「外国人に選ばれる日本」だけでいいのか――読売新聞「永住の厳格化」社説を日本版ルール主義から読み解く

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2026年8月27日付の読売新聞社説が、「永住の厳格化 外国人労働者の減少招かぬか」と題して、出入国在留管理庁が公表した永住許可ガイドライン改定案に疑問を呈しています。
社説の主張は明快です。
人口減少によって外国人労働者が日本社会に欠かせなくなっている。永住への門戸を狭めれば、日本で働こうとする外国人が減り、人手不足がさらに深刻になるのではないか――というものです。さらに、日本が「排外主義に転じた」と見られれば、外国人労働者が韓国や台湾などに流れる可能性があるとして、政府に慎重な対応と丁寧な説明を求めています。
もちろん、外国人労働者の受入れが日本の労働市場に与える影響を考えること自体は必要です。
しかし、私はこの社説を読んで、もっと根本的な疑問を持ちました。
この社説は、本当に「日本全体」のことを考えた社説なのでしょうか。
少なくとも今回の社説に限って言えば、私にはむしろ、日本社会の長期的な利益よりも、外国人労働者を必要とする企業側の論理を強く代弁しているように読めます。
そして、それは私がこれまで提唱してきた「日本版ルール主義」とは、かなり異なる発想です。

そもそも、外国人労働者を必要としているのは誰なのか

社説は冒頭で、
「人口減少が続く日本の社会では、小売店や外食産業などの現場で働く外国人の存在が欠かせなくなった。」
と述べています。
確かに、現在の日本の労働市場を見れば、外国人労働者の存在感が大きくなっていることは事実です。
しかし、ここで一度立ち止まって考える必要があります。
「外国人労働者が欠かせない」とは、誰にとって欠かせないのでしょうか。
もちろん、日本社会に必要な労働力という意味ではあります。
しかし、より直接的には、
人手不足に直面している企業にとって、外国人労働者が欠かせない
という意味ではないでしょうか。
ここを曖昧にしてはいけません。
なぜなら、
企業が必要としている労働力を、国家がどこまで受け入れるべきなのか
という問題と、
日本社会として、どのような外国人を、どれだけ受け入れ、どのような社会を将来つくるのか
という問題は、同じではないからです。

私がこれまで述べてきた、もっとも基本的な原則

私は、これまで外国人政策について、次のように述べてきました。
外国人を「労働力」として受け入れるかどうかは、企業の判断だけで決める問題ではありません。それは、「どのような日本社会を将来つくるのか」という国家・社会の問題でもあるのです。
私は、この視点こそが外国人政策を考える上での出発点だと思っています。
外国人を一人受け入れるということは、企業が一人を採用するというだけの話ではありません。
その人は日本に住み、働き、税金や社会保険料を納め、医療や社会保障制度に関わり、地域社会の一員になります。
家族を呼び寄せるかもしれません。
子どもが日本の学校に通うかもしれません。
そして、長年日本で暮らした後、永住者になるかもしれません。
つまり、
企業にとっては「労働者」であっても、日本社会にとっては「生活者」であり、場合によっては「将来の定住者」なのです。
だからこそ、外国人受入れは企業の採用戦略だけで決めてよい問題ではありません。

ところが、今回の読売社説では「企業の人手不足」が出発点になっている

今回の社説を論理的にたどってみると、こうなります。
 外国人労働者が必要だ
 ↓
 永住の門戸を狭めると日本で働こうとする外国人が減る
 ↓
 人手不足が加速する
 ↓
 韓国や台湾などに外国人労働者が流れる
 ↓
 だから永住制度の厳格化には慎重であるべきだ
この論理には、一見すると説得力があります。
しかし、ここには重大な欠落があります。
「日本社会として、どのような外国人を受け入れたいのか」という視点です。
問われているのは、
「外国人が日本に来てくれるか」
だけではありません。
本来なら、
「日本は、どのような外国人に来てもらいたいのか」
を先に問わなければならない
はずです。

「外国人に選ばれる日本」と「日本人が選ぶ日本」は違う

ここが、今回の社説を考える上で最も重要なポイントです。
国際的な人材獲得競争があることは否定しません。
日本より賃金の高い国もあります。
より良い労働条件を提供する国もあります。
その中で、日本が外国人から選ばれる国になることは重要でしょう。
しかし、
「外国人に選ばれること」自体を政策目的にしてしまってよいのでしょうか。
私はそうは思いません。
日本版ルール主義の発想は、むしろ逆です。
日本社会として必要とする外国人を、日本が責任を持って選ぶ。
その上で、
日本で働き、暮らし、社会のルールを守り、日本社会に貢献したい人に、日本で暮らす機会を提供する。

これが基本です。
つまり、「外国人に選ばれる日本」ではなく、「日本人が選ぶ日本」という発想です。
もちろん、外国人にも日本を選ぶ自由があります。
しかし、日本がどのような外国人を、どの程度、どのような条件で受け入れるのかを決めるのは、日本人自身です。
日本が外国人を選び、外国人も日本を選ぶ。
しかし、そのとき日本側が持つべきなのは、
「どうすれば誰でも日本を選んでくれるか」
という発想ではなく、
「どのような外国人材・人々に、日本を選んでもらいたいのか」
という明確な国家戦略
です。

永住という「大きなインセンティブ」を餌にしてよいのか

ここで、今回の社説に対して私はかなり厳しい疑問を呈したいと思います。
永住資格は、単なる「就労上のメリット」ではありません。
出入国在留管理庁自身、在留資格「永住者」について、在留活動・在留期間のいずれにも制限がなく、他の在留資格と比べて在留管理が大幅に緩和されるため、永住許可申請については、通常の在留資格変更許可申請よりも慎重に審査する必要があると説明しています。
だからこそ、永住許可には大きな価値があります。
では、その「永住」という大きなインセンティブを、
「外国人労働者に日本を選んでもらうための餌」
のように使うことが、本当に望ましい政策なのでしょうか。
私は疑問です。
むしろ、
「日本で働きたい」「日本社会の中で生活したい」という人を受け入れるのではなく、「日本は外国人政策が甘く、永住しやすい国だから日本へ行きたい」という動機を持つ人まで呼び込むことにならないか。
という問題を考えるべきです。
もっと手厳しく言えば、
「日本文化が好きだから、日本という国が好きだから、日本で働きたい」という人ではなく、「日本は外国人政策が甘く、在留や永住に有利な国だから日本へ行きたい」という人まで誘引することになれば、それは日本が本当に必要とする人材を選択的に受け入れる政策とは言えません。
これは外国人の人格を問題にしているのではありません。
制度がどのようなインセンティブを生み、どのような人を呼び寄せるのかという、純粋な制度設計の問題です。
「誰でも来てください」という制度は、必ずしも「日本が必要とする人に来てもらえる制度」ではないのです。

「外国人に選ばれるため」に、まず企業が努力すべきではないのか

さらに、今回の社説には、私が非常に強い違和感を覚えるところがあります。
もし日本が外国人労働者から選ばれにくくなっているのであれば、まず企業が努力すべきではないでしょうか。
例えば、
・賃金を上げる
・労働時間を適正化する
・休日を増やす
・職場環境を改善する
・キャリア形成の機会を提供する
・日本語教育を充実させる
・外国人労働者に対する不合理な待遇格差をなくす
・企業そのものの魅力を高める
といった努力です。
しかし、これらは当然、企業にとってコストになります。
そこで、
「外国人に来てもらうために、国家が永住許可への道を広くしてほしい」
となれば、どうなるでしょうか。
企業が本来負担すべき人材獲得競争のコストの一部を、国家の出入国在留管理政策の在留資格制度に負担させることになりかねません。
私は、今回の読売社説の最大の問題の一つは、ここにあると思います。

「企業が魅力を高める」のではなく、「国家が餌を用意する」のか

本来なら、
 外国人に選ばれたい
 ↓
 企業が賃金を上げる
 ↓
 労働条件を改善する
 ↓
 職場環境を良くする
 ↓
 企業自身が魅力を高める
という競争になるべきでしょう。
ところが、
 外国人に選ばれたい
 ↓
 永住しやすい国にする
 ↓
 外国人にとって日本の制度的魅力を高める
 ↓
 企業は外国人を確保できる
という方向に進めば、企業側の努力を国家の制度で代替することになりかねません。
私は、これは好ましい外国人政策とは思いません。
外国人を必要とする企業があるなら、まず企業自身が「外国人から選ばれる魅力的な職場」を作るべきです。
国家が提供すべきなのは、企業に代わる「人材確保の餌」ではありません。
国家が提供すべきなのは、
公正で予測可能なルールと、日本社会への秩序ある参加を可能にする制度
です。

「質+量の管理」という視点が必要になる

私がこれまでのブログで繰り返し主張してきたのが、
外国人労働者の「質によるコントロール」から「質+量の管理」へ
という転換
です。
外国人政策では、
「人手が足りないから外国人を増やす」
だけではいけません。
日本社会として、
・どの分野に
・どのような技能・能力を持った人を
・どのような条件で
・どの地域に
・どの程度の期間受け入れるのか
を考える必要があります。
さらに、その人たちが長期間日本に住むことになれば、
・日本語教育
・子どもの教育
・社会保険
・医療
・住宅
・地方自治体の行政負担
・地域社会との共生
まで考えなければなりません。
企業が一人採用したら、それで政策が終わるわけではないのです。

「人手不足」は、外国人受入れだけで解決すべき問題ではない

ここも忘れてはいけません。
日本の人手不足に対しては、
①日本人の賃金・労働条件の改善
②省力化・自動化・DX
③高齢者・女性など国内労働力の活用
④生産性向上
⑤それでも不足する分野について、外国人材を受け入れる
という順序も考えるべきです。
ところが、
「外国人労働者が減れば、人手不足が加速する」
という論理だけを前面に出すと、
「人手不足だから外国人を入れる」という政策が自己目的化してしまいます。
それでは、企業の生産性向上や賃上げ、省力化投資などを遅らせる可能性があります。
実際、日本の技能実習制度についても、制度そのものが日本企業の構造改革を先送りしたとまで一概に言うことはできません。しかし、人手不足を外国人労働力によって補うことが可能になった結果、企業によっては、省力化・自動化や生産性向上、さらには賃金・労働条件の改善に取り組む圧力を弱め、結果として、そうした構造転換を遅らせる方向に作用した一面があったことは否定できないでしょう。
外国人労働者の受入れは、日本企業の構造改革を補完する政策であるべきです。
構造改革を先送りするための「安価で柔軟な労働力供給装置」になってはいけません。

「韓国や台湾に流れるから」という論理にも違和感がある

今回の社説は、
「日本が排外主義に転じたと見られれば、外国人労働者が韓国や台湾などに流れかねない。」
とも述べています。
もちろん、国際的な人材獲得競争を無視することはできません。
しかし、
「他国に流れるから、日本も外国人にとって魅力的な制度にしなければならない」
というだけでは、国家政策としてあまりに受け身ではないでしょうか。
日本が目指すべきなのは、
「他国よりも永住しやすいから来てください」
という国ではありません。
そうではなく、
「日本はこのようなルールで外国人を受け入れます。このルールを守り、日本社会に貢献する人には、安定して暮らせる道を用意します」
という国です。
外国人にとって魅力的な国になることと、外国人政策を甘くすることは、同じではありません。

永住許可は「人手不足対策」ではない

そもそも、永住許可制度の目的を考える必要があります。
出入国管理及び難民認定法(略称「入管法」)22条の永住許可には、
・素行が善良であること
・独立の生計を営むに足りる資産または技能を有すること
・その者の永住が日本国の利益に合すると認められること
という法律上の要件があります。
また、今回の政府案について法務大臣は、「永住者」が最も安定した在留資格であることを踏まえ、公共の負担とならないことをより確実に担保する観点から見直すと説明しています。
もちろん、今回の年収基準や年金要件が本当に合理的なのかについては、十分な検証が必要です。
しかし、少なくとも制度の建前からすれば、
永住許可は「企業が人手を確保するためのインセンティブ」ではありません。
ここを取り違えてはいけないのです。

厳格化に反対するなら、「どこまでなら合理的か」を論じるべきだ

私は、政府案を無条件に支持しているわけではありません。
例えば、「日本人世帯の平均収入を継続的に上回る」という基準が、世帯構成の違いを十分に考慮した合理的な指標なのかという問題はあります。
また、年金受給見込みをどのように評価するのかについても、制度として十分な説明が必要でしょう。
だからこそ、批判するなら、
「外国人に厳しいから反対」
ではなく、
「永住という制度の目的に照らして、どのような基準が合理的なのか」
と論じるべきです。
そして、
「外国人労働者が減るから永住許可要件を緩めるべきだ」
という論理には、私は賛成できません。

今回の社説は「日本社会の利益」より「企業の人材確保」を優先しているように見える

ここまで述べてきたことを踏まえると、今回の読売社説について、私はかなり厳しい評価をせざるを得ません。
繰り返しますが、読売新聞のすべての社説が企業の代弁者だと言っているのではありません。
今回の社説についての評価です。
今回の社説は、
 外国人労働者が減る
 ↓
 企業の人手不足が深刻になる
 ↓
 日本の競争力が低下する
 ↓
 だから外国人に選ばれる制度を維持すべきだ
という発想に強く傾いています。
しかし、そこには、
「外国人を受け入れることで、私たちはどのような日本社会をつくろうとしているのか」
という問いが十分にありません。
その意味で私は、今回の社説を、
「日本全体の長期的利益を考えた社説」というより、「外国人労働者を必要とする企業側の論理を代弁する社説」に近い
と評価せざるを得ません。
少なくとも、そう読める内容になっています。

企業にとっての「外国人」と、日本社会にとっての「外国人」は違う

企業にとって外国人は、
「不足する労働力を補ってくれる人材」
です。

それは当然です。
しかし国家・社会にとっては、
「日本で暮らす一人の人間」

です。
さらに長期的には、
「日本社会の構成員になるかもしれない人」

です。

この二つの視点を混同してはいけません。
企業が必要だからといって、国家が無条件に受け入れる必要はありません。
逆に、国家が受け入れると決めた以上は、企業にも相応の責任を負ってもらう必要があります。
例えば、
外国人労働者を低賃金労働力として利用しない。
日本人労働者との賃金・待遇格差を不当に生じさせない。
日本語教育や職業教育に責任を持つ。
生活上の問題を自治体や地域社会に丸投げしない。
受入れに伴う社会的コストについても一定の責任を負う。

こうした「企業側の責任」まで含めて外国人政策を設計する必要があります。

「日本版ルール主義」なら、発想は逆になる

私が提唱している「日本版ルール主義」は、
外国人に来てもらうためにルールを緩める
という考えではありません。
むしろ、
日本社会として責任を持ってルールを設計し、そのルールを明確に示した上で、そのルールに納得する外国人に来てもらう
という考え
です。
そして、
必要な人材には、必要なだけ来てもらう。
日本社会のルールを守り、社会の一員として責任を果たす人には、安定した在留への道を開く。
一方で、企業の人手不足だけを理由に、受入れの量や条件を際限なく緩めない。

これが「質+量の管理」です。

「外国人に選ばれることを目的にした日本」ではなく、「日本人のための日本でありながら、外国人にも選ばれる日本」をつくる

私は、外国人に選ばれる国になること自体を否定しているわけではありません。国際的な人材獲得競争の中で、日本が魅力ある国であり続けることは重要です。
しかし、「外国人に選ばれること」を目的にして、日本の制度や社会のあり方を外国人にとって都合のよい方向へ変えていくことには反対です。
私が目指すべきだと考えるのは、順序が逆です。
まず、日本人にとってより良い日本社会をつくる。その上で、その日本社会が外国人にとっても魅力的であり、「この国で働き、この国のルールを守り、この社会の一員として暮らしたい」と思ってもらえる国にする。
つまり、
「外国人に選ばれるための日本」ではなく、「日本人のための日本でありながら、外国人にも選ばれる日本」です。
この違いは、決して小さなものではありません。
そして、そのために企業が果たすべき役割も明確です。
企業が外国人に選ばれたいのであれば、まず企業自身が賃金を上げ、労働条件を改善し、職場環境を良くし、生産性を高める努力をするべきです。
国家が永住というインセンティブを「餌」として用意し、企業が人材を確保しやすくすることが、第一の解決策ではありません。
 外国人に選ばれることを目的に日本を変えるのではない。
 日本人にとってより良い日本をつくる。
 その日本が、結果として外国人にも選ばれる。

ここには大きな違いがあります。

結論――外国人政策の主語を「企業」から「日本社会」へ戻そう

今回の読売新聞社説を読んで、私が最も強く感じたのは、
外国人政策の主語が、企業になってはいけない
ということです。
企業は、人手が必要です。
だから外国人を採用したい。
それは企業として当然です。
しかし、
「企業が欲しいから外国人を受け入れる」
だけでは、国家の外国人政策にはなりません。
問うべきなのは、
「外国人を受け入れることによって、私たちはどのような日本社会をつくろうとしているのか」
です。
その問いに答えた上で、
 どのような人材を
 どれだけ受け入れるのか。
 どのようなルールを守ってもらうのか。
 企業にはどのような責任を負わせるのか。
 地方自治体や地域社会にはどのような支援を行うのか。
 そして、誰に永住への道を開くのか。
を決める。
これが国家の仕事です。
外国人政策は、企業の人手不足を埋めるための労働力調達政策ではありません。
それは、
「どのような日本社会を将来世代に引き継ぐのか」
という、国家と社会の長期的な選択
なのです。
だから私は、今回の読売新聞社説に対して、こう問い返したいと思います。
「外国人に選ばれる日本」を論じる前に、「日本は、どのような外国人に選ばれたいのか」を論じるべきではないでしょうか。
そしてもう一つ。
外国人労働者を必要としている企業に、まず問うべきではないでしょうか。
「外国人に選ばれるために、あなたの会社は賃金を上げ、労働条件を改善し、働く魅力を高めるために、どこまで努力しましたか」と。
国家が永住という「餌」を用意して外国人を呼び込むことによって、企業自身の努力を肩代わりするような政策になってはいけません。
日本が必要とする人材に、日本を選んでもらう。
そのために必要なのは、安易な制度緩和ではありません。
企業も、政府も、そして日本社会も、それぞれが責任を果たすことです。
それこそが、私の考える「日本版ルール主義」です。

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