はじめに
本シリーズでは、第1弾で「テレビが信頼を失いつつある背景」を、第2弾で「放送法第4条をどのように見直すべきか」を考察してきました。
そこで一つの疑問が浮かびます。
放送制度だけを見直せば、情報社会が抱える課題は解決するのでしょうか。
私は、そうは考えません。
今日では、社会に影響を与える情報はテレビだけが発信しているものではありません。
新聞、インターネットメディア、動画配信サービス、そしてSNS上の個人発信者まで、多様な主体が情報を発信し、世論形成に影響を与えています。
だからこそ、これから必要なのは「テレビをどう規制するか」という発想ではなく、「情報社会全体をどのような共通原則で支えるか」という視点ではないでしょうか。
媒体ごとの規制は限界を迎えている
戦後日本では、
・テレビには放送法
・新聞には自主規制
・インターネットには比較的少ない規制
というように、媒体ごとに異なる考え方が採られてきました。
しかし、現在では一つの出来事について、テレビ、新聞、ニュースサイト、動画配信、SNSが相互に影響を及ぼしながら情報が流通しています。
情報が一つの空間で共有される時代に、媒体ごとに異なるルールだけで対応することには限界があると言えるでしょう。
「誰が発信するか」より「何をどう発信するか」
これから重要になるのは、「テレビだから」「SNSだから」という区別ではありません。
社会に大きな影響を与える情報であるなら、その発信主体が誰であっても、一定の共通原則が求められるという考え方です。
もちろん、放送局と個人をまったく同じ規制の対象とすることは適切ではありません。
しかし、社会的影響力に応じた責任という考え方は、媒体を問わず議論に値するでしょう。
共通原則として必要な四つの視点
では、その共通原則とは何でしょうか。
私は、少なくとも次の四つが重要だと考えます。
(1)透明性
情報がどのような編集方針や判断基準に基づいて発信されたのかを、できる限り明らかにすることです。
(2)説明責任
誤りが判明した場合には速やかに訂正し、重要な判断については社会に説明する姿勢が求められます。
(3)検証可能性
評価や分類を行う場合には、その根拠となる資料や事実を可能な限り示し、第三者が検証できる状態を確保することが重要です。
(4)表現の自由の尊重
透明性や説明責任を求めることは、言論を萎縮させるためではありません。
むしろ、多様な意見が自由に表明され、その内容を社会が検証できる環境を整えることこそ、表現の自由をより健全に支えることにつながります。
求められるのは「規制強化」ではなく「ルールの共通化」
「規制を強化すべきか、自由を守るべきか」という対立で議論すると、問題はなかなか前へ進みません。
本当に必要なのは、媒体ごとの規制を増やすことではなく、社会全体で共有できる原則を整理することです。
たとえば、
・なぜその報道になったのか。
・なぜその評価を行ったのか。
・根拠は何か。
・誤りがあれば、どのように訂正するのか。
こうした点が、テレビでも新聞でもネットメディアでもSNSでも、できる限り分かりやすく示される社会を目指すべきではないでしょうか。
民主主義を支えるのは「信頼できる情報空間」
民主主義は、多様な意見が自由に交わされることによって成り立っています。
しかし、その前提となる情報への信頼が失われれば、自由な議論そのものが成り立ちにくくなります。
だからといって、国家が情報内容を広く管理する社会は望ましい姿ではありません。
重要なのは、国民一人ひとりが情報を比較・検証し、自ら判断できる環境を整えることです。
そのためには、情報を発信する側にも、透明性と説明責任を果たす努力が求められます。
おわりに
本シリーズでは、一貫して「信頼」という視点から日本の情報社会を考えてきました。
第1弾では、テレビ報道が信頼を失う背景を考察しました。
第2弾では、放送法第4条を「透明性」という視点から見直す可能性を検討しました。
そして本稿では、その視点をさらに広げ、テレビ・新聞・ネットメディア・SNSを区別するのではなく、情報社会全体に共通する原則について考えてきました。
これからの情報社会に必要なのは、「どの媒体を規制するか」を競うことではありません。
大切なのは、社会に影響を与える情報であるなら、その発信主体が誰であっても、透明性、説明責任、検証可能性、そして表現の自由の尊重という共通原則の下で議論できる環境を整えることです。
信頼は、権力によって与えられるものではありません。
また、理念を掲げるだけで生まれるものでもありません。
情報を発信する者と受け取る者が、ともに検証し、説明し、対話を積み重ねることによって初めて築かれる社会的な資本です。
その「信頼」という資本を未来へ引き継ぐために、私たちは今、媒体ごとの発想を超えた、新しい情報社会のルールづくりについて、冷静に議論を始める時期に来ているのではないでしょうか。
