日弁連の「国旗損壊罪反対声明」を読む――その憲法論は本当に成り立つのか【第一部・前半】

新常識
国旗の損壊等の処罰に関する法律案

はじめに

国旗とは何でしょうか。
それは単なる一枚の布ではありません。国家の歴史や文化、そして国民共同体を象徴する存在です。だからこそ、多くの国では国旗に対する一定の法的保護が設けられています。
ところが、日本では「外国の国旗」を損壊した場合には処罰される一方、自国である日本国旗については長年、そのような刑罰規定が存在しませんでした。
このねじれた状態を是正するため、現在、侮辱目的による日本国旗損壊罪を新設する法案(「国旗の損壊等の処罰に関する法律案」)が国会で審議されています。2026年6月26日には衆議院内閣委員会で可決され、今後、衆議院本会議及び参議院での審議が予定されています。
しかし、この法案に対し、日本弁護士連合会(日弁連)は反対声明を公表しました。その理由として挙げられたのは、「表現の自由」や「思想
及び良心の自由」を侵害するという憲法論です。
一見すると、もっともらしい主張にも見えます。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
本記事では、日弁連の声明そのものを丁寧に読み解きながら、その憲法論や論理構成を検証していきます。
本稿は、特定の政治思想や立場を擁護・批判することを目的とするものではありません。
あくまで、一つの法律家団体が示した法的主張について、その論理が憲法学・刑法学・法哲学の観点からどこまで成り立つのかを冷静に考察するものです。

第1章 まず確認したい――国旗損壊罪法案とは何を処罰の対象とするのか

議論を始める前に、まず法案の内容そのものを正確に理解しておく必要があります。
インターネット上では、
「国旗を燃やしただけで逮捕される」
「日の丸を破れば犯罪になる」
といった説明が見受けられます。
しかし、それは法案の内容を正確に表しているとは言えません。
現在審議されている国旗損壊罪法案は、単に国旗を損傷しただけで成立する犯罪ではありません。
処罰対象となるのは、
「人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法により、公然と国旗を損壊し、除去し、又は汚損した行為」
です。
つまり、重要なのは、どのような方法で、どのような態様で行われた行為であるかという点です。
法案では、この要件に該当するかどうかについて、
「行為の外形、周囲の状況その他の客観的な事情を総合的に勘案して判断する」
とされています。
例えば、
古くなった国旗を通常の方法で焼却処分する。
汚れた国旗を廃棄する。
災害で破損した国旗を処分する。
このような行為は、通常、人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法で公然と行われるものではありません。
したがって、一般的には、この法案が予定する処罰の対象にはならないと考えられます。
一方で、公衆の面前で国旗を焼却したり、引き裂いたり、踏みつけたりするなど、その方法や態様によっては、人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法による国旗の損壊等に該当するかどうかが問題となります。
もっとも、その該当性は、個々の事案ごとに、法案が定める客観的事情を総合的に考慮して判断されることになります。

ここで重要なのは、この法案は「思想」そのものを処罰しようとしているわけではないという点です。
日本国を嫌う思想を持つこと。
日の丸に反対する思想を持つこと。
皇室制度(いわゆる天皇制)に反対する思想を持つこと。
これらはいずれも、憲法第19条が保障する思想
及び良心の自由の対象であり、処罰されることはありません。
また、国旗掲揚に反対する意見を公表したり、この法案そのものを批判したりすることも、憲法第21条が保障する表現の自由として広く認められています。
つまり、この法案は「何を考えるか」を処罰の対象としているのではなく、国旗に対する一定の行為のうち、法案が定める要件に該当する外部的な行為を処罰の対象としているのです。
これは刑法の基本原則とも一致しています。
日本の刑法は、人の内心そのものではなく、外部に現れた行為を処罰対象とする「行為主義」を基本原則としています。
したがって、この法案も、人の思想や信条そのものを処罰する「思想犯」を創設するものではありません。

一方、日弁連は声明において、この法案が「思想及び良心の自由」や「表現の自由」と抵触するおそれがあるとして反対しています。
では、その憲法論は本当に成り立つのでしょうか。
次章では、日弁連声明が掲げる主要な論点を整理し、その論理構造を一つずつ検証していきます。

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