はじめに
前回の記事『【法の支配を考える】中華人民共和国の「民族団結進歩促進法」とは何か?――日本人も知っておくべき「域外適用」という新たなリスク(第一部)』では、中国で2026年7月1日に施行される「民族団結進歩促進法」の概要と、「域外適用」という考え方について解説しました。
しかし、この法律について本当に考えるべき問題は、「外国人にも適用される」という点だけではありません。
それ以上に重要なのは、法的責任を問う基準となる「民族分裂」という概念が、どこまで明確なのかという点です。
法律は、人々を処罰するためだけに存在するものではありません。
国民が安心して生活し、自由に活動できるようにするためにも、「何をすれば違法になるのか」が誰にでも分かるものでなければなりません。
この原則は、中国だけでなく、日本を含めた法治国家すべてに共通する考え方です。
今回は、その法治国家の基本原則という視点から、この法律がなぜ国際社会で議論を呼んでいるのかを考えてみたいと思います。
法律は「分かりやすく」なければならない
皆さんは、次のようなルールが突然作られたら、どう感じるでしょうか。
「社会に悪い影響を与えた人は処罰する。」
一見すると、もっともらしく聞こえるかもしれません。
しかし、「社会に悪い影響」とは何を指すのでしょうか。
ある人は「悪い」と考えても、別の人はそう考えないかもしれません。
このような曖昧なルールでは、判断する人によって結論が変わるおそれがあります。
だからこそ、法治国家では、「何が違法なのか」をできる限り明確に定めることが求められています。
それは、国民が安心して生活できるようにするためであり、権力の恣意的な運用を防ぐためでもあります。
「罪刑法定主義」が私たちを守っている
この考え方を法律用語では「罪刑法定主義」といいます。
少し難しい言葉ですが、その意味はシンプルです。
「何が犯罪であり、どのような処罰を受けるのかは、あらかじめ法律で明確に定められていなければならない。」
という原則です。
もし、この原則がなければ、
「昨日までは問題なかったことが、今日になって突然犯罪になる」
あるいは、
「同じ行為なのに、担当する役人によって判断が変わる」
ということも起こり得ます。
それでは、人々は安心して発言し、研究し、仕事をし、生活することができません。
法治国家が目指しているのは、「人の気分によって支配される社会」ではなく、「あらかじめ定められたルールによって支配される社会」なのです。
今回の法律で懸念されていること
今回の「民族団結進歩促進法」で議論されているのは、「民族分裂」という概念です。
もちろん、国家の統一や治安を守ることは、多くの国が重要な政策課題としています。
しかし問題は、
「どこまでが民族分裂なのか」
という基準が、法律上どこまで明確なのかという点です。
例えば、
・歴史について議論すること
・民族問題を研究すること
・特定の政策について批判的な意見を述べること
・SNSで自分の考えを発信すること
こうした行為が、どのような場合に「民族分裂」に当たると判断されるのかが広く解釈され得るのであれば、人々は「問題になるかもしれない」という不安から、自ら発言や研究活動を控えるようになる可能性があります。
法律によって直接処罰されなくても、「念のため発言は控えよう」「研究テーマを変えよう」と考える人が増えれば、社会全体として自由な議論が失われていきます。
法学では、このような現象を「萎縮効果(チリング・エフェクト)」と呼びます。
これは、日本人にとっても決して遠い世界の話ではありません。
例えば、日本の大学で研究者が新疆やチベットの歴史・文化・人権問題について学術論文を発表したとします。その内容は日本では適法であり、学問の自由の範囲内であっても、中国当局がどのように評価するかは別問題です。評価基準が広く解釈され得る場合には、中国への渡航や共同研究をためらう研究者が出てくるかもしれません。
また、日本企業が自社のホームページや広告で、中国政府の立場と異なる表現を用いた場合、中国国内での事業活動に影響が及ぶ可能性も考えられます。
さらに、一般の日本人であっても、SNSで国際問題について意見を発信し、その後に中国へ旅行や出張を予定している場合には、「過去の投稿が問題視されるのではないか」と不安を抱く人が出てくるかもしれません。
もちろん、これらが直ちに違法となると断定することはできません。しかし、何が問題となるのかを十分に予測できない状況そのものが、人々の行動や判断に影響を与える可能性があるのです。
問題は「域外適用」と組み合わさることにある
ここで第一部の内容に戻ります。
もし、このような曖昧な概念が中国国内だけで適用されるのであれば、その影響は主として中国国内にとどまります。
しかし、この法律は一定の場合には外国人にも法的責任を及ぼすことを定めています。
つまり、
「曖昧な概念」
と
「域外適用」
という二つが組み合わさることになります。
この点こそが、今回の法律について国際社会で議論が生じている理由の一つです。
もっとも、「域外適用」そのものが直ちに問題というわけではありません。
例えば、テロ、海賊行為、人身売買、児童への重大な性犯罪など、国際社会が重大犯罪と認識している行為については、多くの国が一定の域外適用を認めています。これらは国境を越えて行われることが多く、国際協力による取締りが不可欠だからです。
しかし、それらは何が違法なのかが比較的明確であり、多くの国が共通の問題として認識しています。
一方で、政治的・思想的な概念を含む規定については、その解釈が国や時代によって異なることがあります。そのため、このような概念を外国人にまで適用する場合には、より慎重な制度設計と透明性が求められるという考え方があります。
日本人は何に注意すべきか
現時点で、日本国内に住む一般の日本人が、直ちにこの法律によって何らかの処分を受けるということではありません。
しかし、中国への渡航や事業活動など、中国との接点がある人は、自身の発言や活動がどのように受け止められる可能性があるのかを意識しておくことが重要です。
特に、
・中国へ出張や旅行を予定している人
・中国に子会社や取引先を持つ企業
・中国との共同研究を行う大学・研究機関
・国際問題について積極的に情報発信している人
などは、今後の法運用や各国政府が発出する渡航情報・注意喚起にも目を配ることが望ましいでしょう。
また、日本企業にとっては、日本法だけでなく、事業を展開する国の法制度についても十分に理解し、適切なリスク管理を行うことが、これまで以上に重要になっています。
私たちが考えるべきこと
今回の記事は、中国という一つの国の法律を題材にしました。
しかし、本当に考えるべきテーマは、もっと普遍的なものです。
どの国であっても、
「何が違法なのかが曖昧なまま法的責任を問うこと」
そして、
「その法律を外国人にも広く適用すること」
については、法の支配、法的安定性、表現の自由という観点から慎重な検討が求められます。
これは中国に限った話ではありません。
民主主義国家であっても、権威主義国家であっても、法律が国民の自由と権利を守るために存在する以上、「何が違法なのかをできる限り明確にする」という原則は尊重されるべきです。
だからこそ、私たちは特定の国への好き嫌いだけで議論するのではなく、
「法とは何のために存在するのか」
という原点に立ち返って考える必要があるのではないでしょうか。
おわりに
国際社会では、国家安全保障や国際情勢の変化を背景に、自国法の適用範囲を広げようとする動きが見られます。
しかし、そのような時代だからこそ、「法の支配」という普遍的な原則の重要性は、むしろ高まっていると言えるでしょう。
「外国の法律だから、自分には関係ない。」
そう考えるのではなく、まず事実を知り、その法律がどのような考え方に基づき、私たちの生活や企業活動にどのような影響を及ぼし得るのかを冷静に理解することが大切です。
そして、この問題をきっかけに、「法の支配とは何か」「自由社会における法律のあるべき姿とは何か」について、一人ひとりが考えてみることが、民主主義社会を支える力につながるのではないでしょうか。
次回【第三部・特別編】予告
前回の第一部では、中国「民族団結進歩促進法」の概要と「域外適用」という制度について解説しました。
そして今回の第二部では、「民族分裂」という概念の曖昧さや、それが国外にも及び得ることによって生じる法的・実務的な問題点について考えてきました。
では、こうした問題の本質は、いったいどこにあるのでしょうか。
その答えは、「法の支配(Rule of Law)」という、民主主義社会を支える最も重要な原則にあります。
第三部・特別編では、中国の法律という個別の事例を離れ、「法とは何のために存在するのか」「法律があること」と「法の支配」が実現していることは何が違うのかを、日本国憲法の考え方も交えながら、高校生にも分かる言葉で解説します。
中国という一国の問題にとどまらず、自由で民主的な社会を支える普遍的な原理について、一緒に考えてみたいと思います。
『【法の支配を考える】「法の支配」とは何か――民主主義社会を支える、最も大切な原則(第三部・特別編)』
へ続きます。
