なぜ今、あらためて日本の外国人受入れ政策を論じるのか【第15部】制度設計の検証①――日系人受入れは、制度設計をどう問い直したのか

最初に見ておきたい一つの事例

前回、第14部では、
制度は社会の中で運用される以上、
設計した人たちの想定どおりに動くとは限らないことを述べました。
ここからは、
その視点を具体的な制度に当てはめながら考えていきます。
最初に取り上げるのは、
平成元年(1989年)の入管法改正後、
結果として多くの日系人が日本で生活し、働くようになったことです。
この出来事は、
現在でも、
「平成元年改正で日本は移民政策を始めた」
という文脈で語られることがあります。
しかし、
制度設計という視点から見ると、
もう少し丁寧に見ていく必要があります。

平成元年改正で何が変わったのか

まず確認しておきたいことがあります。
平成元年改正によって、
初めて日系人の受入れ制度が創設されたわけではありません。
この改正では、
それまで法律の条文に列挙されていた在留資格が、
法律の別表で体系的に整理されました。
また、
行政運営の透明性向上という考え方の下で、
在留資格制度全体の構造が、
それまでよりも分かりやすく示されるようになりました。
その一環として、
身分又は地位に基づく在留資格の体系も整理され、
日系二世・三世(一定の範囲)が日本で生活し、就労できる制度の位置付けも、
従前より明確になったのです。
ここで重要なのは、
制度が整理・明示されたことと、
その制度が、その後の社会の中でどのように機能したかとは、
別の問題であるということです。

なぜ「身分又は地位に基づく在留資格」だったのか

ここで、
制度設計そのものに目を向けてみます。
前回まで見てきたように、
日本の在留資格制度は、
大きく二つに分けられます。
一つは、
どのような活動を行うかによって在留を認める活動資格。
もう一つは、
どのような身分又は地位にあるかによって在留を認める居住資格です。
日系二世・三世について採られた考え方は、
活動資格ではなく、
身分・地位に着目する居住資格の考え方でした。
つまり、
「どのような仕事をするか」
ではなく、
「どのような身分又は地位に基づいて日本で生活するか」
を制度設計の基礎に置いたのです。
ここに、
制度設計上の大きな特徴があります。

制度目的と制度設計は一致していた

この制度設計の背景には、
当時の政策判断がありました。
まず、
日本から南米などへ移住した日本人の子孫が、
父母や祖父母の母国である日本で生活し、
日本への理解を深めることには意義があり、
将来、両国の橋渡し役となることも期待されていました。
その一方で、
当時の制度設計は、
今日のような定住化を前提とした外国人受入れ政策として構想されていたわけではありません。
また、
日系二世・三世については、
日本との歴史的・人的なつながりを有しており、
日本への理解が全くない非日系人とは状況が異なることから、
日本滞在中に大きな社会的摩擦が生じる可能性は比較的小さいと考えられていました。
こうした政策判断を背景として、
就労できる仕事を限定する活動資格ではなく、
身分又は地位に基づく居住資格として受け入れる制度設計が採られたのです。
言い換えれば、当時の制度設計者は、外国人一般を対象とした就労制度としてではなく、日本との歴史的・人的なつながりを有する者について、身分又は地位に基づく在留資格として受け入れることが、当時の社会状況の下ではより適切であると判断したのでした。
ここで重要なのは、
この制度設計が正しかったかどうかを、
ここで結論づけることではありません。
制度設計者は、
当時の社会状況と政策目的を踏まえ、
その目的に沿って制度を設計していたという事実を、
まず確認しておきたいのです。
つまり、当時の制度設計は、「日本人の子孫だから受け入れる」という発想ではなく、「日本との歴史的・人的なつながりを考慮した制度設計」であったと理解した方が実態に近いでしょう。

社会の変化が制度の意味を変えていった

平成元年前後、
日本では深刻な人手不足が生じていました。
一方、
ブラジルやペルーなど中南米では、
経済状況の変化などを背景として、
結果として多くの日系人が日本へ渡航し、
就労するようになります。
制度そのものだけではなく、
日本と中南米、
双方の社会経済状況が重なり合った結果として、
制度は設計当初の想定を超える規模で社会の中で動き始めたのです。
ここで見えてくるのは、
制度は法律だけでは動かないということです。
社会の変化が、
制度の現実の姿を大きく左右するのです。

コラム 制度はどのくらい動いたのか

制度が社会に与えた影響は、
在留外国人数の推移からも見ることができます。
出入国在留管理庁の統計によれば、
ブラジル国籍の在留外国人数(年末現在)は、
 平成元年(1989年) 約 1万4千人
 平成2年(1990年) 約 5万6千人
 平成3年(1991年) 約11万9千人
と急増しました。
わずか数年で在留者数が十倍近くまで増加したことは、制度設計者にとっても容易には予測し得なかった社会変化であったことをうかがわせます。
その後も増加を続け、
平成20年(2008年)には約31万人となりピークを迎えます。
この数字は、
制度そのものだけではなく、
社会経済状況との相互作用によって、
制度が設計当初の想定を超える規模で動いたことを示しています。

制度設計者は、どこまで想定していたのか

ここで改めて問われるのは、
制度設計者が、
その後の社会の変化まで、
どこまで見通していたのかという問題です。
日系二世・三世が日本で生活し、
就労すること自体は、
もちろん制度設計の中で想定されていました。
しかし、
その規模、
地域社会への影響、
日本語教育、
子どもの教育、
生活支援など、
社会統合政策全体まで、
十分に見通せていたとは言い難い面もありました。
だからこそ、
制度設計そのものだけではなく、
制度を運営する能力、
さらには社会統合政策の能力まで含めて、
検証する必要があるのです。

この事例から何を学ぶべきか

私は、
この事例から学ぶべきことは、
「日系人受入れは成功だった」
あるいは
「失敗だった」
という単純な評価ではないと思います。
本当に重要なのは、
制度は一定の目的を持って設計される一方で、
社会の中で運用されることによって、
設計時には十分想定されていなかった課題や影響が現れることがある、
ということです。
だからこそ、
制度は作って終わりではありません。
制度を継続的に検証し、
社会の変化に応じて見直していくことこそが、
制度設計そのものの一部なのです。
では、この制度設計は、その後の社会の変化に十分対応できたのでしょうか。
この問いに向き合うことこそが、制度設計を検証するということの本当の意味であり、このシリーズを通して私が考えていきたいテーマでもあります。

次回予告

次回は、
教育を目的とする在留資格「留学」と、
それに付随する資格外活動許可制度を取り上げます。
本来は教育を目的とする制度が、
社会の変化の中で、
どのような役割を担うようになったのか。
制度設計という視点から考えてみたいと思います。

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