最近の日本の外国人政策をめぐる動きを見ていて、私が気になっていることがあります。
それは、外国人政策に関する「基本法」の制定を求める動きが、実は着実に進んでいることです。
2026年4月21日、東京都内で「『外国人との秩序ある共生社会を実現する基本法』制定国民運動」の発足シンポジウムが開かれ、政治家や経済人ら約120人が参加しました。
この運動では15人が呼びかけ人となり、中心となっているのが、一般財団法人外国人材共生支援全国協会(NAGOMi)です。
発足時には、「国柄や文化に理解のある外国人を、単なる労働力ではなく地域の生活者として受け入れる」ことなどが掲げられました。また、国、地方自治体、事業主、日本国民、外国人材がそれぞれ役割を分担し、秩序ある共生社会を実現するという考え方も示されています。
私は、この動きを単なる一団体の活動として片付けてしまうべきではないと思っています。
なぜなら、これはすでに、
「基本法を作るべきか」
という段階から、
「どのような基本法を作るのか」
という段階へ、議論が進みつつあるからです。
そして、その内容を最終的に判断するのは、私たち主権者でもあります。
この動きは、2026年4月に突然始まったものではない
まず、ここは押さえておく必要があります。
今回の国民運動は、2026年4月に突然生まれたものではありません。
NAGOMiは、2023年10月に当時の小泉龍司法務大臣に対して、外国人材の受入れ・共生に関する基本法を議員立法として制定することを含む提言を行っています。
さらに2024年5月には「外国人材共生基本法(仮称)」の制定を求めるオンラインアピールを実施し、2025年8月には「日本型外国人材共生基本法」の提言https://nagomi-asia.or.jp/wp-content/uploads/2024/240523appeal/0523%E6%A2%85%E7%94%B0%E5%89%AF%E4%BC%9A%E9%95%B7%E8%B3%87%E6%96%99.pdfを行っています。
つまり、2026年4月の「国民運動」発足は、突然始まった新しい構想というより、数年にわたって積み重ねてきた提言活動を、より広い運動へと発展させたものと見るのが適切でしょう。
そして、発足後の動きを見ると、さらに興味深いことが分かります。
東京で始まった運動は、その後、各地へ広がっている
4月の東京での発足後、活動は止まっていません。
6月には大阪で「外国人共生基本法~秩序ある共生に向けて~」をテーマとしたフォーラムが開かれ、「大阪宣言」が読み上げられました。
その後も、富山、群馬、北海道、鳥取、愛知と各地でフォーラムや交流会が続き、9月4日には広島で第26回NAGOMiフォーラムが開催されています。
広島フォーラムでは約120人が参加し、「外国人材と地域が共に創る持続可能な未来」をテーマに議論が行われ、最後には「広島宣言」が読み上げられました。
また、7月にはアジア6か国の駐日大使らを招いた人材交流シンポジウムも開催されています。
そこには、全国知事会、全国市長会、全国町村会、日本経団連、日本商工会議所、経済同友会などが後援団体として名を連ね、政府関係者や国会議員も参加しました。
もちろん、これをもって直ちに「国民的合意が形成された」と言うことはできません。
しかし少なくとも、東京で一度開かれたイベントで終わったのではなく、各地域を舞台に継続的な活動が展開されていることは事実です。
私は、この点を私たち国民も知っておく必要があると思います。
では、どのような基本法を目指しているのか
ここも重要なところです。
「まだ基本法の中身は何も示されていない」と考えるのは正確ではありません。
もちろん、現時点で国会に提出される最終的な法案の条文が確定しているわけではありません。
しかし、これまでのNAGOMi側の提言を見ると、基本法に盛り込むべき事項について、すでに一定の考え方が示されています。
例えば、
・外国人材を受け入れる目的や理念
・どのような外国人を受け入れるのか
・国や地方自治体の役割
・日本国民の役割
・外国人材自身の責務
・事業主の責務
・日本語や日本の文化・生活習慣等を学ぶ機会
などです。
ここから分かるのは、この構想が単に「外国人をもっと受け入れよう」という話だけではないということです。
受入れと、その後の社会との関わりまで含めて制度化しようとしている。
少なくとも、これまで公表されている提言からは、その方向性を読み取ることができます。
だからこそ、私はこの動きを注視する必要があると考えています。
「共生」という言葉だけで判断してはいけない
私は、「共生」という理念そのものに反対しているわけではありません。
日本にすでに暮らしている外国人と日本社会が、互いにルールを尊重しながら安定して生活できる社会をつくることは必要です。
ただし、「共生」という言葉だけでは政策にはなりません。
誰が、何を守るのか。
外国人にはどのような権利が保障され、その一方でどのような義務や責任を負うのか。
国は何をするのか。
自治体は何をするのか。
企業は何を負担するのか。
日本国民には何が求められるのか。
そして、それらに必要な費用を誰が負担するのか。
こうした具体的な問題まで踏み込んで初めて、「共生」は政策になります。
したがって、私たちが見るべきなのは、「共生」という言葉の響きではありません。
その言葉の中に、どのような制度とルールが入っているのか。
そこを見る必要があります。
主権者として、特に確認したい六つのポイント
では、私たち国民は、これから具体的に何を見ればよいのでしょうか。
私は、少なくとも次の六つの点を確認する必要があると思います。
① 何のために受け入れるのか
外国人材を受け入れる目的は何なのか。
人手不足対策なのか、経済成長なのか、国際貢献なのか。
あるいは、それらをどのように組み合わせるのか。
まず、政策目的を明確にする必要があります。
② 誰を、どのような条件で受け入れるのか
「外国人なら誰でもよい」という政策ではありません。
日本の法秩序を尊重し、日本社会で生活する意思を持つ人を、どのような条件で受け入れるのか。
受入れ対象、在留資格、家族帯同、永住・帰化などを含め、段階ごとのルールをどう設計するのか。
ここは非常に重要です。
③ どの程度、どのペースで受け入れるのか
受入れ人数だけではなく、日本社会が対応できる速度なのかを見る必要があります。
外国人が増えることで、学校、医療、社会保障、住宅、自治体、日本語教育などにどのような影響が生じるのか。
受入れ能力を超えてしまえば、「共生」という理念そのものが維持できなくなる可能性があります。
私はこれを、これまで「社会統合先行」の考え方として提案してきました。
④ 誰が、どこまで責任を負うのか
外国人本人だけに責任を押しつけてもいけません。
逆に、国や自治体、企業、日本国民だけが負担する仕組みでも持続しません。
外国人、企業、自治体、国、そして日本社会が、それぞれ何を担うのか。
それぞれの権利と責務を、どのようにバランスよく設計するのか。
ここを確認する必要があります。
⑤ 費用と効果をどう検証するのか
外国人材の受入れには、経済的な効果だけでなく、行政サービスや教育、日本語支援などの社会的コストも発生します。
だからこそ、
「外国人材が必要だから受け入れる」
だけでは不十分です。
どのような効果があり、どのような費用が発生しているのか。
それを検証できる仕組みが必要です。
⑥ うまくいかなかった場合、修正できるのか
私は、これを特に重視しています。
人口動態も経済状況も、社会情勢も変化します。
10年後、20年後の日本が、現在と同じ状況にあるとは限りません。
だからこそ、外国人政策を一度決めたら後戻りできない制度にするのではなく、
実施 → 検証 → 評価 → 必要に応じて修正
という仕組みを最初から組み込んでおくべきです。
「人口減少だから外国人を受け入れる」という単純な話にしてはいけない
ここで、もう一つ注意しておきたいことがあります。
それは、人口減少問題と外国人受入れ政策を混同しないことです。
日本の人口減少が進んでいるから、外国人を受け入れればよい。
私は、そう単純に考えるべきではないと思っています。
外国人材の受入れによって、人手不足の緩和など一定の効果が期待できる分野はあるでしょう。
しかし、それによって少子化そのものが解決するわけではありません。
少子化対策、生産性向上、労働環境の改善、産業構造の改革などは、それぞれ別の政策課題です。
外国人受入れを人口減少対策の「万能薬」にしてしまえば、かえって本来取り組むべき問題から目をそらすことにもなりかねません。
外国人受入れを行うとしても、日本にとって何が必要なのかという目的を明確にした、時限的・補完的な政策として位置づけることも含めて検討すべきだと私は考えています。
「外国人を受け入れるか、受け入れないか」という二択から卒業する
日本の外国人政策をめぐる議論では、
「外国人を受け入れるべきだ」
「外国人を受け入れるべきではない」
という二つの立場が対立しがちです。
しかし、私は、この二択だけでは政策論として不十分だと思っています。
日本にはすでに多くの外国人が暮らしています。
これからも、一定の外国人材を受け入れる必要性が生じる可能性があります。
だからこそ必要なのは、
「受け入れるか、受け入れないか」ではなく、「どのような外国人政策を日本は採用するのか」
という議論です。
そして、その議論の対象は、すでに日本で適法に暮らしている外国人と、これから新たに受け入れる外国人を、必要に応じて区別して考えることも重要でしょう。
既に暮らしている外国人については、安心して生活できる環境と、社会のルールを守る責任をどう両立させるか。
これから受け入れる外国人については、誰を、何のために、どのような条件で受け入れるのか。
この二つを混同しないことも、冷静な政策論には必要だと思います。
私が提案してきた「日本版ルール主義」から見ると
ここで、私自身の考えを明確にしておきたいと思います。
私はこれまで、日本の外国人政策について「日本版ルール主義」という考え方を提案してきました。
これは、外国人を排除するための考え方ではありません。
また、外国人を無条件に受け入れるための考え方でもありません。
基本にあるのは、
日本という主権国家が、自国の国益と社会の持続可能性を考えながら、外国人の受入れについて明確なルールを定め、そのルールを国籍によって恣意的に変えることなく、公平に適用する。
という考え方です。
そして、受け入れるのであれば、
受入れ目的 → 対象 → 人数 → 条件 → ペース → 社会統合 → 検証 → 修正
までを、一つの政策体系として考える。
これが私の考える「日本版ルール主義」です。
したがって、今回の基本法制定運動についても、私は「基本法を作ること」に賛成か反対かという立場から見ているのではありません。
むしろ、
「その基本法が、日本にとって本当に望ましい外国人政策の土台になり得るのか」
という視点から見ています。
だからこそ、主権者である私たちが注視しなければならない
4月の東京での発足から、大阪、富山、群馬、北海道、鳥取、愛知、そして9月の広島へ。
少なくともNAGOMiの公式発表を見る限り、基本法制定を求める活動は各地域で継続して行われています。
今後も、基本法制定に向けたフォーラムやシンポジウムなどが予定されています。
一方で、こうした一連の動きが、全国的な大きなニュースとして継続的に報じられているとは言いにくい状況です。
だからこそ、私はこの問題を取り上げました。
ただし、ここで大切なのは、
「マスメディアが報じているか、報じていないか」そのものではありません。
重要なのは、実際に政策形成につながる可能性のある動きが進んでいる以上、私たち自身がその内容を知り、考えることです。
基本法を作ること自体は、直ちに善でも悪でもありません。
問題は、
どのような基本法を作るのか。
そして、
その基本法によって、日本の外国人政策をどのような方向へ導こうとしているのか。
ということです。
おわりに――「基本法を作ること」より、「どんな基本法を作るのか」
外国人政策の基本法制定を求める動きは、すでに始まっています。
そして、東京で始まった活動は、各地域でフォーラムや意見交換を重ねながら、少なくとも着実に活動範囲を広げています。
私は、この動きを「賛成」「反対」という単純な二択で処理するつもりはありません。
むしろ、これからが重要だと思っています。
なぜなら、基本法は、その後の日本の外国人政策の方向性を左右する可能性があるからです。
だからこそ、私たち主権者が見るべきなのは、運動の名前でも、「共生」という言葉の響きでもありません。
その基本法は、何を目的としているのか。
誰を、なぜ、どのような条件で受け入れるのか。
どこまで受け入れるのか。
誰が責任を負うのか。
必要な費用をどう負担するのか。
そして、うまくいかなかった場合に修正できるのか。
私は、この六つの視点を持って、今後の議論を見ていきたいと思います。
外国人政策は、もはや一部の専門家や行政だけが考えるテーマではありません。
私たちの暮らし、地域社会、子どもたちの未来、そして日本という国家のあり方に関わる問題です。
だからこそ、主権者である私たちには、「誰かが決めた政策を受け入れる」のではなく、「どのような政策なら日本にとって望ましいのかを、自分たちで考える」責任があります。
「外国人を受け入れるか、受け入れないか」ではなく、
「日本は、どのような外国人政策を選ぶのか」。
私は、今こそこの問いを、私たち一人ひとりが考える時期に来ているのではないかと思います。
そして、その答えを左右する可能性のある「外国人政策の基本法」の議論を、これからも冷静に、しかし注意深く見守っていきたいと思います。
