はじめに
出入国在留管理庁、厚生労働省、外国人技能実習機構などが、駐日ベトナム大使館と連携して作成したリーフレットがあります。
これは、ベトナム人技能実習生や元技能実習生に向けて、技能実習中のトラブルに関する相談窓口や、帰国するための出国命令制度などを案内するものです。日本語版のほか、ベトナム語版も用意されています。
今回、私が問題にしたいのは、日本語版の第2項にある見出しです。
「元技能実習生でオーバーステイになった方へ(出国命令制度)」
この表現は、行政機関が作成した広報資料として適切なのでしょうか。
私は、改善すべき点があると考えます。
これは、外国人に対して丁寧な言葉を使うこと自体を批判するものではありません。法令違反に関係する状態を、行政がどのような言葉で表現し、国民に伝えるべきかという問題です。

「オーバーステイになった方」という表現の問題点
一般に、オーバーステイとは、在留期間を超えて外国人が日本に在留している状態を指す言葉として使われています。
一方、出入国在留管理行政では「不法残留」という用語が使われています。今回のリーフレット自体も、本文では「不法残留者ゼロプラン」や「不法残留者」という表現を用いています。
つまり、同じリーフレットの中で、法的な問題を明確に示す用語を使いながら、見出しでは「オーバーステイになった方」という表現を選んでいるのです。
ここで考えたいのが、「オーバーステイになった」という表現です。
「不法残留している」と表現すれば、現在、不法残留という状態にあることを明確に伝えられます。
それに対して、「オーバーステイになった」と表現すると、本人が何らかの事情によって、そういう状態になってしまったかのような印象を与える場合があります。
もちろん、「なった」という言葉自体が、必ずしも不適切というわけではありません。また、実際に不法残留に至った事情は人によって異なり、個別の事情を検討すべき場合もあるでしょう。
しかし、個別の事情を考慮することと、現在の法的な状態を明確に表現することは、別の問題です。
行政機関が制度を案内するのであれば、婉曲な表現を用いるよりも、対象となる人の法的な状態を正確に伝える方が適切ではないでしょうか。
日本語版は、誰に向けた広報資料なのか
今回のリーフレットには、日本語版とベトナム語版があります。
ベトナム語版は、ベトナム人の技能実習生や元技能実習生、その関係者に読んでもらうためのものです。したがって、ベトナム語で分かりやすく案内することに、何の異論もありません。
では、日本語版はどうでしょうか。
もちろん、日本語を学んでいるベトナム人技能実習生や元技能実習生が、日本語版を読むこともあるでしょう。
しかし、仮に日本語版が、主として日本語の理解が十分でない外国人当事者に向けたものであれば、内容を理解しやすくするために、より平易な日本語を使うことが考えられます。
例えば、「在留期間を過ぎて日本にいる人へ」といった表現です。
ところが、今回の日本語版は、出入国在留管理庁、厚生労働省、外国人技能実習機構などの公的機関が連名で作成した広報資料です。日本語で行政の制度や対応方針を説明する以上、日本人の関係者をはじめ、日本国民が目にすることも想定されます。
ここで重要なのは、公的機関が日本語で発信する広報資料は、国民が読んだときに、行政が法令上の問題をどのように捉えているのかも伝えるものだということです。
発行機関が日本語版の主な対象読者を明示しているかどうかは、別途確認する必要があります。しかし、いずれにしても、公的機関の広報資料である以上、その表現が正確で適切かどうかを検討する意義はあります。
「方」という敬語を使うことが問題なのか
誤解のないようにしておきたいのですが、私は「方」という言葉を使うこと自体が不適切だと考えているわけではありません。
日本人向けのリーフレットや行政文書においても、対象者に対して丁寧な言葉遣いをすることは当然あり得ますし、外国人に対しても同様です。問題は、相手が外国人であるか日本人であるかではなく、法令違反に関係する事実を、どのような言葉で表現するかということです。
実際、行政が「方」という敬語を使って、義務を履行していない人に呼びかけることは、珍しいことではありません。
例えば、大阪市は、市税を納めていない人に関する広報で「市税が未納の方へ」という表現を使用しています。対象者に「方」という丁寧な表現を用いる一方で、税金が未納であるという事実は明確に示し、納付を促しています。
この事例からも分かるように、対象者に敬語を使うことと、その人が置かれている法的・事実的な状態を明確に表現することは、何ら矛盾しません。
したがって、今回のリーフレットについても、外国人に対して「方」という敬語を使っていること自体を問題にする必要はありません。外国人に配慮する場合であっても、日本人向けの広報資料と同様に、法的な状態を正確に伝えるという原則は変わらないはずです。
相手の人格を尊重することと、法令違反を明確に指摘することは両立します。大切なのは、丁寧な言葉遣いをするかどうかではなく、丁寧な言葉遣いによって、伝えるべき事実まで曖昧にしてしまわないことではないでしょうか。
出典:大阪市「市税が未納の方へショートメッセージを送ります」
https://www.city.osaka.lg.jp/zaisei/page/0000659692.html
では、どのような表現が最も妥当なのか
今回のリーフレットの見出しは、次のように改めるのがよいと考えます。
「不法残留している元技能実習生へ(出国命令制度の案内)」
この表現を提案する理由は、三つあります。
第一に、「不法残留」という、出入国在留管理行政で用いられる明確な用語を使用していることです。
第二に、「なった」という表現を避けることで、現在の状態を婉曲に表現することなく、明確に伝えられることです。
第三に、出国命令制度の案内対象となる人に向けた文書であることを、より明確に示せることです。
なお、より平易な表現を重視するのであれば、「在留期間を過ぎて日本にいる元技能実習生へ」という書き方も考えられます。ただし、これは一般向けの説明としての表現であり、法的な用語としては「不法残留」の方が正確です。
また、「不法残留」と「不法滞在」は、厳密には同じ意味ではありません。不法残留は、適法に入国・在留していた人が在留期間を超えて残留する場合などを指す用語です。今回のリーフレットが対象とする元技能実習生については、「不法残留」を用いるのが適切だと考えます。
ここで改めて強調しておきたいのは、私が改めるべきだと考えているのは、「方」という敬語そのものではないということです。
問題は、【「オーバーステイになった」という、法的な状態を直接示さない表現】にあります。
行政の言葉遣いと、国民への説明責任
行政の広報文書は、単に情報を伝えるためだけのものではありません。
何を問題として捉え、どのような制度を運用し、対象者に何を求めているのか。その表現は、行政の姿勢を国民に伝える役割も担っています。
もちろん、今回の見出しだけをもって、出入国在留管理庁などが不法残留に甘い姿勢を取っていると断定することはできません。
実際、このリーフレットの本文には、不法残留者の摘発や、刑事施設に収容される可能性についても記載されています。法令違反への対応を全く示していないわけではありません。
それでも、同じ文書の中で「不法残留者」という明確な表現を使いながら、見出しでは「オーバーステイになった方」と表現する必要があったのでしょうか。
制度の対象者に配慮することが目的だったとしても、その配慮は、法的な状態を曖昧にすることによって実現する必要はありません。
行政には、法令違反に関係する事実を正確に伝え、制度の趣旨や対応方針を国民に分かりやすく説明する責任があります。言葉遣いについても、単に丁寧であるかどうかだけでなく、正確で誤解を招かないかという観点から検討する必要があるのです。
おわりに――丁寧さよりも、正確さを曖昧にしないこと
今回のリーフレットであれば、「不法残留している元技能実習生へ」と表現することで、対象者の法的な状態を明確に伝えられます。
これは、外国人への差別や偏見を助長するための表現ではありません。行政が、法令上の問題を正確に伝えるための表現です。
外国人政策をめぐっては、人権への配慮と法令の厳正な執行が対立するかのように語られることがあります。しかし、本来、この二つは両立させるべきものです。
人を侮辱しない。しかし、法令違反を曖昧にもしない。
行政機関の言葉遣いにも、この原則を一貫して求めたいと思います。

