最近、外国人の受入れをめぐって、日本社会の中に不安や戸惑いを感じる人が増えているように思います。
その声に対して、「外国人排斥だ」「多様性を否定している」と決めつけてしまうのは、問題の本質を見誤るのではないでしょうか。
もちろん、外国人に対する偏見や差別は許されません。
日本で適法に暮らし、働いている外国人を、国籍だけを理由に不当に扱うべきでもありません。
しかし、それと同時に、
「日本は、これからどのような外国人政策を採るのか」
という問いを、私たち日本国民が主権者として政府に問いかけることも、当然に認められるべきです。
むしろ今、必要なのは、その問いから逃げないことではないでしょうか。
- 「移民国家になる」と、日本国民は決めたのか
- 問題は「外国人を受け入れるか、受け入れないか」ではない
- 「誰が得をして、誰が負担するのか」という視点
- 「多様性」という言葉で、議論を終わらせてはいけない
- 国民が求めているのは「排外」ではなく「ルール」ではないか
- 政府に求めたい「五つの説明」
- 「123万人」という数字は、何の上限なのか
- さらに必要なのは、「外国人依存型」から「外国人補完型」への転換
- 第二に、「日本語と社会生活への適応をどう求めるのか」
- 第三に、「税・社会保険の負担をどう確実にするのか」
- 第四に、「犯罪や重大なルール違反にどう対応するのか」
- 第五に、「政策の結果を誰が検証するのか」
- 「なし崩し」と批判されないために
- 最後に――政府・与党に問いかけたい
「移民国家になる」と、日本国民は決めたのか
日本政府は、これまで、日本は「移民政策を採っていない」と説明してきました。
ここで重要なのは、この説明と、実際に採られている制度との関係です。
日本政府が、欧米の一部の国々のように、家族を含む外国人の恒久的な受入れを前提とした「移民国家」への転換を、国民に明示的に決定したわけではありません。
しかし、だからといって、制度の結果として外国人の中長期的な定着が進む可能性まで、別問題として扱ってよいのでしょうか。
在留資格「特定技能2号」では家族帯同が認められ、特定技能制度から永住許可につながる可能性もあります。ただし、永住許可には一般的な要件があり、在留資格「特定技能1号」から自動的に永住できるという意味ではありません。
そして、技能実習制度は廃止され、2027年4月から「育成就労制度」が始まります。
政府自身が、この制度について、深刻な人手不足に対応するための制度と位置づけ、特定技能制度との連続性を持たせています。育成就労は原則3年、特定技能1号は通算5年以内、特定技能2号については在留期間の上限がありません。
これは、従来の「一時的に外国人を受け入れる」という説明だけでは、もはや十分に説明しきれない段階に来ているのではないでしょうか。
だからこそ、
「日本は移民国家になると決めたのか」
という問いを、感情論としてではなく、政策論として私たち日本国民が政府に問い直す必要があると思います。
現在の政府も、外国人の受入れについて、将来推計などを行い、量的マネジメントを含めた「基本的な在り方」を検討し、2026年度中に基本方針を取りまとめる方針を示しています。
だからこそ、今はむしろ、国民がこの問題について正面から議論すべき時なのです。
問題は「外国人を受け入れるか、受け入れないか」ではない
ここを単純化してはいけません。
外国人材の受入れそのものを、あらかじめ全面否定する必要はありません。
少子高齢化、人手不足、地方の産業維持など、日本社会の中には、外国人材による補完を必要とする分野が生じることもあるでしょう。
しかし、
「人手が足りないから外国人を入れる」
という説明だけで、政策を進めてよいのでしょうか。
外国人を受け入れれば、それで終わりではありません。
働く人には生活があります。
家族が来れば、教育があります。
地域で暮らせば、住宅、医療、福祉、交通、自治体行政との関係も生じます。
子どもが学校に通えば、日本語教育を含めた教育現場の対応も必要になります。
つまり、外国人を受け入れるということは、
労働市場に人を入れるだけの政策ではありません。
一人の外国人が日本社会で暮らすということは、その人を受け入れる社会全体にも一定の対応が求められるということです。
だからこそ、受入れ人数だけでなく、
「どこまで責任を持って、日本社会の一員として生活できる環境を整えられるのか」
まで考えなければならないのです。
「誰が得をして、誰が負担するのか」という視点
ここも避けてはいけない問題です。
外国人材を受け入れることで利益を得る企業があります。
人手不足を補うことができれば、事業を継続できる企業もあります。
もちろん、それ自体を悪いことだと言うつもりはありません。
しかし、企業にとってのメリットと、日本社会全体にとってのメリットが、常に一致するとは限りません。
企業にとっては必要な人材でも、その受入れに伴って、
・地方自治体の行政負担
・日本語教育への対応
・学校現場の負担
・住宅・医療・福祉への対応
・税・社会保険の適正な負担
・地域社会における生活ルールへの対応
・不法滞在・不法就労などへの対応
といった問題が生じることがあります。
そして、その費用や負担のすべてを、受入れ企業だけが負担しているとは限りません。
場合によっては、自治体や学校、そして最終的には国民全体が負担することになります。
だからこそ、
「外国人を受け入れることによって、誰が利益を得て、誰がどのようなコストを負担するのか」
を、政府はもっと正面から議論すべきなのです。
これは外国人を責める話ではありません。
制度を設計する側の責任の問題です。
「多様性」という言葉で、議論を終わらせてはいけない
外国人の受入れについて異論を述べると、
「多様性を認めないのか」
「共生社会に反対なのか」
という批判が出ることがあります。
しかし、これも少しおかしな話ではないでしょうか。
多様性を尊重することと、外国人政策の具体的な問題について議論することは、両立します。
日本社会のルールを守ることを求めることは、外国人の文化や宗教を否定することではありません。
逆に、日本人が外国人の文化や宗教を尊重することも、日本の法律や社会の基本的なルールを守ることと両立します。
必要なのは、
日本のルールと外国のルールを混ぜ合わせた「中間的なルール」を作ることではありません。
一つの日本社会の中で暮らす以上、国籍にかかわらず、共通して守るべき法と基本的な社会生活のルールがあります。
そのうえで、法律や公序良俗に反しない文化、宗教、生活習慣の違いは尊重する。
私は、そのような考え方こそが、現実的な「共生」ではないかと思います。
国民が求めているのは「排外」ではなく「ルール」ではないか
外国人政策に不安を感じる国民に対して、
「外国人嫌いなのではないか」
とレッテルを貼るのは簡単です。
しかし、本当にそうでしょうか。
多くの国民が求めているのは、外国人を排除することではなく、
「何のために、どれだけ受け入れるのかを明確にしてほしい」
ということではないでしょうか。
そして、
「受け入れた以上、日本社会のルールを守ってもらいたい」
ということではないでしょうか。
さらに、
「ルールを守らない場合には、国籍にかかわらず、法律に基づいて適正に対処してほしい」
ということではないでしょうか。
これは、決して過激な要求ではありません。
法治国家として当然の要求です。
政府に求めたい「五つの説明」
だからこそ、政府・与党には、外国人政策について、少なくとも次の五つを国民に明確に説明してもらいたいと思います。
第一に、「どこまで受け入れるのか」、そして「受入れの前に何を整えるのか」
外国人労働者の受入れについて、分野別・制度別の人数枠を設定するだけでは十分ではありません。
現在、政府は特定技能制度と育成就労制度について、分野ごとに受入れ見込数を設定し、これを受入れの上限として運用しています。政府は、その算定に当たって、生産性向上や国内人材確保の取組を行った上でなお不足する人数を踏まえる考え方を示しています。
しかし、ここで私は、さらに一歩踏み込んで考える必要があると思います。
「何人まで受け入れられるか」を考える前に、「日本社会は何人まで責任を持って受け入れられる状態にあるのか」を考えるべきではないでしょうか。
私はこれまで、外国人政策について、「社会統合先行原則」という考え方を提唱してきました。
これは、外国人を先に受け入れ、その後になって日本語教育、学校、医療、住宅、地域社会との共生などの社会統合策を追いかけるのではなく、
まず日本社会の社会統合能力を整え、その能力の範囲内で受入れを行う
という考え方です。
言い換えれば、
「受入れ先行」ではなく「社会統合先行」。
これが、私の考える「日本版ルール主義」の重要な原則の一つです。
現在の日本は、すでに相当数の外国人が暮らす社会になっています。
そうであるなら、今必要なのは、受入れ人数をさらに積み上げることだけではありません。
日本語教育、学校教育、医療、住宅、自治体行政、地域社会でのルール共有、税・社会保険の適正な負担、相談・支援体制、そして不法滞在・不法就労等への対応――。
こうした社会統合のための能力を、まず充実・強化することです。
その意味で、私は、現状のまま新規の受入れを拡大することには慎重であるべきだと考えます。
むしろ現在の日本では、新規の外国人受入れをいったん当面停止、少なくとも大幅に抑制し、その期間を社会統合能力の充実・強化に充てるという選択肢を、政府は真剣に検討すべきではないでしょうか。
これは、外国人を排除するための「停止」ではありません。
責任を持って受け入れるための、一時的な「立ち止まり」です。
すでに日本で適法に生活している外国人をどうするかという問題と、これから新たにどれだけ受け入れるかという問題は、分けて考える必要があります。
そして、社会統合能力が十分に整った段階で、その能力に応じて受入れ規模を改めて判断する。
これこそが、私は責任ある政策運営だと考えます。
「123万人」という数字は、何の上限なのか
ここで、現在設定されている「受入れ見込数」についても、注意しておく必要があります。
政府が令和10年度末までの受入れ見込数として示している約123万1,900人は、「特定技能1号」80万5,700人と「育成就労」42万6,200人を合わせたものであり、政府自身が、これを「1号特定技能外国人・育成就労外国人」の受入れ上限として説明しています。また、現在の外国人在留者数に加えて、新たに123万人を受け入れるという意味でもありません。
つまり、この数字は、特定技能1号と育成就労による受入れ規模を管理するための上限です。
しかし、ここで一つ、重要な問題があります。
特定技能1号の外国人が、所定の要件を満たして特定技能2号への在留資格変更許可を受ければ、その人は1号特定技能外国人ではなくなります。
しかし、当然のことながら、その人が日本社会から退出するわけではありません。
むしろ特定技能2号については、在留期間の上限がなく、家族帯同も認められています。
そうであるならば、特定技能1号について設定された受入れ上限の対象から外れたとしても、その人が日本社会に定着していく可能性まで消えるわけではありません。
したがって、約123万1,900人という数字については、
「特定技能1号と育成就労による受入れ規模を管理する上限」
であることと、
「日本社会に最終的にどれだけの外国人が定着するのかを管理する上限」
であることを、明確に区別する必要があります。
さらに、日本で就労する外国人には、特定技能1号・2号や育成就労だけでなく、「技術・人文知識・国際業務」など、その他の就労資格で在留する人もいます。
また、日本人の配偶者等、永住者、定住者など、就労を主目的としない在留資格で日本に中長期的に在留する外国人もいます。
そう考えると、私たち国民が政府に問うべきなのは、単に、
「特定技能1号と育成就労を合わせて何人まで受け入れるのか」
ということだけではありません。
「これらを含め、日本社会に中長期的に定着する外国人の規模を、政府はどのように把握し、どのように管理していくのか」
ということではないでしょうか。
在留資格ごとに個別の受入れ人数を設定するだけでよいのか。
それとも、在留資格の変更や家族帯同、さらには永住・定住なども視野に入れて、日本社会への中長期的な定着という結果まで見通し、外国人受入れの総量を政策として管理する必要があるのではないか。
私は、この問題を今こそ国民的な議論の対象にすべきだと思います。
さらに必要なのは、「外国人依存型」から「外国人補完型」への転換
もう一つ、重要な視点があります。
それは、日本経済そのものを、
「外国人依存型」の経済から「外国人補完型」の経済へ転換すること
です。
人手不足が生じるたびに外国人を追加投入する。
賃金を上げるより、外国人材を受け入れる。
省力化や生産性向上を進めるより、人手で穴を埋める。
これが常態化すれば、外国人材は「補完」ではなく、いつの間にか日本経済を支える「依存」の存在になってしまいます。
それでは、本来必要な経済構造改革が遅れる可能性があります。
まず、
・日本人が働きやすい労働環境をつくる
・賃金・処遇を改善する
・国内人材の活躍を促す
・省力化・自動化・デジタル化を進める
・生産性を高める
・事業そのものの効率化を進める
といった国内の努力を行う。
それでもなお不足する部分について、
外国人材に「補完」してもらう。
これが本来の順序ではないでしょうか。
外国人材を「日本人の代わり」にするのではなく、
日本人だけでは埋めきれない部分を、適切な外国人材によって補完する。
この考え方ならば、外国人受入れと日本人の雇用・賃金・生産性向上を対立させる必要もありません。
むしろ、
国内改革を進めたうえで、それでも必要な外国人材を受け入れる。
そのような経済構造を目指すべきです。
第二に、「日本語と社会生活への適応をどう求めるのか」
日本で生活する以上、日本語を学び、日本の法律や基本的な社会生活のルールを守ることは当然の前提です。
そのうえで、日本社会で生活するために必要な日本語や制度について、誰が、どこまで、どのように支援するのかを明確にする。
そして、外国人にも、日本社会の一員として果たすべき責務を求める。
「共生しましょう」と呼びかけるだけではなく、権利と責務の双方を明確にすることが必要です。
第三に、「税・社会保険の負担をどう確実にするのか」
外国人も日本社会の中で働き、生活する以上、法律に基づく税や社会保険の負担を適正に担うことが原則です。
そのためには、本人に負担を求めるだけではなく、雇用する企業側にも適正な管理を求め、行政機関の情報連携を強化する必要があります。
「外国人だから特別扱いする」のではなく、「外国人だからこそ不公平が生じない仕組みをつくる」ことが重要です。
第四に、「犯罪や重大なルール違反にどう対応するのか」
日本に適法に滞在している外国人の権利は、当然守られなければなりません。
その一方で、重大な犯罪を犯した者や、在留資格を失った者、不法滞在を続ける者などについて、法律に基づいて適正かつ確実に対応できる制度でなければなりません。
これは外国人を一括して疑うという話ではありません。
法を守る人を守り、法を破った人には法に基づいて対応する。
その原則を、国籍によって曖昧にしてはいけないということです。
第五に、「政策の結果を誰が検証するのか」
これが、最も重要なのかもしれません。
受入れ政策を始めたら、それで終わりではありません。
賃金への影響はどうだったのか。
地域社会にどのような変化が生じたのか。
学校や自治体の負担はどうなったのか。
税・社会保険の納付状況はどうなのか。
犯罪や不法滞在への対応は十分なのか。
そして、外国人本人が日本社会の中で適切に生活できているのか。
こうした結果を定期的に検証し、
問題があれば制度を縮小・修正する。
その仕組みまで含めて、外国人政策と呼ぶべきではないでしょうか。
「なし崩し」と批判されないために
私は、日本が外国人を受け入れること自体に反対しているわけではありません。
日本社会にとって真に必要な分野で、国内人材の確保や生産性向上などの努力を尽くしたうえで、それでも必要となる適切な外国人材を、外国人依存型の経済にならないことを前提として受け入れることは、これからも必要になるでしょう。
しかし、
「人手不足だから受け入れる」
↓
「受け入れた人が日本に住み続ける」
↓
「家族帯同が認められる場合には、家族も日本で暮らす」
↓
「さらに定着する」
という変化が起きているのであれば、
それを単なる「人手不足対策」とだけ説明して済ませることはできません。
それは、日本社会そのものの将来に関わる政策だからです。
まして、2027年4月には育成就労制度が始まります。政府自身が、育成就労制度を深刻な人手不足に対応するための制度と位置づけ、特定技能制度との連続性を持たせています。
だからこそ、今こそ立ち止まって考える必要があります。
日本は、どのような社会を目指すのか。
外国人を何人受け入れるのかだけではありません。
どのような人に来てもらうのか。
どのようなルールを守ってもらうのか。
どこまで社会として受け入れるのか。
どこから先は受入れを抑制するのか。
そして、受け入れた結果、日本社会にどのような変化が起きたのかを、誰が検証するのか。
最後に――政府・与党に問いかけたい
政府・与党にお願いしたいのは、外国人受入れに反対する国民を「排外主義」と決めつけることでも、外国人受入れを支持する人々を「人権派」として持ち上げることでもありません。
必要なのは、
国民の不安を、政策課題として正面から受け止めることです。
そして、国民に対して、できるだけ具体的に説明することです。
「移民政策ではありません」と繰り返すだけでは、もう十分ではありません。
なぜなら、国民が知りたいのは名称ではなく、
「この政策を続けた結果、日本は10年後、20年後にどのような社会になるのか」
だからです。
外国人を受け入れることによって、日本社会が活力を得る可能性もあるでしょう。
一方で、受け入れ方を誤れば、地域社会の摩擦や行政負担、制度への不信を招く可能性もあります。
だからこそ、必要なのは、
受け入れるか、受け入れないかという二者択一ではありません。
必要なのは、
「責任を持って受け入れる」ことです。
そして、そのためには、
受け入れを先行させるのではなく、社会統合を先行させる。
外国人に依存するのではなく、日本経済の改革を進めたうえで、外国人材に補完してもらう。
この二つの原則を、これからの外国人政策の基本に据えるべきだと思います。
そのうえで、
受け入れ人数を管理する。
日本語と社会生活への適応を求める。
税や社会保険の負担を適正に担ってもらう。
日本の法律と基本的な社会ルールを遵守することを求める。
重大な違法行為には、国籍にかかわらず法に基づいて対応する。
そして、政策の結果を定期的に検証し、必要なら見直す。
それができて初めて、外国人政策は「政策」と呼べるのではないでしょうか。
そして、もう一つ、政府・与党に強く問いたいことがあります。
国民が決めてもいないことを、制度の積み重ねだけで既成事実化してはいけない。
外国人の受入れ規模や、その定着の在り方は、日本社会の将来を左右する重大な政策課題です。
それを、個々の制度改正を積み重ねることによって、いつの間にか大きな社会変化へとつなげていく。
その結果について国民が気づいたときには、もはや後戻りすることが難しい。
もし、そのような政策運営が行われるのであれば、私は強く問題を提起せざるを得ません。
まるで「国民には知らせなくてもよい。国民には、決められた制度に従ってもらえばよい」と言わんばかりのやり方であってはならないのです。
これは単なる説明不足の問題ではありません。
国民主権の問題です。
日本国憲法は、前文において「主権が国民に存すること」を明記し、国政は「国民の厳粛な信託」によるものとしています。
だからこそ、日本社会の将来を大きく左右する政策を、国民への十分な説明も、国民的な議論もないまま、制度の積み重ねによって既成事実化していくことは、国民主権の理念に照らして重大な問題です。
「国民は知らしむべからず、よらしむべし」と言わんばかりのやり方は、国民主権を基本原理とする日本国憲法の精神を軽視するものではないでしょうか。
私は、これは単なる政策手法の問題ではなく、国民主権に対する重大な軽視だと考えます。
もちろん、政府・与党には政策を決定する権限があります。
しかし、その権限は、国民からの負託によって与えられたものです。
政府・与党が日本の将来を勝手に決めてよいという白紙委任状ではありません。
だからこそ、外国人政策についても、
何を目指すのか。
なぜ、その政策が必要なのか。
どれだけの外国人を受け入れるのか。
日本社会にはどのような負担が生じるのか。
社会統合能力は十分なのか。
将来、どこまで定着することを想定しているのか。
そして、その結果について誰が責任を負うのか。
これらを国民に明確に説明し、国民の理解と納得を得ながら進めることが、政府・与党の責務です。
国民が知らないうちに、日本社会の姿を変えてしまうような政策であってはならない。
日本の将来を決めるのは、政府でも、企業でも、行政官僚でもありません。
最終的にその国の在り方を決めるのは、主権者たる私たち日本国民です。
外国人を敵にする必要はありません。
しかし、国民の不安を敵にすることも、また許されないはずです。
「日本人のための日本でありながら、外国人にも選ばれる日本」――。
そのためには、外国人を受け入れることだけを考えるのではなく、まず日本社会そのものを、持続可能で、安心して暮らせる社会にしていく必要があります。
外国人政策について、いま日本に必要なのは、理念の競争ではありません。
現実を見て、ルールを定め、社会統合能力を高め、国民に説明し、そして結果に責任を持つ政治です。

