はじめに
日本イマーム協議会が公表した声明文は、近年増加しているとされるムスリムへの偏見や敵意に懸念を示し、日本社会との共生や法令遵守の姿勢を表明する内容となっています。
信教の自由は、日本の自由民主主義社会を支える重要な基本的人権の一つです。
イスラム教徒も、キリスト教徒も、仏教徒も、神道の信仰を持つ人も、無宗教の人も、自らの信念に基づいて生きる自由を保障されなければなりません。
したがって、宗教を理由として個人を差別したり、暴力や脅迫の対象にしたりすることは断じて許されません。
しかし、この声明文を読んで感じるのは、信教の自由そのものへの違和感ではありません。
むしろ、「自由とは本来、互いに認め合うものである」という視点が欠けていることへの違和感です。
信教の自由は、すべての人のためにある
民主主義社会において、信教の自由は極めて重要な権利の一つです。
しかし、それはムスリムだけのために存在する権利ではありません。
すべての宗教の信者と、宗教を持たない人々を含めたすべての人のために存在する権利です。
そして、自由とは常に相互的なものです。
自らの信仰を持つ自由があるならば、
その宗教について疑問を抱く自由もある。
自らの宗教施設を建設する自由があるならば、
周辺住民が懸念を表明する自由もある。
自らの考えを発信する自由があるならば、
それに対して反論や批判を行う自由もある。
自由民主主義社会とは、このような複数の権利が共存し、互いに調整されながら成り立つ社会です。
ところが今回の声明文は、ムスリム側の権利については詳しく語る一方で、それと向き合う側の権利についてほとんど触れていません。
なぜ違和感が生まれるのか
この声明文が一部の人々に違和感を与える最大の理由は、
「ムスリムがなぜ批判や懸念の対象になっているのか」
という問いに十分向き合っていないことです。
声明文では、
偏見
敵意
憎悪
といった言葉が繰り返し登場します。
もちろん、そのような行為は否定されるべきです。
しかし現実には、多くの人々が抱いているのは単純な憎悪ではありません。
例えば、
「地域社会との関係はどうなるのか」
「日本の法律と宗教的価値観が衝突した場合はどうするのか」
「宗教施設の運営は透明なのか」
「地域住民との十分な対話は行われているのか」
という疑問です。
これらは自由社会において当然認められる問題提起です。
ところが声明文では、そのような疑問を抱く人々の存在そのものが、あたかも偏見や敵意の側に置かれているように読めてしまいます。
そこに多くの人が違和感を覚えるのです。
「批判」と「ヘイト」は区別されなければならない
自由社会において最も重要なのは、
批判とヘイトを区別することです。
宗教を理由に人を攻撃することは許されません。
しかし、
・宗教団体の活動を検証すること、
・宗教施設の建設について議論すること、
・地域との関係を問うこと、
・法令遵守の状況を確認すること、
これらまで否定されてはなりません。
なぜなら、それは民主主義社会における国民一人ひとりの正当な権利だからです。
また、ここで忘れてはならないのは、
ヘイトを批判することと、あらゆる批判をヘイト認定することは全く別の話だということです。
自由社会においては、差別や憎悪を煽る言動は慎まれるべきです。
しかしその一方で、事実に基づく疑問の提起や、法令遵守の状況への検証、地域社会との関係に関する議論までをも「ヘイト」や「差別」と決めつけてしまえば、健全な言論空間そのものが損なわれてしまいます。
本来受け止めるべき批判や説明を求める声に対して、「差別だ」「ヘイトだ」とだけ反論し、自らを一方的な被害者として位置付けるのであれば、それは対話ではなく論点のすり替えです。
それは真の相互理解にもつながりません。
もし、
「批判する自由」
よりも
「批判されたくない自由」
が優先される社会になれば、
自由社会そのものが成り立たなくなります。
本当に必要なのは説明責任ではないか
今回の声明文で最も残念なのは、
「私たちは誤解されている」
という主張はあっても、
「私たちは理解してもらうために何をするのか」
という説明が少ないことです。
共生とは、相手に理解を求めるだけでは成立しません。
理解を求める側にも説明責任があります。
特に宗教や文化的背景が異なる場合にはなおさらです。
本当に共生を目指すのであれば、
「私たちは法を守る」
だけでなく、
「私たちは地域住民の不安や疑問にも耳を傾ける」
「私たちは透明性を高める努力をする」
「私たちは批判とヘイトを区別し、正当な議論から逃げない」
という姿勢を示すべきではないでしょうか。
おわりに
信教の自由は大切です。
しかし、それは一方の権利だけを守るための盾ではありません。
異なる価値観を持つ人々が共に暮らすための共通ルールです。
だからこそ、
ムスリムの信教の自由も守られなければなりません。
同時に、
日本国民が疑問を持つ自由も、
議論する自由も、
批判する自由も守られなければなりません。
真の共生とは、一方が沈黙することではなく、互いの権利を認めながら対話を続けることです。
もし日本イマーム協議会がその視点をより明確に打ち出していたなら、この声明文はより多くの国民の共感を得られたのではないでしょうか。
