「入管では職員が自由に判断している」のか――元職員の証言と、実際の出入国在留管理行政を検証する

SNSで拡散された「元入管職員の証言」

先日、Xで次のような趣旨の投稿を目にしました。
2019年3月末に東京入管を退職したばかりの元入国審査官が、在留資格に関する審査の実態を「赤裸々に証言」しているという内容です。
その投稿では、元職員の発言として、例えば次のような言葉が紹介されています。
「外国人側は10年前だろうが今だろうが、在留形態は変わってないわけですよ。だけども同じようなものでも10年後は不許可です。」
また、
「行政官たる職員が政治をやっちゃだめじゃないですか。」
さらに、
「不確定概念がちりばめられている……完全にフリーハンドでなんでもできちゃう自由裁量感を入管では感じました。」
そして、
「入管全体としての統一的なものはなくて、個々の職員がそれぞれの裁量で……」
といった発言も紹介されています。
こうした文章だけを読むと、
「入管では、法律上の明確な基準もなく、第一線の職員が自分の判断で外国人の在留を許可したり不許可にしたりしているのではないか」
という印象を持つ人がいても不思議ではありません。
しかし、この問題を考えるときには、いくつかの事実を分けて考える必要があります。
特に重要なのは、
「行政裁量が認められていること」と「個々の担当職員が自由勝手に判断できること」は、同じではない
という点です。

まず確認しておきたい――これは「架空の証言」ではない

最初に明確にしておきたいことがあります。
このX投稿で紹介されている元職員の発言そのものは、架空のものではありません。
2019年7月、J-CASTニュースは、東京入国管理局を同年3月末に退職した元職員・木下洋一氏へのインタビュー記事を掲載しています。
木下氏は1989年に国家公務員として採用され、公安調査庁を経て、2001年頃から入管行政に携わりました。入管では審判部門などを経験し、2019年3月末に東京入国管理局を退職しています。
つまり、SNSで紹介された人物や発言には、実際の取材記事という裏付けがあります。
したがって、
「そんな元職員は存在しない」
「SNS投稿者が発言をでっち上げた」
と決めつけるのは適切ではありません。
一方で、ここから先が重要です。
一人の元職員が、自分が勤務した時期の経験や認識について語ったことと、出入国在留管理行政全体が客観的にそのような仕組みで運用されていたことは、同じではありません。
木下氏自身も、インタビューの中で「ぼくは内部告発者ではない」と述べています。
また、2006年頃については、行政全体として「それなりの公平性を保っていたのはぼくの印象です」とも語っています。
つまり、このインタビューは、元職員自身の経験や問題意識を知るうえでは意味がありますが、それだけをもって「入管行政の実態はこうだった」と一般化することには慎重であるべきでしょう。

「行政裁量がある」こと自体は事実

では、元職員の証言にある「裁量」という問題はどうでしょうか。
これは、入管行政に限った話ではありません。
行政機関が法律を執行する場合、法律行政主義の下で、まず法令の規定に従って行政を行わなければなりません。
ただし、法令の規定がすべての具体的な事案について、機械的に「○なら許可、×なら不許可」と細部まで定めているとは限りません。
その場合には、法令の文言や趣旨に従ってその意味を解釈し、必要に応じて、行政組織としての統一的な運用を確保するため、内部の通達類やガイドラインなどによって具体的な判断の考え方を示します。
そして、個々の申請については、その許否を判断するために必要な範囲で、申請者の状況、提出資料、活動内容、生活状況、その他の事情などを確認し、法令やそれに基づく運用の枠内で判断することになります。
つまり、行政が「自由に判断する」のではなく、法令によって与えられた権限と、その解釈・運用の枠組みの中で、個別具体的な事案について判断するということです。
その意味で、行政に一定の判断の余地が認められていること自体は、特別なことではありません。
実際、出入国在留管理制度にも、
「相当の理由」
「適当と認めるに足りる相当の理由」
など、一定の判断を行政側に委ねる法律上の文言があります。
これは「行政に何でも自由に決めてよい」という意味ではありません。
むしろ、法令が一定の要件について具体的な判断を行政に委ねているため、その法令の枠内で、個別具体的な事情を確認して判断する必要がある、ということです。

しかし、「行政裁量がある」と「職員が自由に決める」は違う

ここは、法律に詳しくない方には少し分かりにくいところかもしれません。
行政法上の「行政庁」とは、簡単に言えば、国や地方公共団体などの行政主体について、その意思を決定し、それを外部に表示する権限を持つ行政機関のことです。
入管行政で言えば、在留資格の変更や在留期間の更新などについて、法律上の権限を持つ行政庁(法務大臣)が判断・処分を行います。
そして、その判断を適正に行うために、第一線の職員が申請を受け付け、必要な調査を行い、事実関係を確認し、法令や内部の基準・運用に照らして審査するなど、実務を担っています。
ここで大切なのは、
法律が行政庁に認めている裁量と、第一線の担当職員が自分の好きなように判断できるということとは、別問題だ
ということです。
第一線の職員は、単なる機械的な「手足」ではありません。事実関係の確認や法令の適用などについて、専門的な判断を行う場面もあります。
また、権限の委任などによって、一定の処分権限を担当機関や職員が行使する場合もあります。
それでも、そこで行われる判断は、法令、政省令、裁判例、行政組織内の基準や運用などの枠組みの中で行われるものです。
したがって、
「行政裁量がある」
 ↓
「第一線の職員が何をしてもよい」
という単純な話にはなりません。
この問題を考えるとき、最も重要なのは、
「行政裁量」と「個々の担当職員の自由裁量」を同じものとして考えないことです。

「相当」「適当」という言葉があるから、何でも自由に決められるのか

元職員の証言では、入管法などに「相当」「適当」といった不確定な概念が多く使われていることも問題視されています。
確かに、こうした法律用語は、一般の人からすると曖昧に感じられるでしょう。
しかし、法律に「相当」「適当」などの文言があることだけを理由に、
「何でも行政の自由にできる」
「担当職員の気分次第で決まる」
と考えるのも正確ではありません。
行政の判断は、法律の文言だけでなく、その制度の趣旨、関連する法令、過去の裁判例、行政上の基準や運用などを踏まえて行われます。
また、行政の判断が法律に照らして適正であったかどうかは、裁判所による司法審査の対象にもなります。
つまり、「行政裁量がある」ことと、「行政の判断は誰にもチェックできない」ということは別です。

実際に入管行政には「判断を明確にする仕組み」がある

では、実際の入管行政は、本当に「個々の職員がそれぞれ自由に判断する」という仕組みなのでしょうか。
少なくとも、制度上はそうではありません。
例えば、在留資格の変更や在留期間の更新については、法務省が「在留資格の変更、在留期間の更新許可のガイドライン」を策定し、判断の考慮要素などを示してきました。
このガイドラインは、2008年3月に策定され、その後も改訂されています。
その目的の一つは、在留資格の変更や在留期間の更新に関する運用を明確化し、透明性を高め、申請者にとっての予測可能性を高めることにあります。
また、在留特別許可についても、法務大臣の広い裁量が認められている一方で、その判断の透明性・予測可能性を高めるためのガイドラインが設けられ、考慮すべき事情などが示されてきました。
もちろん、公表されているガイドラインだけが、行政内部で実際に判断を行う際の材料のすべてというわけではありません。
行政組織の内部には、法令や公表資料だけでは把握できないさまざまな事務上の取扱いや判断基準、通知、指示などが存在します。
しかし、それを踏まえても、
「行政組織として何の基準もなく、個々の職員が完全に自由に判断している」
という姿とは異なります。
第一線の職員が担当案件を処理する一方で、組織として判断の統一性を確保するための仕組みも存在しているのです。

では、なぜ「10年前なら許可、今なら不許可」が起こり得るのか

ここは、元職員の証言を考えるうえで重要なポイントです。
仮に、
「10年前なら許可されたようなケースが、現在では不許可になった」
という事例があったとします。
その場合、
「担当職員が勝手に判断を変えた」
と直ちに考えることはできません。
社会情勢や経済情勢、国際情勢などが変化すれば、行政組織が制度の運用や判断の考え方を見直すことがあります。
その結果、行政組織としての運用が変更され、通知や通達、ガイドラインなどが改訂されることがあります。
また、制度そのものを変更する必要があれば、法律や政省令などの改正が行われることもあります。
逆に、法律が先に改正され、それを受けて行政内部の通知やガイドラインなどが改訂される場合もあります。
さらに、裁判例によって法律の解釈が具体化され、それが行政の運用に影響することもあります。
つまり、
社会情勢などの変化
→ 行政組織による制度・運用の検討
→ 必要に応じた法令改正や通知・ガイドライン等の見直し
→ 現場での運用
という流れが生じることがあります。

もちろん、実際の因果関係は案件ごとに異なります。
だからこそ、過去と現在で判断結果が違ったという事実だけから、
「個々の職員が勝手に判断を変えた」
と結論づけることはできません。
その違いが、
・ 個々の職員による事実認定・審査上の判断の違いなのか
・ 行政組織としての運用や判断の考え方が変わったのか
・法律や政省令などの法制度が変わったのか
・裁判例によって法律の解釈が変化・明確化されたのか
・社会情勢などの変化を受けて制度・運用が見直されたのか
を区別して検証する必要があります。
そして、ここでも、
「行政組織としての判断・運用」と「個々の第一線職員による審査・判断」は区別しなければなりません。

それでも「行政の恣意性」は無条件に否定してはいけない

ここまで書くと、
「では、入管行政には問題などないのか」
と思われるかもしれません。
もちろん、そういうことではありません。
行政裁量が認められているからこそ、その裁量が適正に行使されているかどうかは、常に検証されなければなりません。
法律や内部基準に照らして適正に判断されているのか。
同様の事案について、合理的な理由なく判断に大きなばらつきが生じていないか。
行政組織としての運用変更が、適切な手続や説明のもとで行われているのか。
申請者にとって予測可能性が確保されているのか。
そして、行政の判断が法律の範囲を逸脱していないか。
こうした問題を検証することは、行政に対する健全なチェックです。
行政裁量があるから批判してはいけない、ということではありません。
むしろ、裁量があるからこそ、その行使が適正かどうかを検証する必要があります。

「一人の元職員の証言」と「行政組織全体の実態」を混同しない

今回の元職員の証言には、長年にわたって入管行政に携わった人物自身の経験や問題意識が含まれています。
その意味では、行政組織の内部を知る一つの証言として、耳を傾ける価値があります。
ただし、その人物が国家公務員としてのキャリアの中頃から入管行政に携わった経験があるからといって、その経験だけで入管行政全体を説明できるわけではありません。
ましてや、
「個々の職員がそれぞれ自由に判断している」
「入管には組織として統一された基準がない」
といった一般的な結論を導くには、それを裏付ける別の資料や検証が必要です。
元職員の証言は、
「そういう経験をした職員がいた」
という事実を示すことはできます。
しかし、
「だから入管行政全体がそういう仕組みだった」
ということまで、当然に証明するものではありません。
この区別は、今回の問題に限らず、行政組織に関する内部証言を読む際には非常に重要だと思います。

SNSで情報を見るとき、「誰が言ったか」だけでなく「何を証明しているか」を考える

SNSでは、
「元職員がこう語っている」
という情報は、非常に強い説得力を持ちます。
実際に内部にいた人の発言ですから、当然でしょう。
しかし、そこで一度立ち止まって考える必要があります。
その証言は、
何を証明しているのでしょうか。
本人が経験した具体的な事例を証明しているのでしょうか。
本人が感じた組織風土を証言しているのでしょうか。
それとも、行政組織全体の仕組みを証明しているのでしょうか。
この三つは同じではありません。
さらに、SNSでは、長いインタビューの中から特に印象の強い部分だけが切り取られて紹介されることがあります。
そうすると、元の発言が持っていた限定や前提が見えなくなり、投稿者が伝えたい方向に受け手の印象が誘導されることがあります。
だからこそ、
「誰が言ったのか」だけではなく、「その発言から何が事実として確認できるのか」
を見る必要があります。

批判することと、誤解を広げることは違う

行政に対する批判は、民主主義社会において当然認められるものです。
行政のあり方について疑問を呈したり、制度の問題点を指摘したりすることは、国民が行政を監視するうえでも重要です。
思想・良心の自由や表現の自由も保障されています。
しかし、表現の自由があるからといって、事実関係を無視してよいわけではありません。
自分の意見を述べる場合でも、客観的な事実と矛盾する内容を、あたかも事実であるかのように広めたり、特定の個人の社会的評価を不当に低下させるような表現を用いたりすることには、慎重であるべきです。
これは、行政を批判してはいけないという話ではありません。
むしろ逆です。
行政を批判するのであれば、何が事実で、何が本人の評価・意見なのかを明確にした方が、第三者にとっても判断しやすくなります。
例えば、
「元職員は、このような経験をしたと語っている」
という紹介と、
「入管では、職員が好き勝手に判断している」
という断定では、意味がまったく違います。
前者は一人の経験についての情報提供です。
後者は、行政組織全体についての事実認定に近い主張です。
その間には、大きな隔たりがあります。

最後に――「行政裁量」と「職員の自由裁量」を混同しない

今回のX投稿を見て、私が最も気になったのは、元職員の発言そのものよりも、
「行政裁量」と「個々の職員が自由に判断すること」が、同じものとして受け取られてしまう可能性
です。
入管行政に行政裁量があることは事実です。
法律に「相当」「適当」など、一定の判断を行政側に委ねる文言が存在することも事実です。
一方で、行政組織として法令や裁判例、内部の基準や運用などを踏まえて判断する仕組みが存在することも事実です。
第一線の職員が、申請を受け付け、事実関係を調査し、資料を確認し、法令や基準に照らして審査することも、行政実務の重要な仕事です。
そして、社会情勢などが変化すれば、行政組織として運用を見直したり、必要に応じて法律や政省令を改正したり、通知やガイドラインを改訂したりすることがあります。
したがって、
「10年前と現在で判断が違う」
 ↓
「個々の職員が勝手に判断を変えた」
と直結させることはできません。
同じように、
「行政裁量がある」
 ↓
「担当職員が何でも自由に決められる」
とも言えません。
もちろん、行政組織の判断が常に正しいとは限りません。
だからこそ、行政裁量が適正に行使されているかどうかを、法令、裁判例、行政内部の基準、実際の運用、個別事案などに照らして検証することが必要です。
今回の元職員の証言も、そのような検証の一つの材料として受け止めるべきでしょう。
しかし、
一人の元職員の経験・評価と、出入国在留管理行政という組織全体の仕組みを同一視してはいけません。
そして、SNSで紹介された強い言葉だけを見て、
「入管では職員が自由に外国人の運命を決めている」
と理解してしまうのも、やはり慎重であるべきだと思います。
行政を批判することと、行政について誤ったイメージを広げることは、同じではありません。
だからこそ、行政をめぐる問題ほど、
「誰がそう言ったのか」だけではなく、「その発言は何を事実として証明しているのか」
を冷静に見極めることが大切
なのではないでしょうか。

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