はじめに――「外国人問題」ではなく「統治の問題」として考える
外国人の受入れをめぐる議論では、近年、「不法残留」「難民認定申請」「不法就労」「外国人犯罪」「外国人の集住地域」など、さまざまな問題が個別に語られることが増えています。
一方で、これらを一つの政策体系の中で捉え直す議論は、まだ十分とはいえません。
本来、外国人を受け入れるということは、単に「入国を認める」ことだけを意味しません。
誰を、どのような条件で受け入れるのか。
入国後、どのように在留状況を把握するのか。
法律や在留資格に違反した場合には、どのように対応するのか。
日本で生活する外国人が地域社会に適応し、社会の一員として暮らしていくために、何が必要なのか。
そして何よりも、日本という国家が、自国の法制度を社会の隅々まで実効的に適用できる状態を、どのように維持するのか。
ここまでを一つの政策として考える必要があります。
私は、外国人政策を考えるうえで、最も注意しなければならない問題の一つが、「統治の穴」ではないかと思います。
これは、外国人が増えること自体を問題にしているのではありません。
外国人が日本の法律の下で暮らし、納税し、働き、子どもを育て、地域社会の一員として生活しているのであれば、それは「国家内国家」ではありません。
問題になるのは、何らかの事情によって国家の法秩序や行政サービスが十分に届かなくなり、行政が実態を把握できなくなり、さらには犯罪組織や非公式なルールなどが、国家のルールに代わるような影響力を持つようになることです。
本稿では、このような状態を、比喩的に「国家内国家」と呼ぶことにします。
そして、日本がそのような状態に至らないためには何が必要なのかを、入国・在留管理だけではなく、難民制度、外国人労働者政策、社会統合、自治体行政、そして「共生」のあり方まで含めて考えてみたいと思います。
「国家内国家」とは何か
「国家内国家」という言葉には、かなり強い響きがあります。
外国人が特定の地域に多く暮らしている、外国人のコミュニティが形成されている、あるいは外国人同士で助け合うネットワークが存在する――それだけで「国家内国家」と呼ぶべきではありません。
外国人が日本社会の中で自らの文化や宗教、生活習慣を大切にしながら暮らすことと、日本の法秩序や行政の統治が及ばなくなることは、別の問題です。
ここでいう「国家内国家」とは、外国人の存在そのものを問題にする言葉ではありません。
日本の法秩序や行政の仕組みが十分に機能しない「統治の穴」が生じ、その穴を通じて、非公式なルールや犯罪組織などが、国家の法や行政に代わるような実効的影響力を持つ状態を指すものとして考えたいと思います。
したがって、問題は「外国人が多いか少ないか」だけではありません。
重要なのは、外国人であっても日本社会の一員として、日本の法秩序と基本的な社会ルールを共有し、その上で生活することができる仕組みが機能しているかどうかです。
これは、私が別の記事で述べた「外国人の日本社会への秩序ある参加」という考え方ともつながります。
目指すべきなのは、外国人だけを切り離した社会でも、外国人の文化や背景を無視する社会でもありません。
一つの日本社会の中で、日本人も外国人も日本の法秩序の下で生活し、それぞれの違いを尊重しながら社会を構成していくことです。
その前提が崩れたとき、初めて「国家内国家」という問題が現実のものとなります。
「統治の穴」は、どのように生まれるのか
「国家内国家」は、一夜にして生まれるものではありません。
むしろ、複数の小さな「穴」が長期間にわたって放置され、それが重なったときに、より大きな問題になると考えたほうがよいでしょう。
第1段階――入口の管理
最初の問題は、誰を、どのような条件で日本に入れるのかということです。
在留資格の審査、入国審査、虚偽申請への対応、悪質なブローカー対策などが、ここに含まれます。
入口で制度が適切に機能しなければ、その後の在留管理にも負担がかかります。
第2段階――在留中の管理
次に重要なのが、日本に入国した後の管理です。
在留資格に応じた活動をしているのか。
不法就労をしていないか。
在留期間を過ぎていないか。
住所や所属機関などの必要な情報が適切に把握されているか。
こうした在留管理が機能しなければ、「合法的な入国」と「合法的な在留」との間に大きな隙間が生じます。
ただし、ここで日本の現状を必要以上に悲観的に描くことにも注意しなければなりません。
2026年1月1日現在の不法残留者数は6万8,488人で、前年の7万4,863人から減少しています。つまり、「外国人が増えているから、不法残留者も際限なく増えている」という単純な図式ではありません。
事実として減っているものは、減っていると認める。
そのうえで、なお残る問題を考える。
その姿勢が必要です。
第3段階――制度の悪用や抜け道
次に問題となるのが、制度そのものが本来の目的とは異なる形で利用される可能性です。
難民認定制度、在留資格変更、就労制度など、どのような制度にも一定の悪用リスクはあります。
ただし、ここでも慎重さが必要です。
例えば、「難民認定申請をする人=偽装難民」と考えることはできません。
2025年の難民認定申請者は1万1,298人でしたが、同年の制度運用によって、難民187人、補完的保護対象者474人、人道的配慮による在留許可525人、合計1,186人の在留が認められています。
したがって、問題は「難民申請をなくすこと」ではありません。
本当に保護すべき人を保護しながら、制度の悪用によって在留管理が機能不全に陥ることを防ぐことです。
第4段階――地域社会への定着と社会統合
日本に長期間暮らす外国人が増えれば、当然、地域社会との接点も増えていきます。
学校、職場、住宅、医療、福祉、税、社会保険、ごみ出し、防災など、日常生活のさまざまな場面で日本社会との接点が生まれます。
この段階で日本語能力や日本の制度についての理解が十分でなければ、行政との意思疎通が難しくなり、地域社会との摩擦が生じる可能性があります。
だからこそ、社会統合政策は単なる「外国人支援」ではありません。
国家の統治能力を維持するための政策でもあるのです。
第5段階――行政との接点が失われる
さらに問題が進めば、行政が外国人住民の生活実態を十分に把握できなくなる可能性があります。
どこに住んでいるのか。
どのような仕事をしているのか。
子どもが学校に通っているのか。
税や社会保険の手続は適切に行われているのか。
困ったときに行政へ相談できるのか。
こうした基本的な情報と接点が失われれば、行政は適切な政策を実施することができません。
第6段階――非公式なルールや組織の影響力が強まる
そして最も深刻なのが、国家の公的な制度よりも、非公式なルールや組織の影響力が強くなる状態です。
ここまで進めば、初めて「国家内国家」という比喩が現実味を帯びてきます。
重要なのは、これは「外国人が増えたから起こる」のではなく、国家による統治が十分に機能しなくなった結果として起こり得る問題だということです。
日本は今、どのような状況にあるのか
日本の在留外国人数は増加しています。
2025年末の在留外国人数は412万5,395人となり、初めて400万人を超えました。前年末から35万6,418人、9.5%増加しており、過去最高を更新しています。
この数字は、今後の外国人政策を考えるうえで無視できません。
しかし、ここでも、
「外国人が400万人を超えた」=「日本の統治が崩壊している」
と考えるのは誤りです。
実際、不法残留者数は減少しています。
したがって、現在の日本を「国家内国家になっている」と評価することは適切ではありません。
むしろ、今問うべきなのは、
「外国人の増加に対して、日本の入国・在留管理、社会統合、自治体行政などの制度が、将来にわたって十分対応できるのか」
という問題でしょう。
問題が深刻になってから対応するのではなく、深刻になる前に制度を整えておく。
それが国家統治の基本ではないでしょうか。
難民制度は「統治の穴」なのか――制度を悪用から守りながら、本来の役割を守る
難民制度は、迫害などによって生命や自由を脅かされている人を保護するための重要な制度です。
したがって、「難民認定制度を厳しくすればよい」という単純な話ではありません。
一方で、制度が在留継続のための手段として悪用されれば、制度そのものへの信頼が失われます。
日本では2024年6月に改正入管法が施行され、難民認定申請中の送還停止効について一定の例外が設けられました。
従来の制度について指摘されていた「難民認定申請を繰り返すことで送還を長期間回避する」という問題に対しても、制度的な手当てが行われています。
したがって、現在の議論は、
「申請すれば送還されない」
という以前の制度だけを前提にするのではなく、2024年改正後の制度が実際にどの程度機能しているのかを検証する段階にあります。
そして、ここでも大切なのは二つの目的を対立させないことです。
制度を悪用から守ることと、本当に保護すべき人を保護することは、両立させなければなりません。
2025年に日本が難民等の認定制度を通じて1,186人の在留を認めたことも、そのことを示しています。
技能実習から育成就労へ――「制度を変えた」だけで終わらせてはいけない
外国人労働者政策についても、大きな転換が始まっています。
従来の技能実習制度は、制度目的と実態との乖離や外国人の権利保護などについて、さまざまな課題が指摘されてきました。
そのため、技能実習制度を発展的に解消し、人材育成と人材確保を目的とする「育成就労制度」が創設されました。制度の運用開始は2027年4月1日です。
これは重要な改革です。
しかし、制度の名称が変われば問題が解決するわけではありません。
今後は、
・受入れ企業が適正に外国人を雇用するのか
・悪質なブローカーを排除できるのか
・外国人が過度な債務を負って来日することを防げるのか
・日本語能力をどのように確保するのか
・転籍制度をどのように運用するのか
・特定技能への移行をどう設計するのか
・地域社会への統合をどう進めるのか
などを、実際の運用を通じて検証していかなければなりません。
2026年9月からは、育成就労計画について施行日前の認定申請も始まっています。つまり、いまはまさに新制度を実際の制度として動かしていく準備段階に入っています。
だからこそ重要なのは、
「技能実習制度を廃止したから問題は解決した」と考えないことです。
新しい制度の中に、また新しい「統治の穴」をつくらないことが必要です。
「外国人支援」と「統治」は対立しない
外国人政策をめぐる議論では、
「外国人を支援する政策」と「不法滞在者などを取り締まる政策」
が、まるで正反対の政策であるかのように語られることがあります。
しかし、本当にそうでしょうか。
例えば、日本語教育を考えてみます。
日本語を理解できるようになれば、行政からの情報を理解できます。
学校のルールを理解できます。
税や社会保険の仕組みを理解できます。
ごみ出しや防災など、地域社会のルールも理解できます。
困ったときには行政へ相談することもできます。
つまり、日本語教育は単なる「外国人への優しい支援」ではありません。
外国人が日本社会のルールを理解し、日本社会と接点を持つための基盤でもあります。
そしてそれは、結果として日本の統治能力を高めることにつながります。
だからこそ、
社会統合政策は、統治政策でもある。
という視点が必要なのです。
「権利と責務」をどう考えるか
外国人も日本で暮らす以上、法律によって保障された権利を持ちます。
しかし、それと同時に、日本の法律や社会生活上のルールを尊重し、必要な手続を行い、税や社会保険などの義務を果たすことも求められます。
私は、これを単純に「権利と義務」とだけ表現するよりも、「権利と責務」という視点から考えることも重要だと思います。
日本で生活することによって享受する権利と、それに対応して果たすべき責務。
この両方を明確にすることが、健全な社会統合につながります。
ただし、ここで注意しなければならないのは、「日本の価値観を共有すること」を漠然とした義務として課すことです。
「日本の価値観」とは何なのか。
誰がそれを決めるのか。
宗教や思想、文化の自由とどのように調整するのか。
こうした問題があるからです。
したがって、より明確な基準として、
日本国憲法と法律を尊重し、社会生活上の基本的なルールを守ること
を中心に据えるべきでしょう。
これは外国人だけに求められるものではありません。
日本人も同じです。
自治体に「統治」を丸投げしてはいけない
外国人が実際に生活する場所は、国ではなく地域です。
だからこそ、外国人の増加に伴って生じる課題の多くは、最終的には自治体の現場に集中します。
学校
ごみ
住宅
医療
福祉
税
社会保険
防災
日本語教育
生活相談
こうした問題に、自治体は直接対応しなければなりません。
しかし、外国人が急増する地域ほど、自治体の人的・財政的負担が大きくなります。
だからこそ、外国人政策を自治体だけに任せるべきではありません。
国が基本的な制度設計を行い、必要な財政的・人的支援を行い、自治体と情報を共有する。
そして自治体は、地域の実情に応じて実施する。
このような国と地方の役割分担が必要です。
「共生」をどう考えるのか
ここまで「統治の穴」について考えてくると、外国人政策における「共生」という言葉についても、改めて考える必要があります。
「共生」という言葉そのものに問題があるわけではありません。
問題は、「多文化共生」という言葉が、ときに「それぞれの文化を尊重すること」だけに重点を置いて理解され、日本社会全体で共有すべき法秩序や基本的な社会ルールの問題が後景に退いてしまうことです。
私は、外国人政策を考える上では、「多文化共生」という抽象的な表現よりも、「外国人の日本社会への秩序ある参加」という考え方の方が、具体的な政策課題を考えやすいと思います。
外国人も日本社会の中で生活する以上、日本の法秩序と基本的な社会ルールを共有することが出発点になります。
その一方で、文化、宗教、生活習慣などの違いまで一律に否定する必要はありません。
大切なのは、
法秩序と基本的な社会ルールは共有する。
その上で、法に反しない文化や宗教、生活習慣の違いは尊重する。
という整理です。
これは、日本人と外国人を別々の社会として扱う考え方ではありません。
むしろ逆です。
日本人も外国人も、同じ日本社会の中で、それぞれの権利と責務を担いながら生活するという考え方です。
したがって、外国人の文化的な違いを尊重することと、日本社会の法秩序を維持することは、対立するものではありません。
また、日本社会の制度やルールを変更する必要がある場合には、「外国人だから」という理由だけで決めるのではなく、日本社会全体にとって本当に必要なのかを、日本社会全体の問題として民主的に判断する必要があります。
こうした考え方に立てば、「共生」と「統治」は対立しません。
外国人の日本社会への秩序ある参加を実現することこそ、共生社会を維持するための統治の基盤になると考えます。
「日本版ルール主義」で統治の穴を塞ぐ
では、こうした「統治の穴」をどう塞いでいけばよいのでしょうか。
私は、その基本となる考え方を「日本版ルール主義」として整理しています。
ここでいう「日本版ルール主義」は、単に外国人に日本のルールを守らせるという意味ではありません。
外国人の受入れについて、国が明確なルールを設定し、そのルールを法の支配の下で適正に運用し、受入れ後の社会統合まで責任を持って見届け、その結果を検証して、必要があれば制度を修正していくという、一つの国家政策としての考え方です。
具体的には、
・なぜ外国人を受け入れるのかという目的を明確にする
・どのような人材を、どのような条件で受け入れるのかを定める
・受入れ人数やペースについても社会の受入れ能力を踏まえて考える
・入国・在留の段階だけでなく、受入れ後の日本語教育や制度・社会ルールの理解を含めた社会統合を進める
・在留中の行政上の接点を確保する
・制度の悪用や不正を防止する
・結果を検証し、必要に応じて制度を修正する
という一連の仕組みです。
重要なのは、外国人の受入れを「入国を認めるかどうか」だけの問題として考えないことです。
入国、在留、就労、生活、社会参加、長期定着、永住、さらには帰化に至るまで、それぞれの段階について、どのような条件とルールが必要なのかを考えなければなりません。
そして、そのすべての段階で、行政が責任を持って制度を運用し、必要な行政サービスや情報提供を行い、問題が生じた場合には適切に対応することが必要です。
つまり、「日本版ルール主義」は外国人を排除するための考え方ではありません。
反対に、無条件に受け入れることを意味するものでもありません。
日本社会が責任を持って受入れの条件を定め、法の支配の下で適正に運用し、その結果を検証する。
その意味で、「統治の穴を塞ぐ」という課題は、「日本版ルール主義」の一部分として位置付けることができます。
「国家内国家」を防ぐために重要なのは、外国人を一律に警戒することではありません。
日本の法秩序と行政の仕組みが、外国人にも確実に届くようにすることです。
そして、外国人自身についても、日本社会の中で生活する一員として、権利だけでなく責務を担うことができる制度と環境を整えることです。
この双方が機能してこそ、統治の穴は小さくなっていきます。
おわりに――「共生」と「統治能力」は両立する
「国家内国家」という言葉を使うと、外国人そのものを警戒する議論だと受け取られるかもしれません。
しかし、ここで問題にしているのは外国人の存在ではありません。
問題は、日本の法秩序や行政の仕組みが十分に機能せず、その空白を非公式なルールや犯罪組織などが埋めるような「統治の穴」です。
だからこそ、必要なのは外国人を一律に排除することでも、反対に問題を「共生」の名の下に曖昧にすることでもありません。
必要なのは、日本の法秩序を明確にし、それを外国人にも確実に届くものとし、入国・在留から社会統合、長期定着に至るまで、国が責任を持って制度を運用することです。
その意味で、「外国人の日本社会への秩序ある参加」と「日本版ルール主義」は、この記事の「統治の穴」という問題ともつながっています。
外国人も日本人も、別々の社会をつくるのではありません。
一つの日本社会の中で、日本の法秩序と基本的な社会ルールを共有し、それぞれの権利と責務を担いながら生活する。
そのために必要な制度を整え、制度が機能しているかを検証し、問題があれば修正する。
これが、外国人政策における国家の役割ではないでしょうか。
外国人を受け入れるか、どこまで受け入れるかという問題だけではありません。
どこまで責任を持って、日本社会の一員として生活できる環境を整えられるのか。
そして、そのための制度を、どこまで責任を持って運用し、検証し、修正できるのか。
そこまで含めて考えてこそ、「外国人との共生」と「国家の統治能力」は両立します。
「国家内国家」を防ぐために必要なのは、外国人を疑うことではありません。
一つの日本社会を、一つの法秩序の下で維持するための国家の責任と統治能力を、確かなものにすることです。
