【法の支配を考える】「法の支配」とは何か――民主主義社会を支える、最も大切な原則(第三部・特別編)

新常識
今崎最高裁判所長官の就任談話

はじめに

前回までの記事では、中国の「民族団結進歩促進法」を題材として、「域外適用」や「曖昧な法律」が社会に及ぼす影響について考えてきました。
しかし、本当に考えるべきテーマは、中国という一つの国だけの問題ではありません。
もっと根本にあるのは、
法律とは何のために存在するのか。
という問いです。
日本国憲法にも、この考え方は具体的な形で表れています。
例えば、第31条は、法律で定められた適正な手続によらなければ生命や自由を奪われないという原則を定めています。
また、第21条は、表現の自由を保障しています。
これらは別々の条文ではありません。
どちらも、
国家権力は法律によって制約され、人々の自由と権利は守られなければならない。
という「法の支配」の考え方を具体化したものです。
私たちは日常生活の中で「法律」という言葉を当たり前のように使っています。
しかし、本当に大切なのは、
法律が存在することではなく、その法律が人々の自由と権利を守るものになっているかどうか
なのです。
今回は、「法の支配」とは何かを、できるだけ分かりやすく考えてみたいと思います。

法律は国民を縛るためだけにあるのではない

「法律」と聞くと、多くの人は、
やってはいけないことを決めるルール
という印象を持つでしょう。
もちろん、それも法律の役割の一つです。
しかし、近代国家において、法律にはもう一つ、非常に重要な役割があります。
それは、
国家権力を縛ること
です。
もし、政府が好きなように国民を処罰できるのであれば、人々は安心して生活することができません。
だからこそ、
「何が違法なのか」
「どのような手続で処罰されるのか」
「政府はどこまで権限を持つのか」
を、あらかじめ法律で定め、国家権力にもルールを守らせる必要があります。
つまり、法律は国民を縛るだけでなく、国家権力を縛るためにも存在しているのです。

「法の支配」と「法律による支配」は同じではない

ここで、読者の皆さんに一つ質問があります。
法律とは、権力者が国民を支配するための道具なのでしょうか。
それとも、
権力者自身を縛るためのルールなのでしょうか。
実は、この違いこそが、「法の支配」を理解するうえで最も重要なポイントです。
ここから、Rule of Law と Rule by Law の違いへ自然につなげます。
ここで、似ているようで全く異なる二つの考え方があります。
一つは、
法の支配(Rule of Law)
もう一つは、
法律による支配(Rule by Law)
です。
日本語では似た表現ですが、意味は大きく異なります。
「法の支配」とは、
法律そのものが、公平であり、明確であり、権力を制限するものであるという考え方です。
一方、「法律による支配」とは、
政府が作った法律で国民を統治するという意味です。
もし、その法律の内容が曖昧であったり、政府に都合よく運用できたりするものであれば、「法律は存在している」のに、「法の支配」は実現していないことになります。
つまり、
法律があることと、
法の支配が実現していること
は、必ずしも同じではない
のです。

なぜ「曖昧な法律」は危険なのか

想像してみてください。
ある町で、
「町長に迷惑を掛けた人は処罰する。」
という条例が作られたとします。
この条例には、大きな問題があります。
「迷惑」とは何でしょうか。
町長を批判したことなのか。
反対意見を言ったことなのか。
それとも、本当に違法な行為なのか。
基準が曖昧であれば、最終的には町長自身の判断で決められてしまうかもしれません。
だから法治国家では、
「何が違法なのか」
をできる限り具体的に定めることが重要視されています。
これは、犯罪者を守るためではありません。
善良な市民が、安心して発言し、研究し、仕事をし、生活するためなのです。

自由は「法律があるから」守られるのではない

自由とは、
法律が存在するから守られるのでしょうか。
実は、それだけではありません。
自由を守るのは、
良い法律
です。
つまり、
内容が明確であること
誰にも公平に適用されること
権力者にも法律が適用されること
裁判によって救済を受けられること
こうした条件がそろって初めて、人々は安心して自由を行使できます。
逆に、法律が数多く存在していても、その内容が曖昧であったり、恣意的に運用されたりするのであれば、人々は「問題になるかもしれない」と考え、自ら自由な行動を控えるようになります。
その社会では、「法律」は存在していても、「自由」は十分に保障されているとは言えません。

私たち一人ひとりに関係する問題

「法の支配」という言葉を聞くと、政治家や裁判官だけに関係する話だと思う人もいるかもしれません。
しかし、そうではありません。
例えば、
・安心してSNSで意見を述べられること
・自由に本を書けること
・研究したいテーマを選べること
・企業が予測可能なルールの下で事業を行えること
・法律を守れば安心して暮らせること
これらはすべて、「法の支配」があって初めて実現するものです。
つまり、「法の支配」は、民主主義国家の制度論にとどまらず、私たちの日々の生活を支える基盤でもあるのです。

おわりに

今回のシリーズでは、中国の「民族団結進歩促進法」をきっかけとして、「域外適用」「曖昧な法律」「法の支配」について考えてきました。
しかし、このシリーズで本当に伝えたかったことは、中国という一国を論評することではありません。
法律は、本来、人々の自由と権利を守るために存在します。

だからこそ、法治国家では、
・何が違法なのかをできる限り明確にすること
・国家権力も法律に従うこと
・誰もが予測可能なルールの下で安心して生活できること
・自由な議論や学問、表現が不当に萎縮しないこと
が重視されます。
日本国憲法が保障する適正手続や表現の自由も、こうした考え方の上に成り立っています。
世界情勢が大きく変化し、各国が国家安全保障を重視する時代だからこそ、「法の支配」という原則は、決して古い理念ではありません。
むしろ、その重要性は、これまで以上に高まっていると言えるでしょう。
私たちは、法律があるかどうかだけではなく、
その法律は、国家権力を適切に制約し、人々の自由と権利を守るものになっているだろうか。
という視点を持ち続けることが大切です。
それは、中国という一つの国だけに向けられる問いではありません。
日本を含め、あらゆる国の法律や制度を考える際にも、私たち一人ひとりが持ち続けるべき視点なのではないでしょうか。

法律は、人を支配するためだけの道具ではありません。
本来は、国家権力を制約し、人々の自由と権利を守るために存在するものです。
だからこそ私たちは、法律が存在するかどうかだけではなく、その法律が「法の支配」という理念にかなうものになっているかを問い続ける姿勢を大切にしたいものです。
それは特定の国だけに向けられる問いではありません。
私たち自身の社会を含め、あらゆる法制度を考えるときに持ち続けたい、普遍的な視点なのではないでしょうか。

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