近年、日本各地で野菜などの無人販売所が閉鎖に追い込まれているという報道や投稿が増えています。
その背景として、SNS上では、
「外国人が増えて治安が悪化した」
「日本人が大切にしてきた性善説が崩壊した」
という趣旨の意見も見られます。
もちろん、外国人を含め社会の構成が変化する中で、治安や社会的信頼の維持について真剣に考えることは重要です。
しかし同時に、ここで一度立ち止まって考える必要があります。
果たして日本社会は、歴史を通じて「誰もが善意で行動する社会」だったのでしょうか。
そして、無人販売所という仕組みは、本当に「日本人の性善説」だけによって成立していたのでしょうか。
私は、この問題を考える際には、まずこの基本的な事実関係を確認する必要があると思います。
「性善説の国・日本」というイメージを見直す
日本社会には、確かに世界的に見ても比較的高い社会的信頼が存在してきました。
落とし物が戻ってくる。
公共の場が比較的きれいに保たれている。
列に並ぶ、約束を守る、地域で助け合う。
こうした文化的特徴は、日本社会の大きな長所と言えるでしょう。
しかし、それは、
「日本人は昔から全員が善人だった」
という意味ではありません。
日本の歴史を振り返れば、窃盗や詐欺などの犯罪は常に存在してきました。
江戸時代にも盗みを働く者はいましたし、戦後の日本でも窃盗事件は数多く発生しています。
つまり、日本社会は「犯罪者が存在しない社会」だったのではありません。
むしろ、
「多くの人はルールを守る。しかし、一部にはルールを破る人もいる」
という現実の上に成り立ってきた社会だったのです。
無人販売所は「無条件の性善説」で成立していたわけではない
野菜の無人販売所は、日本文化の象徴として語られることがあります。
確かに、商品を置き、料金箱を設置し、利用者の善意に委ねる仕組みは、日本社会の信頼感を象徴するものと言えるでしょう。
しかし、その成立には、いくつもの条件がありました。
例えば、
・売り手と買い手の距離が近い地域社会
・地域内での評判という見えない力
・商品単価が比較的低いこと
・「盗んでも得られる利益が小さい」という事情
・地域住民同士の顔が見える関係
こうした条件が組み合わさって、無人販売所は維持されてきたのです。
つまり、それは「人間は必ず善良である」という抽象的な性善説ではなく、
「多くの人が善意で行動することを前提にしながら、地域社会の信頼関係によって支えられる仕組み」
だったと言えます。
社会が変化すれば、仕組みも変化する
現代社会では、地域のつながりは以前より弱まっています。
人口移動が進み、都市化が進み、地域の顔の見える関係が薄れてきました。
また、社会全体の価値観や生活環境も変化しています。
そのような中で、かつて機能していた仕組みが、そのまま維持できなくなることは不思議ではありません。
これは無人販売所に限った話ではありません。
昔は地域の目によって自然に維持されていた秩序を、現在では防犯カメラや電子決済、管理システムなどによって補う場面が増えています。
これは「日本人が悪くなった」という単純な話ではありません。
社会条件が変化した以上、制度や仕組みも変化させる必要があるということです。
だからこそ、原因は冷静に分析しなければならない
ここで重要になるのが、外国人問題をどう考えるかです。
社会の変化の一つとして、外国人住民の増加を挙げる意見があります。
確かに、異なる文化的背景を持つ人が増える社会では、ルールの共有や社会統合のあり方が重要になります。
これは現実的な政策課題です。
しかし一方で、
「外国人が増えたから日本人の性善説が崩壊した」
と結論づけるためには、慎重な検証が必要です。
なぜなら、無人販売所の閉鎖という現象には、
・地域社会の変化
・農業経営環境の変化
・防犯コストの問題
・人口構成の変化
・犯罪や迷惑行為の可視化の進展
など、複数の要因が関係している可能性があるからです。
もちろん、外国人による犯罪やルール違反が存在するなら、それは日本人による場合と同様に、法に基づいて厳正に対処されるべきです。
しかし、個別の問題と社会全体の原因分析は分けて考えなければなりません。
必要なのは「性善説の放棄」ではなく「信頼とルールの両立」
私は、日本社会がこれから目指すべき方向は、
「性善説を捨てること」
ではないと思います。
むしろ大切なのは、
「多くの人を信頼する。しかし、その信頼だけに依存しない」
という社会のあり方です。
人間社会には、善意もあれば、残念ながら悪意もあります。
だからこそ、成熟した社会とは、
「誰も悪いことをしない社会」
ではなく、
「大多数の人の善意を尊重しながら、少数のルール違反にも対応できる社会」
なのではないでしょうか。
無人販売所の問題は、単なる野菜販売の話ではありません。
それは、日本社会が長年培ってきた「人を信じる文化」を、変化する時代の中でどのように守っていくのかという問題でもあります。
外国人を含め、多様な人々が暮らす社会になるからこそ、必要なのは感情的な排除でも、根拠のない楽観でもありません。
信頼を大切にしながら、同時に明確なルールによって社会秩序を守る。
その両立こそが、これからの日本社会に求められる姿ではないでしょうか。

