漫画家でコラムニストの倉田真由美氏が、Xで興味深い指摘をしていました。
それは、「知性を身につければ必ず人はリベラル、左翼にたどり着く」という、左派言論人に多く見られる発想への批判です。
知性も感受性も、人それぞれです。物事を深く考えたからといって、誰もが同じ結論に至るわけではありません。倉田氏は、真実や正義は一つしかなく、知性に至る道筋も一本道だと考える姿勢が、異なる意見を持つ人を見下す態度につながっているのではないか、と指摘しています。
私も、この問題提起には考えさせられるものがあります。
なぜ、異なる意見を見下してしまうのか
一つの理由として、次のような心理の働きが考えられます。
自分の思想は、理性的に考えた結果である。だから、自分の結論こそ知性と道徳性を備えた判断なのだ。そう考えるうちに、自分と異なる結論に至った人は、知性や感受性が足りないのではないか、という見方が生まれてしまう。
こうなると、本来は政策の内容や、その根拠をめぐって行われるべき議論が、いつの間にか、どちらが知性的で、どちらが道徳的に優れているかを競う議論に変わってしまいます。
もちろん、これは左派言論人だけの問題ではありません。保守派であっても、リベラルであっても、自分の思想に自信を持つ人であれば、誰もが陥り得る落とし穴です。
知性とは、自分を疑うこともできる力
自分の考えに確信を持つこと自体は、悪いことではありません。大切なのは、その確信を絶対視しないことです。
自分が正しいと信じている結論についても、その根拠や前提を問い直してみる。そして、自分とは異なる結論に至った人の考えにも耳を傾け、どこに意見の違いがあり、何が対立の原因なのかを考えてみる。
そうした姿勢もまた、知性の大切な一面ではないでしょうか。
自分と異なる意見に接したとき、すぐに相手の知性や道徳性を疑うのではなく、まずは相手が何を根拠に、なぜその結論に至ったのかを考えてみる。
知性とは、自分が正しいと確信する力だけではありません。自分も間違っているかもしれないと考え、異なる意見から学ぶことのできる力でもあるはずです。
政治的な立場が左右のどちらであれ、このことは忘れないようにしたいものです。

