えること」
については、分けて論じなければなりません。
私は、この二つを混同すべきではないと思います。

14 同じように「ネタニヤフ氏らに犯罪の疑いがあるか」も別問題

さらに、
ICCの管轄権に問題があるか
という問題と、
ネタニヤフ氏らが実際に戦争犯罪を行ったのか
という問題も別です。
ICCは2024年11月の逮捕状発付に際して、ネタニヤフ氏とガラント氏について、戦争犯罪としての「飢餓を戦争の方法として用いること」や、人道に対する罪としての殺人、迫害、その他の非人道的行為などについて、犯罪責任を問う「合理的な根拠」があると判断しました。また、民間人に対する攻撃を意図的に指示した戦争犯罪についても、一定の合理的根拠があるとしました。
ただし、
逮捕状は有罪判決ではありません。
これは非常に重要です。
「逮捕状が出た」という事実と、
「犯罪が確定した」ということは全く違います。
また、仮に将来、ネタニヤフ氏らの行為について有罪・無罪の判断が示されるとしても、
その前提としてICCにその事件を審理する管轄権があるのか
という問題は別途存在します。
だからこそ、
犯罪の成否、個人責任、管轄権、国家元首の免責、米国の制裁
を一つの問題として扱ってはいけないのです。

15 今回の問題を一枚の図にすると

今回の問題は、次のように整理すると分かりやすいと思います。
    ネタニヤフ氏・ガラント氏へのICC逮捕状
    ┌─────┴──────┐
    ↓              ↓
   ICC側       米国・イスラエル側
    │             │
 犯罪地はパレスチナ   イスラエルは非締約国
    ↓             ↓
 パレスチナは締約国   ICCへの同意がない
    ↓             ↓
 領域的管轄権が成立   国家主権との関係は?
    ↓            ↓
 非締約国国民にも   27条を非締約国の
 管轄権を行使できるか  国家元首に及ぼせるか?
    │             │
    └─────┬─────┘
          ↓
    「ICCの管轄権はどこまで及ぶのか」
            ↓
      国際法上の重要な争点
            │
   ┌──────┴──────┐
   ↓              ↓
 犯罪の成否・個人責任    国家元首等の免責
   │               │
   └──────┬──────┘
            ↓
      さらに別の問題として
           ↓
     「米国の制裁は妥当か」
           ↓
     司法の独立との関係は?

この構造を無視して、
ICC=法の支配
米国=法の支配への攻撃
とだけ説明してしまうと、あまりにも単純化されてしまいます。

16 「法の支配」は、誰に対しても同じように適用されなければならない

私は今回、この点が最も重要だと思います。
もし、
「国家元首であっても国際犯罪について個人責任を問われるべきだ」
という原則を支持するなら、その原則はイスラエルだけでなく、米国にも、ロシアにも、中国にも、そして日本にも同じように適用されなければなりません。
逆に、
「国家の同意なしに国際裁判所が国家指導者を裁くことは許されない」
という原則を採用するなら、それもイスラエルだけでなく、他のすべての国について一貫して適用されなければなりません。
ここに「法の支配」の本当の試金石があります。
自分が支持する国家にも、自分が嫌う国家にも、同じルールを適用できるのか。
これができなければ、「法の支配」は単なる政治的スローガンになってしまいます。
法の支配とは、
「自分に都合のよい時だけ法を持ち出し、都合が悪くなれば法の適用を否定する」
というものではありません。
ICCにも、米国にも、イスラエルにも、ロシアにも、中国にも、日本にも、同じ物差しを当てる。
それが本来の意味での「法の支配」ではないでしょうか。

17 今回、日本人として考えるべきこと

赤根智子氏が日本人であることは、今回の事件を日本人にとって身近なものにしています。
日本政府もICCを支持しており、今回の米国の制裁について「大変遺憾」と表明しました。
そのため、
「日本人である赤根所長を米国の制裁から守るべきだ」
という感情が生まれるのは、決して不思議なことではありません。
しかし、日本人である赤根氏を応援することと、
ICCの管轄権についてどのような法的評価をするか
は別問題です。
私はむしろ、日本人だからこそ、
「赤根所長を守れ」
という感情論だけに流されず、
「ICCには本当にその権限があるのか」
という問題まで冷静に検証すべきだと思います。
そして同時に、
「米国は本当に法的根拠に基づいてICCを批判しているのか。それとも、自国と同盟国を守るために、都合のよい時だけ国家主権を持ち出しているのか」
も検証する。
その両方が必要です。
それは、赤根氏を支持しないということでも、ICCを否定するということでもありません。
むしろ、
赤根氏を含むICCの裁判官・関係者が、政治的圧力ではなく法に基づいて職務を遂行できること
と、
ICC自身の管轄権が法的根拠に基づいて行使されること
の両方を求めることこそ、法の支配を尊重する態度ではないでしょうか。

18 今回の事件の本当の核心

今回の事件を、
「トランプ政権が日本人の赤根ICC所長を制裁した」
というニュースだけで終わらせるのは、あまりにももったいないと思います。
本当に問われているのは、
「国家の同意を超えて国際刑事裁判所が管轄権を行使することを、国際法はどこまで認めているのか」
という問題
です。
そして、その問いの先には、
「国家主権と国際刑事司法は、どのようなルールによって調整されるべきなのか」
という、さらに大きな問題があります。
ICCは、国家の権力者であっても国際犯罪について責任を問われるべきだと考えています。
これは、
「国家の政策」という名の下に、個人の国際犯罪責任を隠してはならない
という、非常に重要な考え方です。
一方で、国際社会において裁判所の権限がどこまで及ぶのかについては、
・国家の同意
・条約の拘束力
・犯罪地国の管轄権
・非締約国の主権
・国家元首等の免責
・締約国の協力義務
など、慎重に検討すべき問題があります。
そして実際、ネタニヤフ氏らに対するICCの管轄権については、2025年4月にICC上訴裁判部がイスラエル側の異議を退けた予審裁判部の判断を取り消し、管轄権上の問題を予審裁判部に差し戻しています。
したがって、少なくとも、
「ICCの管轄権について法的な争いなど存在しない」
とは言えません。
だからこそ私は、今回の赤根所長への米国制裁を、
「法の支配を守るICC」対「法の支配を否定する米国」
という単純な善悪二元論で見ることには慎重であるべきだと思います。
ICCの主張も検証する。
米国の主張も検証する。
そして、そのどちらについても、
「自分に都合のよい時だけ法の支配を持ち出していないか」
を問い続ける。
それこそが、国際社会における本当の「法の支配」を考えるために必要な姿勢ではないでしょうか。

おわりに

「法の支配」とは、誰かを裁くためだけの正義の言葉ではありません。
それは、
権力を持つ者も、裁く者も、そして国家そのものも、法によって拘束されるべきだ
という原則
です。
だからこそ、法の支配を本当に尊重するなら、ICCにも法の支配を求めなければなりません。
同時に、米国にも法の支配を求めなければなりません。
国家元首であっても法の適用を免れることがないようにする。
同時に、国際裁判所も、与えられた権限の範囲を超えてはならない。
さらに、裁判所の判断に異議があるとしても、裁判官個人への政治的・経済的圧力が許されるのかについては、別途、厳しく検証する。
この三つを同時に考える必要があります。
今回の赤根智子ICC所長への米国制裁は、単に「日本人が米国から制裁された」という問題ではありません。
それは私たちに、
「国家主権と国際刑事司法は、どのような法によって調整されるべきなのか」
そして、
「法の支配とは、結局、誰に対して、どこまで、どのように適用されるべきなのか」
という、国際社会の根本問題を突きつけています。
その問いに対して、私は一方の国や裁判所を無条件に正義とし、他方を無条件に悪とするのではなく、双方に同じ法の物差しを当てることが必要だと思います。
法の支配とは、誰かのための「正義の武器」ではありません。
権力を持つ者も、裁く者も、そして国家そのものも、同じ法の下に置くための原則なのです。

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