※このブログ記事は、2026年08月22日付け投稿記事『赤根智子ICC所長への米国制裁――ICCの管轄権と「法の支配」をどう考えるべきか』の続編的な姉妹版の記事です。
はじめに――日本は、米国とICCのどちらかを選ばなければならないのか
2026年8月18日、トランプ米政権は、国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長を制裁対象に指定しました。
米国は、ICCが米国やイスラエルなど、ローマ規程の非締約国の政府関係者に対して捜査・訴追を行っていることを問題視しています。
これに対しICCは、今回の措置を裁判所の独立性に対する攻撃だと批判しました。日本政府も、赤根氏への制裁について「大変遺憾」と表明し、日本はICCを一貫して支持してきたとの立場を示しました。
しかし、この問題を単純に、
「法の支配を守るICC」対「法の支配を否定する米国」
という構図で見るべきではありません。
日本にとって問われているのは、もっと大きな問題です。
それは、
日米同盟という安全保障上の現実と、国際刑事司法を支える法の支配という原則を、どのように両立させるのか
という問題です。
日本が取るべき立場は、
「米国かICCか」という二者択一ではない。
日米同盟は維持する。国際刑事司法も守る。そして、米国にもICCにも、同じ基準で「法の支配」を求める。
というものではないでしょうか。
日本はICCを支持する。しかし、法的検証を求めることもできる
日本はローマ規程の締約国として、ICCを支持してきました。
ローマ規程とは、ICCを設立し、その権限や手続を定めた国際条約です。ICCは、この規程に基づき、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪など重大な国際犯罪について、個人の刑事責任を追及します。
日本が支持しているのは、
国家元首や政府高官であっても、重大な国際犯罪については個人として責任を問われうる
という国際刑事司法の理念です。
しかし、
「日本がICCを支持している」
ことと、
「ICCのすべての判断を無条件に支持する」
ことは同じではありません。
ICCもまた、ローマ規程という法によって権限を与えられた裁判所です。
したがって、
・ICCにはその管轄権を行使する十分な法的根拠があるのか
・その権限行使は国際法上どのように説明されるのか
という問題を検証することは、ICCへの批判ではありません。
むしろ、法の支配を本当に尊重するならば、裁判所自身もまた法によって拘束される存在であることを認めなければならないのです。
同じことは米国にも言える
一方、米国側の主張にも検討すべき法的論点があります。
米国はローマ規程の締約国ではありません。
そのため、
自国が同意していない国際裁判所が、自国や同盟国の政府関係者に対して刑事管轄権を行使することは、国家主権との関係で問題ではないのか
という問題提起をしています。
これは、単に
「戦争犯罪を裁くな」
という主張ではありません。
誰が、どの法的根拠によって、誰を裁く権限を持つのか。
そこが問題なのです。
したがって、この主張についても、
「トランプ政権だから間違っている」
「イスラエルを支持しているから間違っている」
と決めつけるのではなく、国際法上どこまで根拠があるのかを検証する必要があります。
しかし同時に、米国にも問うべき問題があります。
それは、
ICCの管轄権に異議を唱えることと、ICC裁判官や所長ら個人に経済制裁を科すことは、本当に同じ問題なのか
という点です。
この二つは分けて考えなければなりません。
「ICCの管轄権」と「司法の独立」は別問題である
今回、特に重要なのは、
ICCの管轄権問題
と、
司法の独立の問題
を混同しないことです。
仮に、
「ICCの管轄権について法的疑問がある」
と考えたとしても、
そこから直ちに、
「だからICC裁判官への制裁は正当である」
とはなりません。
逆に、
「裁判官への制裁は司法の独立を脅かす」
と考えたとしても、
そこから、
「だからICCの管轄権には一切問題がない」
ということにもなりません。
つまり、
ICCの管轄権を検証することと、ICCの司法の独立を尊重することは両立します。
また、
ICCへの政治的圧力を問題視することと、ICC自身に法的説明責任を求めることも両立します。
ここを明確にする必要があります。
日本が求めるべきなのは「第三の立場」である
では、日本はどう考えるべきでしょうか。
私は、日本が取るべき立場は「米国かICCか」という二者択一ではないと思います。
日本は米国に対して、
日米同盟は重要であり、これを維持する。しかし、国際法や司法の問題については、日本自身の立場から判断する。
と言うことができます。
同時にICCに対しても、
国際刑事司法の理念は支持する。しかし、その権限行使については十分な法的説明を求める。
と言うことができます。
これは、どちらにも肩入れしない「中立」ではありません。
双方に同じ法的基準を適用するという、法の支配の立場です。
日米同盟と「法の支配」は対立しない
日本にとって、日米同盟は安全保障の基盤です。
しかし、
「米国との同盟関係を維持するためには、米国のすべての政策に同調しなければならない」
ということではありません。
同盟とは、本来、主権国家同士が共通の利益と価値観に基づいて協力する関係です。
同盟国間で意見が異なる問題についても、互いの立場を率直に説明できることこそ、成熟した同盟関係ではないでしょうか。
逆に、
「同盟国だから何でも従う」という姿勢は、対等な同盟関係ではなく、主権国家としての主体性を失わせる危険があります。
同盟を維持することと、同盟国のすべての政策に賛成することは同じではありません。
真の同盟とは、必要な場合には意見を述べながら、それでも共通の目的のために協力できる関係です。
ICCにも説明責任を求めることが、むしろICCを守る
同じ原則はICCにも向けなければなりません。
日本がICCを支持するならば、
国際刑事司法への信頼を維持するため、自らの管轄権行使について十分な法的説明責任を果たしてほしい
と求めることができます。
これはICCを弱体化させるものではありません。
むしろ、ICCをより信頼される司法機関にするために必要なことです。
国際犯罪を裁くという目的が正当であることと、そのために行使する権限の法的根拠が十分であることは、別々に検証されなければなりません。
法の支配とは、目的だけではなく、手続や権限の根拠も重視する考え方だからです。
「法の支配」は相手によって変えてはいけない
法の支配とは、自分が支持する側を無条件に正当化することではありません。
また、自分が批判する側だけに適用するものでもありません。
例えば、
イスラエルに適用する国際刑事司法の原則を、ロシア、中国、米国、日本にも同じように適用できるのか。
逆に、
非締約国の国家指導者に対するICCの管轄権に疑問を呈するなら、その原則をイスラエルだけに限定してよいのか。
どちらも同じ問題です。
誰を裁くかではなく、どのような基準によって判断するのか。
そこに法の支配の本質があります。
日本外交に必要なのは「原則と現実」の両立
外交には、現実があります。
日本の安全保障にとって、日米同盟は不可欠です。
しかし同時に、国際社会の安定には、国際法と法の支配も不可欠です。
この二つを対立させる必要はありません。
必要なのは、
現実の中で原則を守る外交
です。
日本が米国に懸念を示すことは反米ではありません。
ICCに説明責任を求めることも反ICCではありません。
むしろ、どちらにも同じ法的基準を求めることこそ、日本自身の立場を明確にすることになります。
おわりに――「米国かICCか」ではなく、日本自身の原則で考える
今回の問題を、
「米国とICCのどちらが正しいのか」
という二者択一で考えると、本質を見失います。
問われているのは、
自分が支持する側だから、その主張を正しいとするのか。
それとも、
自分が支持する側であっても、法的根拠を問い続けるのか。
という問題です。
米国が重要な同盟国だからといって、米国の政策をすべて正当化する必要はありません。
ICCが重要な国際司法機関だからといって、ICCの判断をすべて無条件に支持する必要もありません。
必要なのは、
米国にもICCにも、同じ「法の支配」という物差しを当てることです。
「同盟だから従う」のでもなく、
「ICCだから正しい」とするのでもない。
日本自身が、日米同盟という現実と、国際法を尊重するという原則を両立させる。
それこそが、日本に求められる自立した外交姿勢ではないでしょうか。
法の支配とは、誰かを裁くための便利な言葉ではありません。
自分にとって都合の悪い相手にも、そして自分自身にも、同じように適用する原則です。
今回の赤根智子ICC所長への米国制裁は、まさにその原則を日本自身がどこまで貫けるのかを問いかけているのではないでしょうか。

