帰化者を排除するのではなく、帰化の要件を問い直す――「日本国民になる」とは何か

はじめに――「帰化者だから公職に就けない」に、私は賛成しません

最近、SNSなどで、帰化した人が国会議員や地方自治体の首長、さらには内閣総理大臣などの公職に就くことについて、強い警戒感を示す意見を目にすることがあります。
中には、
「帰化者には重要な公職に就かせるべきではない」
「出生による日本人と帰化人を区別すべきだ」
といった主張もあります。
私は、このような考え方には賛成できません。
帰化によって日本国籍を取得した人は、日本国民です。
いったん日本国民となった以上、「帰化した」という過去だけを理由として、出生によって日本国籍を取得した人とは異なる「二級の国民」のように扱うべきではありません。
公職に就く資格についても、基本的には同じ国民として扱うべきでしょう。
ただし、ここで重要なのは、
「帰化した後に、その人をどう扱うか」と、「そもそも誰を日本国民として迎え入れるのか」は、別の問題だ
ということです。
私は、むしろ後者について、もっと正面から議論してよいのではないかと思います。

帰化者を「危険な人」と一律に考える必要はありません

まず、誤解のないように申し上げておきます。
私は、帰化者を一律に危険視しているわけではありません。
「元外国人だから信用できない」という考え方にも立ちません。
人は、その人自身を見て判断すべきです。
日本に帰化した人の中には、日本で長く暮らし、日本社会に愛着を持ち、日本を自分の国として生きていこうと考えている人もいるでしょう。
そうした人を、いつまでも「元外国人」として扱うことは適切ではありません。
帰化によって日本国籍を取得したのであれば、日本国民としての権利を等しく享受するとともに、その責務も等しく担うことになります。
私は、その方が健全だと思います。
そもそも、ある人が日本という国家や、その政治・社会のあり方についてどのような考えを持つかは、国籍だけで決まるものではありません。
日本人の中にも、とりわけ学者、評論家をはじめとする有名人・著名人の中には、政治的な信条からなのか、日本の歴史や社会を一面的に捉え、日本を「加害者」として捉える考え方、いわゆる「日本罪悪史観」と呼ばれる見方に強く傾いているように見える人もいます。
もちろん、政府や国家の過去の行為を批判すること自体は、民主主義社会において当然に認められるべき自由です。
しかし、ここで重要なのは、
「日本に対して批判的な考えを持っているかどうか」と、「その人が日本国民として信頼できるかどうか」は、必ずしも同じ問題ではない
ということです。
逆に言えば、外国にルーツを持つ人だからといって、その人が日本に敵対的な考えを持っていると決めつけることもできません。
つまり、
国籍と政治的な思想・国家観は、別の問題なのです。
そうであるならば、
「帰化者だから日本に批判的な考えを持つかもしれない」
「帰化者だから国家への忠誠心に問題があるかもしれない」
と、一律に警戒することにも合理性はありません。
では、何を確認すべきなのでしょうか。
私は、帰化の段階で、日本国憲法と、その下に成り立つ民主的な法秩序を尊重する意思があるかどうかを、法に基づいて確認することだと思います。
ここに、「帰化者を排除する」のではない、もう一つの考え方があります。

「日本国民になる」とは、単に国籍を変更することなのか

帰化とは、単に日本で生活している外国人が、行政上の手続きを経て日本国籍を取得することなのでしょうか。
私は、それだけではないと思います。
国籍とは、その国の政治共同体・法共同体の構成員としての地位です。
日本国民になれば、選挙権を持ち、被選挙権を持ち、一定の公職に就く資格を持つことになります。
そして、日本国憲法によって保障された基本的人権を享受すると同時に、日本社会の一員として法秩序を尊重し、その維持に関わる責務も担うことになります。
そう考えるなら、
日本国民になることを希望する人に対して、日本国憲法と、その下に成り立つ民主的な法秩序を尊重する意思を確認すること
は、決して不合理な要求ではないのではないでしょうか。
むしろ、国籍というものを単なる「便利な資格」のように考えないためにも、考えておくべき問題だと思います。

現在の日本にも「憲法遵守条件」はあります

実は、日本の国籍法にも、これに関連する規定はすでに存在します。
国籍法5条1項6号は、帰化の条件の一つとして、
日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを企て、若しくは主張し、又はこれを企て、若しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入したことがないこと
を求めています。
法務省は、これを「憲法遵守条件」と説明しています。
つまり、日本にもすでに、
「日本国憲法の下に成り立つ国家秩序を、暴力によって破壊しようとする者を日本国民として迎え入れない」
という考え方があります。
しかし、現在の規定は、基本的には「そうした反憲法的・暴力的な活動をしていないこと」を確認するものです。
言い換えれば、消極的な排除条件です。
そこで、私はもう一歩踏み込んで考える余地があるのではないかと思います。
すなわち、
「日本の基本的な憲法秩序を尊重し、その下で日本国民として生きていく意思があること」を、より明確な帰化要件として確認する
という考え方です。
これは、日本だけの特殊な発想ではありません。

ドイツ連邦共和国は「自由で民主的な基本秩序へのコミットメント」を求めています

ドイツの国籍法では、帰化の要件として、自由で民主的な基本秩序へのコミットメントが明示されています。
さらに、ドイツの憲法秩序を尊重し、その破壊につながる活動を行っていないことなども確認されます。
ここで重要なのは、
「反国家的な活動をしていないから帰化させる」
というだけではなく、
「ドイツの自由で民主的な基本秩序を受け入れる意思があること」
を、帰化の段階で確認している点です。
つまり、国籍取得を単なる居住資格の延長として捉えるのではなく、その国の憲法秩序を構成員として受け入れる意思を確認するという考え方です。
これは、日本の帰化制度を考える上でも参考になるのではないでしょうか。

フランス共和国も「共和国の基本原則・価値への帰属」を求めています

フランスにも、参考になる制度があります。
現在のフランス民法では、帰化に際して、フランス社会への同化・統合だけでなく、共和国の本質的な原則・価値への帰属・同意が求められています。
また、フランス国籍から生じる権利と義務についての知識も帰化審査の対象となっています。
つまり、
「フランスに住んでいるからフランス人になる」
というだけではありません。
「フランス共和国の基本的な原則と価値を受け入れ、その社会の一員として生きていく意思があるか」
ということを、国籍取得の段階で確認しているわけです。
もちろん、日本とフランス、ドイツでは歴史も憲法体系も異なります。
したがって、両国の制度をそのまま日本に持ち込めばよいということではありません。
しかし、
「帰化する人に、その国の基本的な憲法秩序への帰属を求めること自体が、民主主義国家として特殊なのか」
と問われれば、そうではありません。
少なくとも、国籍取得の入口で何を確認すべきかを考える際の、一つの比較材料にはなるでしょう。

「国家への忠誠」とは、時の政府への盲従ではありません

ここで、「国家への忠誠」という言葉について、誤解のないようにしておきたいと思います。
私が言っているのは、
「政府の政策に反対してはいけない」
「政権を批判してはいけない」
「国家に無条件に従わなければならない」
という意味ではありません。
民主主義国家では、政府を批判する自由も、政策に反対する自由も保障されなければなりません。
では、何に対する「忠誠」なのか。
私は、むしろ「忠誠」という言葉自体を慎重に使うべきだと思っています。
問題となるのは、時の政権への忠誠ではありません。
日本国憲法が保障する基本的人権、民主主義、法の支配など、日本の基本的な憲法秩序を尊重する意思です。
言い換えれば、
「政権への忠誠」ではなく、「憲法秩序へのコミットメント」
です。
政府を批判することと、日本の憲法秩序を否定することは同じではありません。
ここを混同してはいけないと思います。

「帰化者だから公職から排除する」という考え方には、私は賛成できません

ここで、冒頭の問題に戻ります。
いったん帰化して日本国民となった人について、
「帰化者だから国会議員にはなれない」
「帰化者だから首相にはなれない」
といった特別な制限を設けることが、当然に必要だとは私は考えません。
それでは、「帰化した人を二級の国民として扱う」という方向に進んでしまうからです。
むしろ、重要なのは、そのような特別扱いをしなくても済むように、国籍取得の入口において確認すべきことを、きちんと確認しておくことではないでしょうか。
これは、「帰化者を信用しない」という話ではありません。
むしろ逆です。
帰化した人を日本国民として全面的に受け入れるからこそ、その前段階で、日本国民となる意思と、日本の基本的な憲法秩序を尊重する意思を確認する。
私は、その方が筋の通った制度設計だと思います。

「日本を第二の祖国と思っているのか」という問題

ところで、SNSなどでは、
「帰化した人の中には、日本を第二の祖国として選んだわけではなく、日本に生活の本拠があるため、生活上の便宜から帰化した人もいるのではないか」
という趣旨の批判を目にすることがあります。
この点については、まず慎重であるべきでしょう。
そのような人が実際にどの程度存在するのかを示す信頼できる統計があるわけではありません。
したがって、SNS上の指摘を、そのまま事実として扱うべきではありません。
ただし、ここから一つの制度的な問題を考えることはできます。
それは、
「帰化を希望する人が、日本国民になるということをどのように理解しているのか」
という問題です。
私は、帰化を希望する人に「日本を愛しているか」と尋ね、その答えによって国籍を与えるべきだと言っているのではありません。
まして、「日本への愛国心」を行政が審査して、思想的な適格性を判定するような制度を設けるべきだとも思いません。
しかし、
日本国憲法と民主的な法秩序を尊重し、日本社会の一員として生きていく意思があることを、帰化の法的要件として明確に確認する。
これは検討してよいのではないでしょうか。
「日本を愛しているか」という曖昧な問いではなく、
「日本国民として、どのような法秩序の下で生きていくのか」
という、より客観的で法的な問いに置き換えるわけです。

もう一つの検討課題――帰化後の重大な背信行為について

ここからは、あくまで補論として、もう一つ問題提起をしておきたいと思います。
現在の日本法には、帰化後に犯罪を犯したことを理由として、帰化許可を撤回し、日本国籍を失わせる一般的な制度はありません。
ただし、帰化申請時に詐欺などの重大な不正行為を行い、それによって帰化許可を受けた場合については、帰化許可処分を取り消すことがあり得るという政府見解があります。
これは、
「帰化後に悪いことをしたから国籍を取り消す」
という制度とは別のものです。
一方、フランスには、一定の重大な犯罪や国家の基本的利益を著しく害する行為などを理由として、一定の要件の下で国籍を剥奪する制度があります。
ドイツにも、不正な方法によって取得された国籍を一定期間内に取り消す制度があります。
したがって、
帰化後に極めて重大な犯罪や国家に対する重大な背信行為を行った場合について、帰化によって取得した日本国籍を失わせる制度を設けることができないか。
という問題は、日本でも検討対象から最初から除外する必要はないのではないでしょうか。
これは簡単な問題ではありません。
帰化によって日本国民となった人について、出生による国民とは異なる形で国籍を失わせる制度を設けることになるため、憲法上の平等原則などとの関係について、慎重な検討が必要です。
また、制度化するのであれば、対象となる行為を法律上明確かつ限定的に定めること、単なる政治的意見や政府批判を対象にしないこと、厳格な手続保障と司法審査を設けることなど、恣意的な運用を防ぐ仕組みが不可欠でしょう。
さらに、国籍を失わせた結果として無国籍となる者をどう扱うのかという問題もあります。
仮に制度化するのであれば、国籍の問題と在留の問題を切り離して考えることも必要でしょう。
国籍を失わせたからといって、直ちに国外退去とする必要があるわけではありません。
無国籍となる者については、受け入れ国が存在しないなどの事情も考慮し、一定の在留を認める仕組みを併せて検討する余地があります。
つまり、国籍を失わせることと、日本から排除することを同一視しないことも重要です。
この問題については、今後さらに慎重な議論が必要だと思います。

「排除」ではなく、「法によって確認する」

ここまでの議論を整理してみます。
帰化制度については、大きく二つの方向があります。
一方には、
「帰化者は危険だから、公職から排除すべきだ」
という考え方があります。
しかし、これは帰化者を一律に疑い、出生による国民との間に恒久的な身分差を設ける方向につながりかねません。
私は賛成できません。
他方には、
「帰化した人について、特に何も確認する必要はない」
という考え方があります。
これも、私は必ずしも適切ではないと思います。
その間に、もう一つの道があります。
日本国民になる前には、確認する。
日本国民になった後は、等しく扱う。
これです。
帰化の段階では、日本国憲法と民主的な法秩序を尊重する意思を確認する。
そして、帰化後については、「帰化者だから」という理由だけで特別な不利益を与えない。
さらに、もし将来、帰化によって取得した国籍を極めて重大な形で悪用した場合には、どのような法的対応が許されるのかを、憲法上の原則と人権保障を踏まえて検討する。
私は、この方が、感情的な「帰化者排除論」よりも、はるかに法治国家にふさわしいと思います。

おわりに――「日本国民になる」ということを、もっと正面から議論してよい

外国人を受け入れるかどうか。
帰化をどの程度認めるのか。
帰化した人をどのように扱うのか。
これらは、感情だけで決めるべき問題ではありません。
日本国民として受け入れる以上、その人を「元外国人」としていつまでも特別扱いするのではなく、国民として等しく扱う。
その一方で、日本国民となる入口においては、
「あなたは、日本国憲法と日本の民主的な法秩序を尊重し、この社会の一員として生きていく意思がありますか」
という問いを、法制度として明確にしておく。
私は、これは排外主義ではないと思います。
むしろ、国籍というものを真剣に考えるなら、当然に検討されてよい問いではないでしょうか。
ドイツやフランスでは、制度の内容や考え方に違いはありますが、帰化の段階で国家の基本的な憲法秩序や共和国の基本原則・価値へのコミットメントを求めています。
日本も、こうした制度を参考にしながら、現在の「憲法遵守条件」をさらに一歩進めることを検討してよいのではないでしょうか。
そして、私はもう一つ、強調しておきたいと思います。
帰化者を疑うのではなく、制度によって確認する。
そして、
帰化した人は、日本国民として等しく扱う。
この二つは、決して矛盾しません。
むしろ、この二つを両立させることこそ、帰化制度を「排除の制度」でも「無条件の国籍付与制度」でもなく、法治国家にふさわしい制度として考えるための基本ではないでしょうか。
「帰化者だから危険だ」と考える必要はありません。
しかし、「日本国民になる」ということを、単なる国籍上の手続きとして考えてしまうのも適切ではありません。
「日本国民になる」とは、何を意味するのか。
その問いを、私たちはもっと正面から議論してよいのだと思います。
それは、帰化者を排除するためではありません。
日本国民とは何か。そして、日本国民になるとは何を意味するのか。
そのことを、私たち自身が改めて考えるためです。

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