はじめに
「山岳遭難の救助費用は無料であるべきか。それとも自己負担にすべきか。」
富士山の閉山期における無謀な登山や、救助されたにもかかわらず再び危険な区域へ入山して再度救助される事例が報じられるたび、この議論が繰り返されます。
最近も、政府や関係自治体で、富士山の閉山期における遭難救助費用の有料化について議論が行われていることが報じられました。
これに対し、高市早苗首相は、「救助費用を有料化すると、本当に救助を必要とする人まで救助要請をためらう可能性がある」として慎重な姿勢を示しています。
この懸念は、決して軽視すべきではありません。
人命救助は行政の重要な役割であり、「費用がかかるから助けを呼べなかった」という事態は避けなければならないからです。
しかし一方で、明らかなルール違反や無謀な行動によって発生した遭難まで、すべて税金で負担し続けることに疑問を感じる国民も少なくないでしょう。
本当に必要なのは、「無料か有料か」という二者択一ではありません。
人命を守ることと、社会のルールを守ることを両立できる制度を考えることではないでしょうか。
世界では「全面有料」と「全面無料」の中間を選ぶ国が増えている
海外の山岳国を見ると、日本とは異なる制度を採用している国が少なくありません。
例えば、スイスやオーストリアでは山岳救助が有料となるケースが多く、多くの登山者が山岳保険に加入しています。
また、イタリアやスペインなどでは、通常の遭難は公的に対応しつつも、立入禁止区域への侵入や重大なルール違反など、「著しい過失」が認められる場合には、救助費用を請求できる制度を採用している地域があります。
つまり、世界の流れは、
「すべて無料」でもなく、「すべて自己負担」でもない。
重大なルール違反には相応の責任を求める。
そのような制度設計へ向かっているように見えます。
日本でも「通常の遭難」と「明らかなルール違反」は区別して考えるべきではないか
私も、日本においては、この二つを分けて考えることが重要だと思います。
山で遭難する理由はさまざまです。
突然の体調悪化、落石、予想を超える天候の急変など、十分な準備をしていても防ぎきれない事故はあります。
このような遭難まで「自己責任」としてしまえば、救助要請をためらう人が現れ、人命に関わる結果を招きかねません。
一方で、
・閉山期への立入り
・立入禁止区域への侵入
・著しい装備不足
・気象警報や噴火警戒情報を無視した入山
・一度救助されたにもかかわらず再び危険区域へ入り再遭難する
といったケースは、単なる不運とは性質が異なります。
両者を同じように扱うことが、本当に公平なのでしょうか。
私が望ましいと考える制度
私は、次のような制度設計が一つの現実的な選択肢になるのではないかと考えます。
① 閉山期・立入禁止区域への入山には行政上の責任を明確にする
富士山や北アルプス、中央アルプス、南アルプスなど、遭難リスクが高い主要山岳については、法律又は条例に基づいて閉山期間や立入禁止区域を明確に定めます。
そして、それを知りながら立ち入った場合には、
・行政罰(罰金等)
・遭難した場合の救助費用の全部又は一部の負担
を求める制度を検討してもよいでしょう。
これは、「登山を禁止する」という考え方ではありません。
危険防止のために定められた社会のルールを守ってもらうという、ごく一般的な法の考え方です。
道路交通法に基づく通行止めや、災害時の立入禁止措置と同様に、「危険を防止するための規制」と位置付けることができます。
② それ以外の場合は、「法律で定めた重大なルール違反」に限定する
通常の登山における遭難まで有料化すべきではありません。
しかし、
・閉鎖された登山道への侵入
・必要な登山届の未提出
・著しい装備不足
・飲酒登山
・気象警報等を無視した入山
・悪質な再遭難
など、法律や政令などであらかじめ定めた重大なルール違反がある場合には、その責任の程度に応じて救助費用の全部又は一部を負担してもらう制度は十分に検討に値すると考えます。
あらかじめ対象となる行為を法律で明確に定めておけば、行政による恣意的な運用も防ぐことができます。
公共サービスに「モラルハザード」を生じさせないために
この問題は、「救助費用を有料にするかどうか」というだけの話ではありません。
私は、公共サービスにおけるモラルハザード(倫理的危険)をどう防ぐかという問題でもあると考えています。
救助活動は、
・警察
・消防
・自治体
・場合によっては自衛隊
など、多くの公的機関と税金によって支えられています。
もし、「どのようなルール違反をしても必ず無料で助けてもらえる」という意識が広がれば、一部の人には「どうせ助けてもらえる」という心理が働き、危険な行動を助長するおそれがあります。
もちろん、多くの登山者はそのような考えではありません。
しかし、制度とは、一部の悪質な行為によって社会全体の信頼が損なわれないよう設計されるべきものです。
だからこそ、人命救助という原則を守りながらも、明らかなルール違反には一定の責任を求める仕組みには合理性があります。
全国共通のルールを国が示すべきではないか
現在は、山梨県や静岡県が独自に制度の検討を進めています。
しかし、日本アルプスは複数の県にまたがり、登山者も全国から訪れます。
県ごとに制度が異なれば、
「こちらの県から登れば無料、別の県から登れば有料」
という不均衡も生じかねません。
そのため、基本的なルールは国が法律で定め、その上で各都道府県が地域の実情に応じて条例で補完する仕組みの方が、分かりやすく公平ではないでしょうか。
おわりに
私は、「遭難した人は自己責任だから助けなくてよい」と考えているわけではありません。
人命救助は、国家や自治体が果たすべき極めて重要な責務です。
だからこそ、本当に助けを必要とする人が、ためらうことなく救助を求められる制度は守らなければなりません。
しかし同時に、自由には責任が伴います。
登山の自由も例外ではありません。
私たちが自由に山へ登ることができるのは、救助体制を維持するために多くの人々が働き、社会全体が税金によってその仕組みを支えているからです。
自由とは、無制限・無条件に認められるものではなく、社会のルールを守るという責任と表裏一体の関係にあります。
日本が目指すべきなのは、「救助を有料化する社会」ではありません。
命は守る。
しかし、法律で定められた重大なルール違反には、相応の責任を求める。
そのような公平で分かりやすい制度こそ、登山者の安全を守り、救助活動に対する国民の理解と信頼を将来にわたって維持する道ではないでしょうか。
