出入国在留管理行政について考えていると、どうしても「外国人を受け入れるのか、受け入れないのか」という二者択一の議論になりがちです。
しかし、私は、もう一段前に考えるべき問題があると思っています。
それは、
「日本は、どのような考え方に基づいて、どのような外国人を受け入れるのか」
という問題です。
私は、かつて法務省入国管理局(当時。2019年4月からは出入国在留管理庁)の職員として、出入国在留管理行政に携わっていました。もちろん、現在は一人のOBにすぎず、出入国在留管理庁の政策決定に何ら関与する立場にはありません。
しかし、かつて行政の現場に身を置いた者の一人として、外国人政策を考えるときには、「外国人を受け入れるか、受け入れないか」という個々の政策論だけではなく、そもそも日本は、どのような理念とルールに基づいて外国人を受け入れる国なのかという、より根本的な問題を考える必要があると感じています。
出入国在留管理行政は、外国人の人生や生活に直接関わる一方で、日本の安全・安心や社会秩序、さらには我が国の将来にも関わる重要な行政です。
だからこそ、そこで働く職員が自らの「使命」をどのように理解するのかは、決して職員だけの問題ではありません。
それは、日本という国家が外国人の受入れと在留管理をどのような考え方で行うのかという、私たち国民にも関わる問題だと思います。
そうした問題意識から、私は今回、私が退職した後になってから、出入国在留管理庁が2022年1月に策定し公表した『出入国在留管理庁職員の使命と心得』https://www.moj.go.jp/isa/content/001363669.pdfを読んでみました。
この資料は、出入国在留管理行政に携わる全ての職員が、国民から負託された使命を見失うことなく、自信と誇りを持って職務に当たり、国民の信頼と期待に応えることができるよう、「使命」と「心得」を示したものです。
私は、このうち「職員の心得」については、基本的に異論がありません。
しかし、「職員の使命」については、現在の日本の外国人政策を考えるなら、見直す余地があるのではないかと思います。
そこで今回は、私が提唱している「日本版ルール主義」という考え方から、現行の「出入国在留管理庁職員の使命」を読み直し、その改訂私案を提示してみたいと思います。
「職員の心得」には、基本的に異論はない
まず、誤解のないようにしておきたいと思います。
今回、私が問題にしたいのは、出入国在留管理庁の職員一人ひとりの仕事ぶりや、その「心得」そのものではありません。
現行の「職員の心得」には、
・専門家としての誇りと専門性を持つこと
・広い視野を持つこと
・公正に職務を遂行し、不断に改善すること
・人権と人格を尊重し、礼節を持って接すること
・相手の心情を理解しつつ、冷静に判断すること
・相手の話をよく聴き、分かりやすく伝えること
・関係者や関係機関との良好な関係を築くこと
・開かれた組織風土をつくること
などが掲げられています。
外国人の人生や生活に直接関わる行政である以上、公正さ、人権や人格の尊重、冷静な判断、丁寧な説明、そして自らの仕事を不断に見直す姿勢は、極めて重要です。
したがって、私が今回問題提起したいのは「職員として、どのように仕事をするのか」という心得ではありません。
その一つ手前にある、
「そもそも、何を実現するために、この仕事をするのか」
という「使命」の部分です。
現行の「使命」に感じる一つの疑問
現行の「出入国在留管理庁職員の使命」には、次のような考え方が示されています。
「ルールを守る外国人を積極的に受け入れる一方で、我が国の安全・安心を脅かす外国人の入国・在留を阻止し、確実に我が国から退去させることにより、円滑であって厳格な、しかも、適正な出入国在留管理を実現することを目指す。」
また、
「日本国民と我が国社会に受け入れた外国人の全てが良き隣人として共に暮らせる共生社会を実現することを目指す。」
ともされています。
私は、「ルールを守る外国人を受け入れること」や、「日本人と外国人が互いに尊重しながら共に暮らすこと」そのものに異論があるわけではありません。
むしろ、それは当然、大切なことだと思います。
ただ、私が気になるのは、
「ルールを守る外国人を積極的に受け入れる」
という部分です。
ここには、外国人受入れ政策の基本的な順序について、もう少し考える余地があるのではないでしょうか。
「ルールを守る」は、受入れの出発点ではない
日本の社会で暮らす以上、日本人であれ外国人であれ、日本の法令や社会の基本的なルールを守ることは当然の前提です。
したがって、「ルールを守る外国人」ということだけでは、日本が「誰を受け入れるのか」という問題に十分な答えを与えることにはなりません。
むしろ、先に考えるべきなのは、
「日本社会は、どのような人を必要としているのか」
「なぜ、その人々を日本に受け入れるのか」
「どのような分野で、どの程度受け入れるのか」
「どのような条件の下で受け入れるのか」
そして、
「日本で暮らす人に、社会の一員として何を求めるのか」
ということではないでしょうか。
私は、基本的な順序として、
「日本社会として必要とする人を、日本が責任を持って受け入れ、その上で、日本のルールを尊重し、日本社会の一員として責任を果たすことを求める」
という考え方が適切だと思います。
もちろん、ここでいう「日本社会として必要とする人」とは、単に「経済的に役に立つ人」という意味ではありません。
家族として日本で暮らす人や、留学生、国際交流を担う人、国際的な責務に基づいて保護すべき人など、外国人の受入れにはさまざまな目的と法的・国際的な根拠があります。
重要なのは、個々の外国人を単純に「役に立つか、立たないか」で評価することではありません。
外国人の受入れを、国家としてどのような目的と原則の下で行うのかを明確にすることです。
「外国人を受け入れること」そのものを目的にしてはいけない
外国人を受け入れることには、さまざまな目的があります。
人手不足への対応、高度な専門人材の受入れ、留学生の受入れ、国際交流、家族としての生活、そして国際的な責務に基づく保護などです。
つまり、「なぜ受け入れるのか」という理由が、それぞれにあります。
ところが、外国人を受け入れること自体が目的になってしまうと、問題が生じます。
外国人を受け入れれば、それで政策が終わるわけではないからです。
日本語教育、子どもの教育、医療、住宅、行政サービス、地域社会との関係など、受け入れた後に生じるさまざまな課題にも、日本社会として対応しなければなりません。
だからこそ、
「誰を、何のために、どの程度、どのような条件で受け入れるのか」
を先に考え、その後の生活や社会参加まで含めて制度を設計する必要があります。
「共生社会」は大切だ。しかし、その前に「受入れの原則」が必要だ
私は、「共生社会」という理念そのものを否定するつもりはありません。
政府も現在、「秩序ある共生社会」の実現を外国人政策の重要な方向として掲げています。
日本人と外国人が互いに尊重し、安全・安心に暮らせる社会を目指すことは、当然重要です。
しかし、ここで一つ考えてみたいことがあります。
「共生社会」を実現するためには、その前に「誰を、なぜ受け入れるのか」という受入れの原則が必要なのではないか。
ということです。
受入れの原則があいまいなまま「共生社会」だけを掲げると、
「外国人を受け入れる」
↓
「共生するために、日本社会の側が対応する」
という、一方向の発想になってしまうおそれがあります。
もちろん、日本社会の側にも責任があります。
しかし同時に、日本で暮らす外国人にも、日本の法令や社会の基本的なルールを理解し、尊重し、社会の一員として責任を果たすことが求められます。
したがって、私は、次のような順序で考えるべきだと思います。
日本が受入れの原則を定める
↓
その原則に基づき、必要とする外国人を、公正かつ透明なルールの下で受け入れる
↓
適正な在留管理を行う
↓
日本の法令や社会の基本的なルールを共有する
↓
外国人も日本社会の一員として責任を果たす
↓
日本社会も必要な受入れ環境を整える
↓
その結果として、秩序ある共生社会を実現する
という順序です。
私が提唱する「日本版ルール主義」
私が提唱している「日本版ルール主義」は、外国人を排除しようという考え方ではありません。
同時に、無条件に外国人を受け入れようという考え方でもありません。
日本が自らの責任において、
「どのような外国人を、何のために、どのような条件で受け入れるのか」
を明確にし、法令に基づく公正で透明なルールによって受け入れる。
そして、日本で働き、暮らすことを希望する外国人には、日本の法令や社会の基本的なルールを理解し、尊重し、社会の一員として責任を果たすことを求める。
その一方で、日本側も、外国人が日本語や日本の制度、社会の基本的なルールを理解し、地域社会の一員として生活できるよう、必要な環境を整える。
ここでいう「社会統合」とは、外国人に日本人と全く同じ文化や考え方になることを求めるという意味ではありません。
日本語を学び、日本の制度や社会の基本的なルールを理解し、地域社会の一員として参加し、責任を果たしながら生活できるようにすることを意味しています。
つまり、日本だけが一方的に外国人に合わせるのでもなく、外国人だけに一方的な同化を求めるのでもありません。双方がそれぞれの責任を果たしながら、日本の法令及び社会の基本的なルールを共有し、そのルールの下で社会をつくっていく。
これが、私の考える「日本版ルール主義」です。
「日本人のための日本でありながら、外国人にも選ばれる日本」
私は以前から、
「日本人のための日本でありながら、外国人にも選ばれる日本」
という考え方を大切にしています。
これは、「外国人に選ばれるために、日本社会を外国人の好みに合わせて変えていく」という意味ではありません。
まず、日本が自らの責任において、
・安全・安心が確保されている
・法の支配が機能している
・公正で分かりやすいルールがある
・努力や能力が正当に評価される
・安定した社会が維持されている
・人権と人格が尊重される
という社会をつくる。
そのような日本社会の価値とルールを理解し、尊重し、その一員として働き、暮らしたいと考える外国人に、日本を選んでもらう。
つまり、
「外国人に選ばれること」は目的ではなく、結果です。
日本が日本として魅力ある社会をつくることが、まず先にあるべきだと思います。
では、「出入国在留管理庁職員の使命」はどうあるべきか
こう考えると、「職員の使命」についても、単なる文言の修正ではなく、外国人政策全体の基本的な考え方を整理する必要があることが分かります。
現在の「ルールを守る外国人を積極的に受け入れる」という表現を、
「日本社会として必要とする外国人を、日本が責任を持って受け入れる」
という考え方に改める。
ただし、ここで重要なのは、行政官の主観で「必要な外国人」を選ぶという意味ではないことです。
受入れの目的や対象、規模、条件などについて、国が政策として明確に定め、そのうえで、
「法令に基づく明確かつ公正な基準」
によって運用する必要があります。
つまり、
日本が受入れ方針を決める。しかし、行政官の主観で選ぶのではない。
これが「日本版ルール主義」の基本的な考え方です。
私案――「出入国在留管理庁職員の使命」の改訂私案
以上の考え方から、私は次のような「出入国在留管理庁職員の使命」の改訂私案を提示したいと思います。
なお、以下は出入国在留管理庁の公式文書ではなく、現行の「出入国在留管理庁職員の使命」を踏まえて、私が独自に作成した改訂私案です。
【出入国在留管理庁職員の使命】――改訂私案
現代の国際社会において、出入国在留管理は、主権国家の基本的な権能として、その重要性をますます高めている。
我が国の出入国在留管理行政の基本的な役割は、我が国の安全・安心、秩序ある社会及び国民の利益を基本としつつ、国際社会との関係を踏まえ、我が国に入国し、又は出国する全ての人の出入国及び我が国に在留する外国人の在留を公正かつ適正に管理するとともに、我が国が必要とする外国人を、法令に基づく明確かつ公正な基準により適切に受け入れ、その能力や知識を我が国の経済・社会の発展に生かすことにある。
外国人の受入れに当たっては、我が国社会がどのような人材・人々を必要としているのかを踏まえ、受入れの目的、規模、分野及び条件等について国が責任を持って定め、適正な制度の下で受入れを行う。また、我が国で働き、暮らすことを希望する外国人に対しては、我が国の法令及び社会の基本的なルールを尊重し、日本社会の一員として責任を果たしながら生活することを求める。
その上で、受け入れた外国人が、我が国の法令及び社会の基本的なルールを共有し、日本語や我が国の社会・文化について理解を深め、地域社会の一員として責任を果たしながら生活することができるよう、関係機関と連携して必要な受入れ環境及び社会統合のための環境を整備する。
同時に、我が国の安全・安心を脅かす者、在留資格に係る活動その他の法令上の義務を不当に免れる者等については、法令に基づき厳正かつ適正に対処し、適正な在留管理を確保する。
また、我が国は難民の地位に関する条約その他の国際的な責務を誠実に履行し、真に庇護を必要とする者を迅速かつ確実に保護するとともに、全ての人の基本的人権と尊厳を尊重する。
さらに、外国人の受入れは、単に外国人を我が国に受け入れることによって完結するものではない。日本国民と我が国社会に受け入れた外国人が、相互に人格と文化を尊重しつつ、我が国の法令及び社会の基本的なルールを共有し、それぞれが責任を果たすことによって、安心して共に暮らすことのできる秩序ある共生社会を実現することを目指す。
こうした取組を通じて、我が国が必要とする外国人にとっても、我が国の法と秩序を尊重し、その一員として働き、暮らし、社会に貢献することに価値を見いだせる、公正で魅力ある社会を実現する。
これらを着実に遂行することにより、我が国の秩序ある社会の実現、安全・安心の確保、経済・社会の健全な発展及び国際社会における我が国の責任ある役割の遂行に寄与することこそ、出入国在留管理行政の使命であり、我々出入国在留管理庁職員の使命である。
現行と改訂私案――何が変わったのか
ここまで読んでいただくと、今回の私案は、単なる言葉の置き換えではないことがお分かりいただけると思います。
大きく変えたのは、「何を先に考えるのか」という順序です。
①「積極的受入れ」から「責任ある受入れ」へ
外国人を受け入れることそのものを前提とするのではなく、
「日本社会として必要とする外国人を、日本が責任を持って受け入れる」
という考え方を明確にしました。
②「誰を、何のために受け入れるのか」を明確にする
外国人の受入れには、労働力、専門人材、留学、家族、国際交流、国際的な保護など、さまざまな目的があります。
だからこそ、「誰を受け入れるか」だけではなく、
「何のために受け入れるのか」
を国家として明確にすることが重要です。
③ 受入れ後の日本側の責任も明記する
外国人を受け入れた後には、日本語教育、制度理解、地域社会との関係づくりなど、さまざまな課題があります。
外国人に責任を求めるだけではなく、日本側も必要な環境を整える。
その相互の責任を明記しました。
④「共生」を「秩序ある共生」として位置付ける
共生社会を否定するのではありません。
むしろ、共生を持続可能なものにするために、
ルールを共有し、双方が責任を果たす「秩序ある共生」
という考え方を明確にしました。
⑤「外国人にも選ばれる日本」を結果として位置付ける
外国人に選ばれるために、日本を変えるのではありません。
日本が日本として、公正で安全で魅力ある社会をつくる。
その結果として、日本で働き、暮らし、社会に貢献したいと考える外国人からも選ばれる。
この順序を明確にしました。
「外国人を受け入れるか、受け入れないか」ではない
ここまで読んで、
「結局、外国人を厳しく選別するということではないのか」
と思われる方もいるかもしれません。
しかし、私が提案しているのは、そういうことではありません。
問題は、
「外国人を受け入れるか、受け入れないか」
という二者択一ではありません。
本当に考えるべきなのは、
「誰を、何のために、どの程度、どのような条件で受け入れるのか」
ということです。
そして、受け入れた後に、
「日本社会と外国人が、どのようなルールを共有し、それぞれがどのような責任を果たすのか」
を考えることです。
外国人を受け入れることを否定するのではありません。
むしろ、受け入れるのであれば、日本が責任を持って制度を設計し、日本で暮らす人々が日本社会のルールを尊重し、それぞれの責任を果たすことのできる仕組みを整える。
そのような秩序ある受入れこそが、長期的に見れば、日本人にとっても外国人にとっても望ましいのではないでしょうか。
「共生社会」の前に、まず「受入れの原則」を
外国人政策は、一度進めれば簡単には元に戻せない政策です。
だからこそ、外国人を受け入れてから制度を考えるのではなく、
受け入れる前に、制度と原則を考えておく。
そのことが重要だと思います。
誰を受け入れるのか。
なぜ受け入れるのか。
どの程度受け入れるのか。
どのようなルールを共有するのか。
受け入れた後、日本社会と外国人がそれぞれどのような責任を負うのか。
こうしたことを、あらかじめ明確にしておく。
私は、それが「日本版ルール主義」の基本だと考えています。
これは、外国人を排除する思想ではありません。
かといって、無条件に受け入れる思想でもありません。
日本が自らの責任において受入れのルールを定め、そのルールを理解し、尊重し、日本社会の一員として責任を果たしたいと考える人に、適正な機会を提供する。
そして、日本側も、外国人がその社会の一員として生活できるための環境を整える。
その先に、
「秩序ある共生社会」
がある。
私は、そのような考え方を、これからの日本の外国人政策の基本理念として、より明確にしていくべきだと思います。
そして、ここでいう「共生社会」は、受入れの原則を曖昧にしたまま掲げるものではありません。
「誰を、なぜ、どのようなルールの下で受け入れるのか」という原則を明確にした上で、その原則に基づいて受け入れた人々と日本社会が、共通のルールと相互の責任の下で共に暮らしていく。
そう考えるなら、「共生社会」の前に「受入れの原則」を考えることは、共生社会に反対することではありません。
むしろ、持続可能な秩序ある共生社会を実現するためにこそ、その前段階となる受入れの原則を明確にしておく必要があるのだと思います。
最後に、今回私が提示した「出入国在留管理庁職員の使命」の改訂私案についても、誤解のないように付け加えておきたいと思います。
これは、現行の制度や、これまで出入国在留管理行政が積み重ねてきたものを否定するための対案ではありません。
現行の「使命」に示されている「公正な管理」「人権の尊重」「難民の保護」「共生社会の実現」といった理念は、いずれも大切なものです。
しかし、その一方で、現行の「使命」には、外国人の受入れについて、見直すべき点もあると私は考えています。
一つは、「ルールを守る外国人を積極的に受け入れる」という表現によって、「ルールを守ること」が外国人受入れの出発点であるかのように読めることです。
もう一つは、「外国人を積極的に受け入れる」ことが、なぜ、どのような目的で受け入れるのかという政策上の前提よりも先に置かれており、外国人を受け入れること自体が目的であるかのように読めることです。
私の改訂私案は、こうした点を見直し、まず日本が、「どのような外国人を、何のために、どのような原則と基準の下で受け入れるのか」を明確にした上で、その受入れ後に、日本社会と外国人の双方がそれぞれの責任を果たしながら、秩序ある共生社会を実現していくという順序に組み替えようとするものです。
したがって、今回の提案は、現行の「使命」に示された理念を単に「さらに明確にする」だけのものではありません。
これまで大切にされてきた「公正な管理」「人権の尊重」「難民の保護」「共生社会の実現」といった理念を維持しつつ、外国人受入れについての基本的な考え方と、その政策上の順序を見直し、日本がどのような原則に基づいて外国人を受け入れるのかを、より明確に位置付けるための提案なのです。
その意味で、私は今回の改訂私案を、現行制度の否定ではなく、これからの日本の外国人策にふさわしい理念と受入れ原則を、より明確にするための提案として提示したいと思います。
「共生社会」を掲げることに異論はありません。
しかし、その前に考えるべきことがあります。
「私たちは、どのような日本をつくり、その日本に、どのような人に来てもらいたいのか。」
その問いに正面から向き合うこと。
それが、これからの出入国在留管理行政、そして日本の外国人政策に求められているのではないでしょうか。
