はじめに
最近、外国人政策について政府を批判すると、
「高市政権は、ちゃんとやっている!」
「政府の資料をちゃんと勉強してから批判しろ!」
という反応を目にすることがあります。
その気持ちは分からないでもありません。
実際、高市政権は外国人政策について何もしていないわけではありません。
2026年1月には、政府が「外国人の受入れ・秩序ある共生のための総合的対応策」を決定しました。
そこには、不法滞在への対応、外国人犯罪への対策、日本の法令やルールの周知、社会保険料等の適正な納付、在留管理の適正化など、さまざまな施策が盛り込まれています。
つまり、
「政府は何もしていない」
という批判は、正確ではありません。
私自身も、そこを否定するつもりはありません。
むしろ、今回私が問いたいのは、その先です。
政府が「外国人との秩序ある共生社会」を掲げ、本格的な総合対策まで打ち出したのであれば、
「その『秩序ある共生』とは、具体的にどのような社会なのか」
そして、
「国民が感じている不安や不公平感に対して、政府は具体的に何をするのか」
を、もっと詳しく説明してほしいのです。
これは、高市政権を批判するためだけの問いではありません。
むしろ、政府が掲げた政策を本気で実現してほしいからこそ、問うものです。
「秩序ある共生」という言葉は、何を意味するのか
私は、「秩序ある共生」という言葉そのものには、基本的に賛成です。
これまで外国人政策をめぐって使われてきた「多文化共生」という言葉に対しては、私は以前から、少し違和感を持っていました。
もちろん、外国人の文化や宗教、生活習慣を尊重することは大切です。
しかし、日本社会に住む人々が、それぞれ異なるルールの下で暮らすという意味での「共生」であってはなりません。
私が考える「共生」とは、
日本の法令と基本的な社会ルールを共通の土台として、一つの日本社会を、国籍の異なる人々が共に生きること
です。
文化や宗教、生活習慣などに違いがあることは当然です。
その違いを尊重することと、日本社会の共通のルールを守ることは、両立します。
むしろ、両立させなければならないでしょう。
だからこそ、「秩序ある共生」という方向性には意味があります。
しかし、ここで一つ問題があります。
「秩序ある共生」という言葉を掲げるだけでは、まだ政策にはなっていないということです。
「秩序」とは、具体的に何なのか
では、「秩序ある共生」における「秩序」とは、具体的に何でしょうか。
私は、少なくとも次のようなものを含むと考えます。
・日本の法令を守ること
・税や社会保険などの義務を適切に果たすこと
・日本の基本的な生活ルールを理解し、尊重すること
・地域社会の中で他者の生活を不当に侵害しないこと
・犯罪や不法滞在、不法就労などに対して適切な取締りが行われること
・日本社会の受入れ能力を超えないよう、受入れの規模や在留管理を適切に行うこと
もちろん、これは外国人だけに求められるものではありません。
日本人もまた、日本の法令を守らなければなりません。
つまり、
「外国人だから特別なルールを課す」ということではなく、日本社会で暮らす以上、国籍にかかわらず共通の法と社会のルールを尊重する
ということです。
そして、政府には、そのような社会を実現するための制度を整備し、適切に運用する責務があります。
ここまで考えると、「秩序ある共生」という言葉から、政府に求められる仕事がかなり見えてきます。
それは単なる「外国人に日本のマナーを教えること」ではありません。
受け入れる側の政府にも、相応の責務があるのです。
政府自身が認めている「国民の不安や不公平感」
ここで、重要なことがあります。
政府は、「国民が外国人政策について不安を感じることなど、気にする必要はない」と考えているわけではありません。
むしろ、政府自身が「外国人の受入れ・秩序ある共生のための総合的対応策」の中で、
一部の外国人による法やルールを逸脱する行為や制度の不適正利用などに対して、国民が感じている不安や不公平感に対処する必要がある
という趣旨を明記しています。
これは重要なことです。
なぜなら、外国人政策について国民が不安を口にしたとき、
「偏見ではないか」
「外国人差別につながるのではないか」
といった言葉だけで議論を終わらせてはいけないからです。
もちろん、外国人全体を一括りにして犯罪者扱いしたり、根拠のない情報を拡散したりすることは許されません。
しかし、それとは別に、
実際に存在する問題について、国民が不安を感じること自体は、民主社会において当然に認められるべきです。
そして、その不安に合理的な根拠があるのであれば、政府がそれを政策課題として取り上げるのは当然です。
実際、政府自身がその必要性を認めています。
であるならば、次に問いたいことがあります。
では、「国民の不安」とは何なのか
国民が外国人政策について感じている不安は、一つではありません。
もちろん、人によって違います。
外国人との交流が多い地域と、ほとんど交流のない地域でも違うでしょう。
外国人がほとんど住んでいない地域の人と、外国人住民が急増している地域の人とでは、感じる問題も違うはずです。
それでも、現在の日本で耳にする不安には、ある程度共通するものがあります。
例えば、
外国人犯罪に対する不安。
不法滞在・不法就労に対する不安。
税や社会保険料などの負担をめぐる不公平感。
医療や社会保障制度の利用をめぐる不公平感。
日本の生活ルールをめぐる地域社会との摩擦。
一部地域に外国人が急速に集中することによる、地域社会への負担。
そして、
日本の制度が、本当に適正に利用されているのかという不安。
こうした問題を一つ一つ切り分けて考える必要があります。
ここで大切なのは、
「外国人だから問題なのか」
と、
「外国人であっても、日本社会で生活する以上、守るべきルールがあるのではないか」
という問題を混同しないことです。
外国人だから犯罪をする、という話ではありません。
日本人にも犯罪者はいます。
しかし、それを理由として、外国人による犯罪や不法滞在などの問題まで見ないことにする理由にはなりません。
国籍にかかわらず、問題があれば適切に対処する。
これが法の支配の基本ではないでしょうか。
「不安を感じるな」ではなく、「不安の原因を取り除く」
ここで、政府に期待したいことがあります。
国民が外国人政策について不安を感じたとき、
「差別はいけません」
「偏見を持ってはいけません」
と呼びかけるだけでは、不十分です。
もちろん、差別や偏見を防ぐことは必要です。
しかし、現実に存在する問題まで、それによって見えなくしてはいけません。
例えば、外国人犯罪が問題になっているのであれば、犯罪を減らす。
不法滞在が問題なら、不法滞在を減らす。
不法就労が問題なら、不法就労を減らす。
制度の不適正利用が問題なら、制度を適正化する。
地域社会との摩擦が生じているなら、その原因を把握し、必要な対策を講じる。
これが政府の仕事です。
つまり、
国民に「不安を感じるな」と求めるのではなく、政府が「なぜ国民が不安を感じているのか」を把握し、その原因を一つずつ取り除いていく。
私は、これが「秩序ある共生」を実現するための基本姿勢だと思います。
「外国人を受け入れること」と「国民を安心させること」は両立する
外国人受入れについて議論すると、
「外国人を受け入れるのか、受け入れないのか」
という二択になりがちです。
しかし、本来はそうではないはずです。
私は、外国人の受入れそのものを否定していません。
少子高齢化や人手不足など、日本が抱える課題を考えれば、一定の外国人材を適正に受け入れることには意味があります。
一方で、
「外国人を受け入れること」と「国民が安心して暮らせること」は、決して二者択一ではありません。
むしろ、外国人を受け入れるのであれば、
・誰を受け入れるのか
・どのような条件で受け入れるのか
・どこまで受け入れるのか
・どのように日本社会への参加を求めるのか
・問題が生じた場合にどう対応するのか
を明確にする必要があります。
それがなければ、外国人にとっても、日本人にとっても、望ましい制度にはなりません。
「秩序ある共生」は、国民に我慢を求める政策ではない
私はここを、かなり重要な点だと考えています。
外国人との共生を進めるために、
「日本人がもっと外国人を理解しなければならない」
「日本人が文化の違いを受け入れなければならない」
という説明だけが前面に出てしまうと、国民の側には、
「結局、日本人が我慢するということなのか」
という疑問が生じる可能性があります。
そうではないはずです。
日本国民が外国人の文化や宗教を尊重することと、在留外国人が日本の法令や社会の基本的なルールを守ることは、決して矛盾するものではありません。
そして、日本人だけが一方的に変わる必要もありません。
外国人もまた、日本社会で生活する以上、日本の法令、文化、慣習、社会生活上の基本的なルールを理解し、尊重することが求められます。
もちろん、それは外国人の文化や宗教を否定するという意味ではありません。
むしろ、
互いの違いを尊重しながら、共通のルールの下で一緒に暮らす。
それが、本当の意味での「秩序ある共生」ではないでしょうか。
だからこそ、政府には「具体的な政策」を示してほしい
ここまで述べてきたことを、もう一度整理します。
私は、高市政権が外国人政策について何もしていないとは考えていません。
「外国人の受入れ・秩序ある共生のための総合的対応策」には、実際に多くの施策が盛り込まれています。
しかし、
「施策が書かれていること」と「国民の不安が解消されること」は、同じではありません。
ここを区別する必要があります。
例えば、
「日本の法令やマナーを周知する」
「通訳体制を拡充する」
「関係機関の連携を強化する」
「厳正な取締りを推進する」
という施策は、確かに必要でしょう。
しかし国民が知りたいのは、
「それによって、具体的に何がどう変わるのか」
ということです。
何人減らすのか。
いつまでに減らすのか。
何を達成すれば成功なのか。
達成できなかった場合、どう改善するのか。
そして、その結果を国民はどのように確認できるのか。
こうしたところまで示されて、初めて「政策」として評価できるのではないでしょうか。
<第Ⅰ部のまとめ>
私は、外国人受入れに反対するために、この問題を論じているのではありません。
また、高市政権を批判すること自体を目的としているわけでもありません。
むしろ、政府が「外国人との秩序ある共生社会」という目標を掲げたことを踏まえ、その実現を期待しているからこそ、問いかけたいのです。
「秩序ある共生」とは、具体的にどのような社会なのですか。
国民が感じている不安や不公平感に、政府はどのように答えるのですか。
そして、
その政策によって、本当に日本社会は安心できる方向に変わったのかを、国民はどう確認できるのですか。
政府が「ちゃんとやっている」というのであれば、私はそのこと自体を否定しません。
だからこそ、
「では、具体的に何をやっているのか。そして、それによって何が変わったのか」
を見せてほしいのです。
それは政府を困らせるための要求ではありません。
主権者たる国民が、政府の政策を評価するために必要な、極めて当たり前の情報ではないでしょうか。
そして次回は、実際に政府が策定した「外国人の受入れ・秩序ある共生のための総合的対応策」を取り上げ、その中身を一つ一つ見ていきたいと思います。
「ちゃんとやっている」と言われる政策を、まずは政府自身の資料に沿って、冷静に読んでみましょう。
そこに、国民が求めている「安心」への具体的な答えが、どこまで示されているのでしょうか。
