「秩序ある共生」を、本当の意味で実現するために――【第Ⅲ部】「外国人の日本社会への秩序ある参加」という考え方

はじめに――「共生」という言葉を、もう一度考えてみたい

第Ⅰ部では、政府が掲げる「秩序ある共生」について、国民が感じている不安にどう向き合うのかという問題を提起しました。
第Ⅱ部では、政府は決して何もしていないわけではなく、さまざまな政策を掲げ、その実現のための施策・対策を進めていることを確認しました。
そのうえで、私が政府に求めたいのは、
「政策を掲げること」から「成果が見える政策」へ。
そして、
「秩序ある共生」という言葉を、具体的な日本社会の姿として示すこと
です。
では、そもそも私たちは「共生」という言葉を、どのように考えればよいのでしょうか。
私は、ここで一度、「共生」という言葉そのものを見直してみる必要があると思っています。

「共生」とは、別々の社会をつくることではありません

私は、外国人と日本人が共に暮らす社会を否定しているわけではありません。
むしろ、日本で暮らす外国人が増えている以上、国籍の異なる人々が日本社会の中で共に生活していくことは、これからますます重要になるでしょう。
ただし、私が考える「共生」は、
日本人の社会と外国人の社会を別々につくり、その間を調整すること
ではありません。
また、
日本のルールと外国のルールを混ぜ合わせて、その中間のようなルールをつくること
でもありません。
私が考える「共生」とは、
一つの日本社会を、国籍の異なる人々が共に生きること
です。
その社会において、日本の法令や社会の基本的なルールは、国籍にかかわらず共通の基盤となります。
そのうえで、文化、宗教、生活習慣などの違いについては、法令や公共の秩序に反しない限り、互いに尊重していく。

私は、それが日本社会における「共生」の基本的な姿ではないかと思います。

「秩序」は、共生を妨げるものではありません

「秩序ある共生」という政府の言葉を聞くと、「外国人を厳しく管理することではないか」と受け止める人もいるかもしれません。
しかし、私はそうは考えません。
むしろ、共生を成り立たせるためには、秩序が必要です。
家族であっても、地域社会であっても、学校であっても、会社であっても、共通するルールがなければ、安心して一緒に暮らすことはできません。
国籍の異なる人々が暮らす社会なら、なおさらです。
日本に住む以上、日本の法令を守る。
税や社会保険などについても、定められたルールに従う。
交通、ごみ出し、騒音など、日常生活の基本的なルールを尊重する。
他人の権利や生活を不当に侵害しない。
こうしたことは、外国人だけに求める特別な条件ではありません。
日本人にも当然求められていることです。
だからこそ、
日本国民が外国人の文化や宗教を尊重することと、在留外国人が日本の法令や社会の基本的なルールを守ることは、決して矛盾するものではありません。
むしろ、その両方があってこそ、安定した共生が可能になるのだと思います。

外国人も「日本社会の一員」として参加する

ここで私は、「多文化共生」という言葉に代えて、
「外国人の日本社会への秩序ある参加」
という考え方
を提案したいと思います。
これは、外国人に日本文化を捨ててもらうという意味ではありません。
母国の文化、宗教、言語、生活習慣などを大切にしながら暮らすことは、基本的には尊重されるべきです。
しかし、日本で生活する以上、
日本社会の共通ルールを理解し、それを尊重し、その社会の一員として責任を持って生活することが求められます。
そのことを「参加」という言葉で表したいのです。
「参加」には、「ただ受け入れられる」という受け身の意味だけではなく、
自分もその社会を構成する一員として関わる
という意味があります。
これは、日本人だけに負担を求める考え方でもありません。
日本人にも、外国人の文化や宗教、生活習慣について、必要な理解と尊重が求められます。
つまり、
日本人も外国人も、それぞれの立場から日本社会を構成する一員として関わる。
その共通の土台となるのが、日本の法令と社会の基本的なルールです。

「外国人だから特別扱い」でも、「外国人だから排除」でもない

この考え方で重要なのは、外国人に対して特別な扱いをすることでも、逆に外国人を排除することでもないということです。
日本人だから優遇する。
外国人だから不利に扱う。
そういうことではありません。
大切なのは、
同じ社会の中で、同じ法秩序の下に置かれながら、それぞれの立場に応じた権利と責務を果たすこと
です。
もちろん、外国人には在留資格など、日本国民とは異なる法的な立場があります。
しかし、それは「日本社会のルールを守らなくてもよい」という意味ではありません。
反対に、外国人であることだけを理由として、その人の正当な権利や人格を否定してよいという意味でもありません。
だからこそ、
法令を守っている人は、国籍にかかわらず公平に扱う。
一方で、
法令に違反した場合には、国籍にかかわらず、法に基づいて適切に対応する。
この原則を徹底することが重要です。
これは、外国人にとっても、日本人にとっても、公平な社会です。

政府には「受け入れる責任」と「秩序を維持する責務」の両方があります

ここまでの議論を政府の側から考えてみます。
外国人を日本社会に受け入れるのであれば、政府には、単に受入れを進めるだけではなく、その後の社会を適切に運営する責務があります。
例えば、
・在留資格を適正に管理する
・不法滞在や不法就労に適切に対応する
・犯罪に対して適切に対処する
・日本の法律や社会生活上の基本的なルールを理解してもらう
・日本語教育など、社会参加に必要な環境を整える
・地域社会で発生する問題を把握する
・日本人住民と外国人住民双方の声を政策に反映する
・問題が生じた場合には、その原因を検証して制度を見直す
といったことです。
これは、外国人を排除するための「管理」ではありません。
日本社会を安定して運営するための行政の責務です。
そして、その責務を果たすことは、結果として、日本で真面目に生活している外国人を守ることにもつながります。
ルールを守る人と守らない人が同じように扱われる社会よりも、ルールを守る人がきちんと評価される社会の方が、公平だからです。

「受入れ人数」だけでなく、「受入れ能力」を考える

もう一つ重要なのは、外国人を何人受け入れるかという問題です。
私は、外国人の受入れそのものを否定する立場ではありません。
人手不足など、日本社会が抱える課題の中には、外国人の力を借りることに意味がある分野もあるでしょう。
しかし、
「人手が足りないから受け入れる」
という一点だけで政策を決めることには、慎重であるべきです。
なぜなら、外国人を受け入れるということは、単に労働力を受け入れることではないからです。
その人は、日本で生活します。
家族がいれば、家族も生活します。
子どもがいれば、教育の問題も生じます。
医療、住宅、地域社会、日本語教育、行政サービスなど、さまざまな分野に関係してきます。
だからこそ、
「何人受け入れられるか」
だけではなく、
「どこまで責任を持って、日本社会の一員として生活できる環境を整えられるのか」
という視点が必要です。
受入れの規模は、日本社会の受入れ能力とのバランスを考えながら決めるべきではないでしょうか。

「外国人にも選ばれる日本」は、秩序を犠牲にしてつくるものではありません

外国人材や外国人観光客を受け入れるために、
「日本が外国人に選ばれる国にならなければならない」
という言葉を耳にすることがあります。
しかし、私は、少し順序が違うのではないかと思います。
目指すべきなのは、
「日本人のための日本でありながら、外国人にも選ばれる日本」

ではないでしょうか。
日本人が安心して暮らせる。
法律やルールがきちんと機能している。
努力している人が報われる。
行政が公平に機能する。
地域社会に秩序がある。
そして、外国人に対しても不合理な差別や偏見がない。

そうした社会であればこそ、外国人から見ても「ここで暮らしたい」と思える国になるはずです。
つまり、
外国人に選ばれるために、日本社会の秩序や公平性を犠牲にする必要はありません。
むしろ、法の支配と社会の安定、公平な制度こそが、日本の魅力になるのではないでしょうか。

政府に求めたい「五つの検証可能性」

では、「秩序ある共生」を実現するために、政府には何を求めればよいのでしょうか。
私は、少なくとも次の五つを明確にしてほしいと思います。
① 目標を明確にする
何を「秩序ある共生」と考えるのか。
何を改善しようとしているのか。
まず、政策目標を国民に分かりやすく示すことです。
② 期限を明確にする
「推進する」「強化する」だけではなく、
いつまでに、どこまで実現するのか。
できる限り具体的に示すことです。
③ 成果を測る指標を示す
何を見れば、政策が成功していると判断できるのか。
犯罪、不法滞在、地域トラブル、日本語教育など、問題に応じた指標を設定する必要があります。
④ 結果を国民に公表する
施策・対策を実施した結果、
何がどこまで改善したのか。
逆に、改善しなかったものは何なのか。
その結果を、国民に分かりやすく説明することです。
⑤ うまくいかなければ見直す
これが特に重要です。
政策や施策を一度決めたら、そのまま続けるのではなく、
結果を検証し、必要であれば修正する。
外国人の受入れが想定以上の地域負担を生んでいるのであれば、受入れのあり方を見直す。
ある施策が効果を上げていないのであれば、別の方法を考える。
制度に抜け穴があるのであれば、制度を改める。
このような「検証と見直し」の仕組みを組み込むことが必要です。

国民にも「責任ある議論」が求められます

ここまで政府に求めることを書いてきましたが、最後に、私たち国民の側についても触れておきたいと思います。
外国人に関する問題は、ときとして感情的な議論になりやすいテーマです。
実際に生活上のトラブルを経験した人が不安を感じることもあるでしょう。
一方で、個別の事例を外国人全体の問題であるかのように一般化してしまえば、正確な議論から遠ざかってしまいます。
大切なのは、
事実は事実として見る。
問題があれば問題として指摘する。
しかし、国籍だけを理由に人を一括りにしない。
という姿勢ではないでしょうか。
政府の政策についても同じです。
政府が進めている施策・対策を、きちんと調べずに「何もしていない」と批判するのも適切ではありません。
反対に、
「政府が対策を発表したのだから、それで十分だ」
と考える必要もありません。
政策を知り、施策・対策を確認し、その成果を検証する。
そして、必要であれば政府に改善を求める。
これこそが、主権者たる国民に求められる「責任ある議論」ではないでしょうか。

「秩序ある共生」を、言葉だけで終わらせないために

「秩序ある共生」という言葉は、方向としては理解できます。
しかし、言葉だけでは社会は変わりません。
重要なのは、
その言葉を、具体的な制度と行政の行動に落とし込むことです。
そして、その制度や施策が、本当に社会の問題を改善したのかを検証することです。
私は、「共生」を、
日本人が外国人に合わせ続けること
とも、
外国人が日本社会とは別の文化圏をつくって暮らすこと
とも考えていません。
また、
日本のルールと外国のルールを混ぜ合わせて、どちらともいえない中間的なルールをつくること
でもありません。
そうではなく、
一つの日本社会の中で、日本人も外国人も、それぞれの文化や背景を尊重しながら、日本の法令と社会の基本的なルールを共有して生活する。
そのうえで、
日本社会の一員として、秩序を守りながら社会に参加する。

私は、この考え方を、
「外国人の日本社会への秩序ある参加」
と表現したいと思います。

おわりに――「日本人のための日本でありながら、外国人にも選ばれる日本」へ

外国人をめぐる議論では、
「外国人を受け入れるのか、受け入れないのか」
という二者択一の議論になりがちです。
しかし、本当に考えるべきなのは、その先ではないでしょうか。
どのような人を、どのような条件で受け入れるのか。
受け入れた人が、日本社会の一員としてどのように参加していくのか。
日本人と外国人が、どのような共通のルールの下で暮らすのか。
問題が起きたとき、政府はどのように対応するのか。
そして、その政策が本当に機能しているのかを、誰がどのように検証するのか。
こうしたことを一つ一つ考えていく必要があります。
私は、外国人を排除したいのではありません。
かといって、外国人を受け入れることを、あらゆる問題の解決策として考えているわけでもありません。
大切なのは、
日本社会の秩序を守りながら、必要な外国人を受け入れ、共に暮らしていける社会をつくること。
そして、そのために、
日本人にも外国人にも、権利と責務があることを明確にすること。
政府にも、受入れを進めるだけではなく、社会の秩序を維持し、問題が生じれば適切に対応し、その結果を国民に説明する責務があります。
そして私たち国民にも、感情や印象だけで判断するのではなく、事実を確認し、政策を見極め、必要な改善を求めていく責任があります。
「秩序ある共生」とは、外国人に我慢してもらうことでも、日本人に我慢してもらうことでもありません。
一つの日本社会を、国籍の異なる人々が、それぞれの文化や背景を尊重しながら、共通の法とルールの下で共に生きていくこと。
私は、それがこれからの日本に必要な「共生」の姿なのだと思います。
そして目指すべきは、
「日本人のための日本でありながら、外国人にも選ばれる日本」

です。
そのためにも、「秩序ある共生」という言葉を掛け声だけで終わらせず、具体的な政策、施策、対策と、その成果によって、国民が「確かに日本社会は良い方向に進んでいる」と実感できるようにする。
それが、これからの政府に求められていることではないでしょうか。

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