- はじめに――「大変残念」だけだったのか
- 「高市政権は弱腰だ」という批判は、本当に正しいのか
- 「邦人保護」だけで今回の問題を説明してはいけない
- 「米国にもっと強く言え」という批判も、簡単ではない
- しかし、「だから高市政権の対応は完璧だ」とも言えない
- 日本は米国に「法の支配」を求めてよい
- 同時に、日本はICCにも「法の支配」を求めるべきだ
- 日本が目指すべきは「米国にもICCにも同じ物差し」
- 高市政権には、ここまで明確に語ってほしい
- 高市政権に「もう一歩」を期待したい
- それは「反米」でも「反ICC」でもない
- 日本外交に必要なのは「原則と現実」の両立
- 結論――高市政権に求めたい「日本自身の物差し」
- おわりに――「法の支配」を貫く国として
はじめに――「大変残念」だけだったのか
2026年8月18日、トランプ米政権は、国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長を制裁対象に指定しました。
これを受け、日本政府は8月19日、「大変残念」との外務報道官談話を発表しました。同時に、日本は「最も重大な犯罪の処罰と撲滅、法の支配の徹底のため」にICCを一貫して支持してきたとの立場も明確にしています。
すると、日本のマスメディアや野党などから、
「日本政府の対応は弱腰ではないか」
「日本人である赤根所長を、もっと強く守るべきではないか」
「米国に制裁撤回を要求すべきではないか」
といった批判が出ました。
しかし、本当に高市政権は「大変残念」と言っただけなのでしょうか。
私は、まずこの点を事実に基づいて検証する必要があると思います。
そのうえで、もう一歩先の問題を考えたいと思います。
高市政権のこれまでの対応には、擁護すべき点があります。
しかし、
「だから、これで十分だ」とも言えません。
日本には、今後さらに明確にすべき立場があるのではないでしょうか。
それは、これまで私が別の記事で述べてきた、
「米国かICCか」ではない。
日米同盟を維持しながら、国際刑事司法も守る。
そのうえで、米国にもICCにも、同じ「法の支配」という物差しを当てる。
という立場です。
「高市政権は弱腰だ」という批判は、本当に正しいのか
まず、ここは冷静に確認しておきましょう。
高市首相は8月25日の記者会見で、「弱腰との御批判は当たらない」と明確に反論しました。
その理由として首相が明らかにしたのは、米国に対して赤根所長を制裁対象にしないよう、発表直前まで様々なレベルで働きかけを続けていたということです。
さらに、制裁対象となる可能性を想定し、赤根所長が送金などの金融取引で困らないよう、事前にアドバイスを行い、その手続も後押ししていたと説明しました。
つまり、
「日本政府は何もせず、『大変残念』と言っただけだった」
という批判は、少なくとも現在公表されている事実とは一致しません。
また、茂木外相も8月28日、赤根所長と約20分間電話会談を行い、ICCをめぐる現在の状況について意見交換しています。
したがって、
「高市政権は赤根所長を見捨てている」
といった評価は、事実を十分に確認したうえでの批判とは言いにくいでしょう。
「邦人保護」だけで今回の問題を説明してはいけない
一方、ここでは政府自身の説明についても、少し整理しておきたいと思います。
高市首相は8月25日の会見で、
「邦人保護という意味では、赤根所長を守らなければなりません」
と述べました。
もちろん、日本政府が日本国民である赤根氏について、安全や生活上の不利益に配慮すること自体は当然です。
しかし、今回の問題の本質を「邦人保護」だけで説明するのは適切ではありません。
米国が赤根氏を制裁対象としたのは、赤根氏が日本人だからではなく、ICC所長として職務を遂行していることにあります。
したがって、日本政府が守るべきものは、
「日本人の赤根氏個人」だけではありません。
むしろ、より本質的に守るべきなのは、
・ICCという国際刑事司法の制度
・その司法の独立性
・重大な国際犯罪を不処罰のままにしないという理念
ではないでしょうか。
高市首相自身も同じ会見で、日本は法の支配の徹底のためICCを一貫して支持してきたと述べ、さらに日本がICCの最大の資金拠出国として「大切な組織も守っていかなければならない」としています。
私は、こちらの部分こそ、今後の政府発信で、もっと前面に出してよいと思います。
「米国にもっと強く言え」という批判も、簡単ではない
もちろん、
「米国に対して、もっと強く抗議すべきだ」
という意見にも、検討すべき部分があります。
今回の米国制裁は、ICCの裁判官ら個人を対象とする経済的措置であり、ICCは司法の独立性への攻撃だと批判しています。
日本がICCを支持するのであれば、米国に懸念を伝えることは当然でしょう。
しかし、外交には「言葉の強さ」だけでは測れない部分もあります。
高市首相は、制裁発表前から米国に繰り返し働きかけていたと説明しています。また、外交交渉の具体的な内容については、「手の内を見せることになる」として明らかにしない考えを示しました。
したがって、
「公表された言葉が弱い」=「外交努力も弱い」
とは限りません。
ここは、政府を批判する側にも慎重さが求められるところだと思います。
しかし、「だから高市政権の対応は完璧だ」とも言えない
ここからが、私が高市政権に求めたいことです。
高市政権のこれまでの対応を擁護することと、今後の対応について注文をつけることは、矛盾しません。
むしろ私は、政府にはここから一段踏み込んだ説明をしてほしいと思います。
その中心に置くべきなのが、
「日本は、米国かICCかの二者択一を迫られているのではない」
という考え方です。
日本は米国の同盟国です。
同時に、日本は2007年からローマ規程の締約国であり、ICCを支持してきた国でもあります。
この二つを、どちらか一方を捨てることによって解決する必要はありません。
日本は米国に「法の支配」を求めてよい
日米同盟は、日本の安全保障にとって極めて重要です。
だからといって、
「米国の政策にはすべて賛成しなければならない」
ということにはなりません。
同盟とは、すべての問題について意見を一致させることではないからです。
日本は米国に対して、
「日米同盟は重要です。これからも維持します。しかし、国際法と国際司法の問題については、日本としての立場があります」
と言ってよいはずです。
むしろ、
「同盟国だから何でも従う」
という関係は、対等な同盟関係とは言いにくいでしょう。
極端に言えば、それでは同盟国というより、属国に等しい関係になってしまいます。
同盟を守ることと、同盟国のすべての政策に従うことは、まったく別の問題です。
同時に、日本はICCにも「法の支配」を求めるべきだ
しかし、日本の立場は「米国にだけ注文をつける」というものでもありません。
ICCにも、同じように法的説明責任を求めるべきです。
ICCは重要な国際司法機関です。
だからこそ、
「ICCだから正しい」
と考えるのではなく、
「ICCもまた、ローマ規程という法によって権限を与えられた裁判所である」
という原則を確認する必要があります。
前の記事で詳しく検討したように、イスラエル側の管轄権に関する異議については、2025年4月24日、ICC上訴裁判部が予審裁判部の判断を取り消し、実質的に審理するよう差し戻しました。ICC自身も、この判断を「イスラエルの管轄権への異議について、予審裁判部に差し戻した」と公表しています。
つまり、ICC自身の手続の中でも、管轄権について重要な法的争いが残っているのです。
これは、
「ICCの管轄権は違法だ」
と確定したことを意味するわけではありません。
しかし逆に、
「ICCの管轄権について法的な問題はすべて決着済みだ」
とも言えません。
重大な国際犯罪を裁くという目的が正当であることと、
そのために具体的な管轄権を行使する法的根拠が十分なのか
という問題は、分けて考えなければなりません。
これはICCを弱体化させる議論ではありません。
むしろ、ICCの正統性と信頼性を守るために必要な議論です。
日本が目指すべきは「米国にもICCにも同じ物差し」
ここまで来ると、日本の立場はかなり明確になります。
米国には、
「ICCの管轄権に異議を唱える法的根拠は何か」
と問う。
同時に、
「ICCの裁判官や所長個人に経済制裁を科すことが、司法の独立との関係で本当に正当化できるのか」
とも問う。
そしてICCには、
「重大な国際犯罪を裁くという理念は支持する。しかし、あなた自身の管轄権行使についても、法的根拠を十分に説明してほしい」
と問う。
これが、私の考える日本の立場です。
つまり、
米国だから正しいのでもない。
ICCだから正しいのでもない。
日本人の赤根氏だから守る、というだけでもない。
「法的根拠は何か」という共通の物差しを、米国にもICCにも当てる。
それが、日本自身の「法の支配」ではないでしょうか。
高市政権には、ここまで明確に語ってほしい
私は、高市政権に対して、今後ぜひ次のようなメッセージを発信してほしいと思います。
第一に、
日米同盟は揺るがせない。
第二に、
日本は、重大な国際犯罪について個人の刑事責任を追及し、不処罰を防ぐというICCの理念を支持する。
第三に、
ICCの司法の独立性を守る。
第四に、
しかし、ICCの管轄権についても法的説明責任を求める。
第五に、
米国にもICCにも、同じ「法の支配」という基準を適用する。
この五つです。
ここでいう「ICCの理念を支持する」とは、ICCの個々の判断や言動を無条件に支持するという意味ではありません。
重大な国際犯罪について、国家元首や政府高官であっても個人として責任を問いうること、そして重大な国際犯罪を不処罰のままにしないこと――そうした国際刑事司法の基本理念を支持するという意味です。
これは「米国にもICCにも反対する」という中立論ではありません。
日本自身が、日米同盟という安全保障上の現実と、ローマ規程の締約国として引き受けている国際法上の立場を、両方とも大切にするということです。
高市政権に「もう一歩」を期待したい
高市政権のこれまでの対応については、少なくとも、
「何もしなかった」
という評価は適切ではないでしょう。
制裁前から米国への働きかけを行い、制裁を想定した赤根所長への支援を準備し、制裁後もICC支持と日本の立場を明確にしています。さらに茂木外相も赤根所長と直接電話で協議しています。
ここは、事実に基づいて評価すべきです。
しかし、政府には、さらに一歩進んでほしい。
それは、
「赤根所長を守る」から「ICCという国際刑事司法を守る」へ。
そして、
「米国の制裁に反対する」から「米国にもICCにも法の支配を求める」へ。
政府のメッセージを、そこまで発展させることです。
それは「反米」でも「反ICC」でもない
この立場に対して、
「米国に逆らうのか」
「ICCを批判するのか」
という反応があるかもしれません。
しかし、私はそうは思いません。
米国に対して国際法上の問題を指摘することは、反米ではありません。
ICCに対して管轄権の法的根拠を問うことも、反ICCではありません。
むしろ、
同盟国だからこそ、率直に意見を述べる。
支持する国際機関だからこそ、その権限について厳しく検証する。
その姿勢こそが、成熟した国家の外交ではないでしょうか。
日本外交に必要なのは「原則と現実」の両立
外交には、原則だけでは解決できない現実があります。
日米同盟も、その一つです。
しかし、
「現実が厳しいから原則はどうでもよい」
ということにもなりません。
日本には、
日米同盟という現実
と、
国際法・国際刑事司法という原則
の両方があります。
必要なのは、そのどちらかを捨てることではありません。
現実の中で原則を守る外交
です。
その意味で、今回の問題は、高市政権にとって一つの試金石になるのではないでしょうか。
結論――高市政権に求めたい「日本自身の物差し」
今回の赤根智子ICC所長への米国制裁をめぐっては、高市政権に対して「弱腰だ」という批判があります。
しかし、政府が制裁前から米国に働きかけ、制裁を想定した支援まで準備していたことを踏まえれば、少なくとも、
「何もしなかった」
という批判は当たりません。
一方で、私は高市政権に対して、さらに一歩進んだ対応を期待します。
それは、
「米国かICCか」ではない。
という立場を明確にすることです。
日本は米国の重要な同盟国です。
だからこそ、米国に対しても国際法上の問題を率直に指摘する。
日本は、ICC設立の根拠となる条約「ローマ規程」の締約国として、ICCが担う国際刑事司法の理念を支持しています。
だからこそ、ICCに対しても、その管轄権行使について法的説明責任を求める。
そして、
「米国だから正しい」でもなく、
「ICCだから正しい」でもない。
どちらに対しても、
「その法的根拠は何ですか」
と問う。
それこそが、日本自身の「法の支配」ではないでしょうか。
今回の問題で日本に求められているのは、米国とICCの間で「どちらにつくか」を決めることではありません。
日米同盟を守る。
国際刑事司法も守る。
そして、その両方に対して、日本自身の法的原則という物差しを当てる。
私は、それが高市政権に求められる、これからの日本外交の姿ではないかと思います。
「同盟だから従う」のでもない。
「ICCだから正しい」とするのでもない。
日本自身が、自分の原則と国益に基づいて判断する。
それこそが、同盟国としての日本の主体性であり、ローマ規程の締約国としての日本の責任でもあるのではないでしょうか。
おわりに――「法の支配」を貫く国として
最後に、私は1891年のいわゆる「大津事件」を思い出します。
ロシア皇太子ニコライが日本滞在中に襲撃された大津事件では、政府が重大な外交問題への配慮から司法に強い影響を及ぼそうとしたのに対し、司法側が法に従って判断する姿勢を示しました。大津事件は今日、司法権の独立を考えるうえで重要な歴史的事件の一つとして評価されています。もっとも、その歴史的評価については、近年、従来の通説を再検討する研究もあります。
ここで大切なのは、当時と現在の制度を単純に重ねることではありません。
そこから読み取れる一つの原則です。
国家にとって都合のよい結論を選ぶのではなく、法に従って判断する。
今回の「ICC対米国」の問題でも、日本にはその姿勢が求められているのではないでしょうか。
米国との同盟関係を大切にしながら、ICCの司法の独立も尊重する。
そして同時に、ICC自身に対しても、その管轄権行使の法的根拠について説明責任を求める。
そのような姿勢を日本が貫くことができれば、それは単に今回の外交問題への対応にとどまりません。
「同盟国だから米国に従う」のでも、「国際司法機関だからICCの主張を無条件に支持する」のでもない。
どちらに対しても法的根拠を問い、自らもまた法に拘束される国として行動する。
そうした日本の姿勢こそが、日米同盟を維持しながら、国際社会における「法の支配」を支えることにつながるのではないでしょうか。
そして、もし日本が今回の問題においてその姿勢を明確に示すことができれば、日本が「法に基づいて国家権力を律する」という姿勢を、21世紀の国際社会において改めて示す機会にもなり得ます。
法の支配とは、誰かに守れと要求するだけの原則ではありません。
自分自身にも、同盟国にも、国際機関にも、同じように求める原則です。
その原則を貫く日本であること。
それこそが、今回の問題をめぐって日本が国際社会に示すべき、最も重要なメッセージなのではないでしょうか。

